2005年5月8日(日)「しんぶん赤旗」
主張
記憶と和解の日
戦後平和秩序の原点に立って
国連総会決議(昨年十一月)が、五月八日と九日を第二次世界大戦の終結を記念する日にしようとよびかけています。六十年前の一九四五年五月、ベルリンが陥落してナチス・ドイツが崩壊。欧州では、三九年九月からの第二次大戦が終わりました。「ドイツ軍司令部」が七日に連合軍への無条件降伏文書に調印し、翌八日に発効しました。九日には、ドイツ軍がソ連軍に対し改めて降伏文書に調印しました。
日本軍と連合軍との戦争は続いていましたが、二カ月後に国連が創設されたことなどから、国連総会決議は、五月八日と九日を「記憶と和解の日」にすることを宣言しました。
侵略への反省を明確に
九日には、国連総会の特別会合が開かれます。欧州で最大の犠牲を出した旧ソ連―ロシアのモスクワでは、記念式が行われ、五十カ国以上の首脳が出席を予定しています。
「記憶」とは、ファシズム、軍国主義が引き起こした第二次世界大戦の悲惨さに目を向け、各国が、二度と侵略戦争を引き起こさない決意と体制を固めることです。そうしてこそ、分断や対立、矛盾があっても克服し、未来に向けた協力への「和解」を進めることができます。
国連は、「二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救」(国連憲章前文)うため、一九四五年六月二十六日に創設されました。国連憲章は、侵略戦争を許さず、あらゆる紛争を平和的な手段で解決することを原則にしています。
侵略戦争への反省をはっきりさせることは、戦後国際平和秩序への原点です。いま各国がこの原点にたちかえり、平和の進路を誤らないようにする必要があります。
ナチスを生み出したドイツは敗戦後、東西に分断され「米ソ対決」の最前線にされた戦後史の苦難と戦争の危機を乗り越え、再統一と欧州統合への参画を果たしてきました。過去の侵略戦争を徹底して反省することによって、フランスや旧ソ連との「和解」を進め、国際社会の理解を得たことが、決定的な要因です。
一方、日本は敗戦後、憲法第九条で「二度と戦争はしない」「戦力はもたない」と定めたことにより、国連憲章と重ねて戦後の国際平和秩序に貢献できるもっとも確かな足場をつくりました。米国によって憲法違反の自衛隊を押しつけられ、朝鮮戦争やベトナム戦争では米軍の補給、出撃拠点にされたものの、自衛隊が海外で戦争することはできません。日本国民の世論と運動が、改憲策動を食い止め、第九条を守ってきたからです。
侵略美化でなく憲法を
九条を変えようとする人々は、自衛隊が海外で武力行使できるようにすることを狙っています。現実にはイラクのような戦争で、米軍指揮下に戦闘行動ができるようにすることです。そのうえ、国会議員が群れを成して靖国神社に参拝し、小泉首相は参拝をやめるといわず、侵略美化の歴史教科書を検定合格させるなど、政府と与野党の一部政治家の間に侵略戦争を美化し肯定する動きが続いています。
これは、何千万人もが日本軍の犠牲になったアジアの国々、人々との「和解」に背を向ける態度です。アジアと世界で強まる平和、協力の大きな流れに逆行しています。
いま日本にもっともふさわしい「記憶」と「和解」への行動は、国民の世論と運動で憲法九条を生かし、侵略美化の言動を克服することです。