2005年5月9日(月)「しんぶん赤旗」
ゆうPress
富士通子会社を訴えた
交換部品じゃないゾ!!
ハイテクエンジニアを夢見て、大手電機メーカー富士通の子会社に入社した後藤孝さん(37)と川上昌也さん(36)=ともに仮名、北海道在住=。しかし、長時間労働のもとで倒れ、「うつ病」になって休職に追いこまれました。二人は二〇〇三年五月、違法な長時間労働を長期にわたって放置してきた会社の責任を問い、二人合わせて約一億九千万円の損害賠償を求めて札幌地裁に訴えました。今自分たちの将来のためにたたかっています。(藤川良太)
「休憩時間は午前1時−3時」就業規則に
残業は月100時間以上
二人が倒れる前の一年間、総労働時間は会社のタイムレコードに打ち込まれた記録によると、それぞれ三千時間を超えます。そのうち残業時間は二人とも約千四百時間。単純計算で月百時間を上回ります。後藤さんは、最高で約二百時間に達したこともありました。
富士通の通常の勤務形態は午前八時四十分から午後五時三十分。二人は通常の勤務のうえに、それと同じくらいか、それ以上の残業の毎日。一日に二日分の労働をしていたことになります。
徹夜作業で朝、着替えとシャワーを浴びるためだけに自宅に帰る日も珍しくありません。夜十時の打ち合わせで製造中の機器に不具合が見つかると、翌朝までに対策を見いだせと言われることもあります。
未経験分野の最先端技術、簡単に原因や対策は見つかりません。川上さんは「上司は口では『休みなさい』と言いながら、膨大な仕事を『明日までにやってくれ』というニュアンスのことを言う」といいます。
出張も頻繁でした。北海道と栃木、神奈川を日帰りで往復。飛行機は始発に乗り込み、最終で帰ります。残業の移動は、勤務時間に入りません。長期出張で神奈川にいたとき、土曜日の夜の便で北海道の自宅に帰り、日曜日の夕方には、川崎の工場に戻ることがありました。移動日の土、日は当然、休日扱いです。
川上さんは富士通の就業規則の中に、「午前一時から三時までは休憩時間」があると言います。富士通も裁判文書で「就業規則第18条に明記されており」とこれを認めています。徹夜の仕事を当然としている規則です。
しかも、休憩時間は勤務時間に計算されないため、無給になります。裁判で弁護側は「その(深夜の)時間帯に会社に滞在していることが異常なのであり、休憩とはいっても仕事をしているのが実態」と批判。実際の実労働時間や拘束時間は、打刻上の労働時間を大幅に超えていました。
休めない 休ませられない成果主義
富士通は成果主義賃金を一九九三年から導入しました。各個人が半年ごとに目標を立て、達成度で成績が評価され賃金が決められます。二人は二〇〇〇年、当時最先端の光通信装置の設計に従事。「世界でもまだ製品化されていない装置」の開発設計に携わります。目標は、初めから高難易度に設定されているため、達成めざし労働時間はどんどん長くなります。
製品は大型装置で、各ブロックごとの担当グループが、それぞれ部品を設計開発します。例えば、冷蔵庫をドアや中の棚、空調機などをそれぞれのグループで設計し、最後に組み合わせます。ドアの部分が遅れたら、冷蔵庫の開発は完成しません。
成果主義賃金制では、達成度が直接査定に響きます。後藤さんは「自分のグループの開発が遅れると、他のグループや関係部門全体の評価にも影響する。頑張るしかなかった」と話します。後藤さんは、装置の中でも最高難易度である光送受信部の設計担当でした。
後藤さんは、途中からこのプロジェクトのリーダーになります。それまでのリーダーが過労で「うつ病」になり、プロジェクトから外れたためです。リーダーになり、会議などで関係部門の人たちと接する機会が増えました。後藤さんは「自分たちの作業が遅れると、その人たちの顔が浮かんだ。精神面できつくなった」といいます。睡眠不足でイライラした雰囲気の中、仕事場は常に緊張感が漂っていました。
