2005年4月30日(土)「しんぶん赤旗」
命ないがしろにしたJR西日本
娘の夢、未来消えた
脱線事故で亡くなった 中村道子さんの母
「間違いであってほしい。どこかで生きてて」。祈るような願いも砕かれました。JR福知山線の快速電車脱線事故から四日目の二十八日、大阪市の藤崎光子さん(65)は、娘の中村道子さん(40)の遺体を確認しました。(菅野尚夫)
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「もしかして」と娘・道子さんに異変を感じたのは、脱線事故のあった二十五日の午後になってからでした。兵庫県川西市に住む道子さんは、藤崎さんと母娘で印刷会社を営んでいました。この日朝、道子さんは出勤してきませんでした。
道子さんには「子どもの授業参観やPTAには出席しなさい」と言ってきました。一人娘の道子さんを育てながら、日本とアジアの平和のこと、民主主義や人権を守る活動にたずさわってきた藤崎さん自身、娘の小さいころ学校行事にはほとんど参加できず、働き続けてきたからです。「もう少しこの子(道子さん)のそばにいてあげられれば」という思いもしてきたからです。このときも「子どもの用事があって遅れているのだろう」と、遅刻の連絡がないことにも気にとめませんでした。
メールの返事なく
午後に外出先から職場に帰っても、なお連絡がありません。不安を覚え、携帯にかけ続けました。孫の海里君(14)からも「メール二回送ったけれども返事がない」と、連絡が入りました。「メールには必ずすぐに返事を返す道子なのに変」。テレビで報道されている事故に巻き込まれているのでは、との思いがよぎりました。
「何でもいい。情報をつかみたい」。インターネットで収容先の病院を検索し、電話で道子さんの消息をたずね回りました。かけてもかけても手がかりはありません。
遺体の安置されている尼崎市記念公園総合体育館に向かいました。JRや警察からの情報は乏しく「何にも手がかりがないまま時間だけが過ぎた」といいます。
泊まり込んだ体育館。三十分ごとに発表されるこまぎれで断片的な情報。「次はうちの番か」と耳をそばだてて聞きました。「一人だけでも奇跡的に生きてて。ふらっとでもいい帰ってきて」。思いは揺れ動きました。それだけにJRのごまかしの発表が分かるたびに、「怒りのやり場がなかった」。
二十七日午後十一時五十八分。「年齢十八―二十五歳」とされた身元不明の女性の遺体が体育館に搬送されました。発表される特徴や所持品。それでも「わが娘」とは判別つきませんでした。
道子さんの夫・中村重男さん(47)と海里君とが服やネックレスで確認しました。遺体の損傷が激しく、正視できない状態でしたが、一目で道子さんと判別しました。
不適切なJRの対応にいらだち、罵声(ばせい)の上がる体育館。「本当に悪いのは命をないがしろにしたJR西日本」と叫びつづけた三日間。
中国に「教育里子」
来年には、娘と孫とで中国の山村を訪ねる計画でした。中国の山村に住む「教育里子」に「教育里親」として毎年学資を送っていて、その中国の高校生に会いにいこうと計画していたのです。それもかなえられない。一人娘と約束した夢や未来が、列車脱線事故の衝撃とともに砕け散りました。
「戦争でも企業の犯罪でも、罪のないものが殺される。最新の列車自動停止装置(ATS)の導入をしていれば防げた事故です。残された人生を安全確保よりも企業利益を優先したJRの責任追及のためにつくしたい」
二十九日の通夜、三十日の告別式に誓う藤崎さんです。