2005年5月2日(月)「しんぶん赤旗」
主張
遊休基地「返還」
米軍再編の取引条件にするな
政府は、米軍再編協議に伴って、米軍の遊休基地を洗い出し、米政府に日本に「返還」するよう提案しています。これまで、遊休基地無条件返還という国民の要求に背を向けてきた政府が、いま、遊休基地の「返還」をもちだすのは、米軍再編をすすめるためのてこにするねらいがあるからです。しかし、遊休基地の返還は、米軍地位協定にも明記されている米軍の当然の義務です。
自治体と住民の反対
米軍は、八十八カ所の専用基地、共同使用可能な自衛隊の基地をふくめると百三十五カ所の基地(二〇〇五年一月現在)を使っています。日米両政府は、この基地態勢を、アメリカの先制攻撃戦争の際、世界のどこであっても出撃できる使い勝手のよいものにするため再編しようとしています。二月に日米安保協議委員会(「2プラス2」)を開いて、米軍再編の加速を約束しました。
米軍再編は、新たな基地被害と負担を国民に強いるもの。そのため、名前のあがるたびにどこでも自治体と住民が一体となった反対運動がひろがり、政府の思うようにいかない状況になっています。
アメリカの有事の際、アジアなど紛争地域に投入される常設統合任務軍を指揮する陸軍第一軍団司令部の移転先とされる神奈川県座間市は、市長・議会・住民が一体となって大きな反対運動を展開しています。自衛隊東富士演習場(静岡県)などでも大きな反対運動となっています。
政府は、こうした反発をやわらげるために、表向きは自衛隊が「主役」であるかのように見せかける基地の共同使用や、遊休基地を洗い出して米政府に「返還」をもちかけています。遊休基地の一部が「返還」できれば、「米側も譲歩している」という印象を与え、関係自治体に米軍再編受け入れを押しつけやすくなると考えているのです。
政府は、遊休基地の返還について、「平時に使われてなくても万が一の場合に使わなければならない」(一九九二年五月六日 佐藤外務省北米局長=当時)と言ってきました。早くから遊休化していたことが明らかな相模総合補給廠(しょう)などについても、「返還義務の対象と判断していない」(九五年十一月六日 折田外務省北米局長)などといって、国民の要求を拒絶してきたのです。
〇三年には、遊休基地化していた神奈川県の上瀬谷通信施設、深谷通信所、富岡倉庫地区の無条件返還の要求運動が大きくなり、返還がさけられなくなりました。ところが、政府は、無条件返還を米政府に要求するのではなく、それとの交換であるかのようにして、首都圏に残った貴重な自然の宝庫・池子の森の横浜市分に新たな米軍家族住宅七百戸の建設を約束しました。
国民の願いに背を向ける卑屈な態度としかいいようがありません。
無条件返還を求める
米軍地位協定は、遊休基地の返還について、「必要でなくなったときは、いつでも、日本国に返還しなければならない」と明記しています。相模総合補給廠(神奈川県)、多摩サービス補助施設(東京都)、赤坂プレスセンター(同)、牧港補給地区(沖縄県)など、遊休基地は、全国各地にあります。米軍が無条件に日本に返還しなければならないものです。返還を条件に、国民に米軍再編を押しつけるようなことは、許される道理がありません。
遊休基地は、ただちに無条件で返還し、国民に危険と犠牲をおしつける米軍再編をやめるべきです。