後藤さんは、妻が出産したので「一日休みたい」と言ってきた部下の休暇を認めなかったことがあります。部下は休日返上で朝から深夜まで働いており、当然、休暇を与えるべきでした。しかし、休暇を認めることで設計遅延が生じ、関係者や会社に大損害を与えかねませんでした。「いつもクールになれと自分に言い聞かせていました。しかし本当にここが痛かった」。後藤さんは胸に手を当てました。
入社10年 夢砕かれて
2人は大学で電子工学を学び、ハイテク機器の設計がしたいと富士通に入社しました。後藤さんは中学時代、理科が大好き。そのころに発売されたCDやビデオに感動し、その影響で将来の夢が「ハイテクのハードウエアエンジニア」に。
川上さんも、大学で学んだハイテクの知識を生かしたいと思いました。「希望の設計だったから、最初は忙しさよりも楽しかった」(後藤さん)
2人は必死に働きます。後藤さんは2000年上半期、成果主義賃金の中で5段階評価の最高ランクである「SA」を獲得。川上さんも「A」。しかし、その思いは砕かれます。「忙しいとは聞いていたけど、人間のキャパシティー(許容範囲)を超えていた」。入社から10年後、2人は長期病気休業に追い込まれます。
会社の責任問う
高崎暢弁護士の話 富士通は成果主義賃金制度の下で、二人の人間を機械の一部品のように働かせてきました。二人の労災は早々に認められました。病気と労働との因果関係は明白です。裁判で会社側の働かせ方の責任を問い、同じ被害者を出させないためにも早期解決をめざしたい。
先が見えず不安
後藤さんの話 過労で入院した際、会社の上司は見舞いどころか一切の音信を絶ちました。会社は社員を“交換部品”として扱っていると痛感。自分の将来を考えると、先が見えず不安でストレスになり、「死んだほうが楽」と思うこともあります。よく、体を壊すまで働くのは自己管理不足という意見を耳にします。しかし、多くの人に多大な迷惑が掛かる状況に立ったとき、自己管理を理由に休めるか? 逆に問いたい。
早期解決考えて
川上さんの話 裁判でたたかうこと自体、僕たちの病気ではリスクをともないます。会社は早期解決を考えてほしい。
お悩みHunter
ボランティアしたいでも親は「余裕ない」
Qカンボジアへ行って、初めてボランティア活動に参加しました。貧しい生活をしているのに、子どもたちの笑顔がすごく印象的でした。一年休学してカンボジアでボランティアをしたら、自分の道を見つけることができるような気がします。親に話したら「そんな余裕はない」と猛反対されました。(大学二年、男性。大阪府)
経費まで親頼みは甘すぎる
教育評論家 尾木 直樹さん
A赤貧の生活を送る子どもたちの輝く瞳に接したときには、衝撃のような「感動」が走ったと思います。だから、一年休学してでも、もう一度彼らに会いたい。そして、自分の生きる道を見つけたいと切望しているのですね。
生き方を真摯(しんし)に模索するその姿勢は、ステキだなと思います。私も学生時代に、ベトナム戦争下の少年少女たちの笑顔がはじける写真に魅せられた記憶があります。しかし、です。正直言って、ウムこれは甘い、と感じました。これでは、親が「猛反対」するのも当然です。
一年間休学することやカンボジア再訪に反対しているのではありません。そのことに対するとらえ方や姿勢があまりにも甘いのです。仕送りを受けている身分でありながら、海外ボランティアの経費まで親頼みでは、本当のボランティアといえるでしょうか。
これでは恵まれた生活環境の学生の視察か、慈善事業にしか映らないのではないでしょうか。また、親丸抱えでカンボジアの子どもたちに接しても自分の生きる道は鮮明にならないように思います。
自活の苦労をいとわない情熱やパワーがなければ、子どもたちと響き合うことは不可能です。子どもたちの笑顔の底には、厳しい環境を生き抜く強さが光っています。もう一度ご自分の基本姿勢を振り返ってみてはいかがでしょうか。
教育評論家 尾木 直樹さん
法政大学キャリアデザイン学部教授。中高二十二年間の教員経験を生かし、調査研究、全国での講演活動等に取り組む。著書多数。