2005年4月18日(月)「しんぶん赤旗」

「昭和の日」法案

侵略の歴史を 祝わせるのか 

憲法の原則踏みにじる


 昭和天皇の誕生日である四月二十九日を「昭和の日」とする与党議員提案の法案が、自民、公明、民主の賛成で衆院を通過(五日)、十三日に参院内閣委員会に付託されました。最初に法案を提出してから五年がたち、過去二回廃案になっているものです。(村木博)

与党・民主賛成で衆院通過

 法案の提案理由では、昭和という「この時代を象徴する四月二十九日を、昭和を記念する『昭和の日』とする」としています。

祝日法にも反し

 しかし、昭和天皇は、アジアで二千万人、日本国民三百十万人の犠牲という未曽有の惨禍をもたらした侵略戦争を推し進めた最高責任者です。

 その人物の誕生日を「昭和の日」として国民の祝日にするのは、「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の趣旨にも反するものです。

 祝日法は何よりも憲法の精神にのっとって祝日を定めることを強調しています。その第一条では「自由と平和を求めてやまない日本国民」が「こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日」を国民の祝日にするとしています。

 この法律は一九四八年七月に公布・施行されています。当時の衆院本会議の提案・趣旨説明では、祝祭日が「国民主権と自由平等と永久平和とを標榜(ひょうぼう)」する憲法のもとで改訂の必要に迫られたとのべています。そして祝日の選定基準に(1)新憲法の趣旨にそったもの(2)国民大衆をあげて容易に納得し、参加できる―の二点をあげています。

 この理念にたって、明治天皇の誕生日だった「明治節」は廃止して文化の日(十一月三日)に、皇室祭事である「新嘗(にいなめ)祭」(十一月二十三日)も勤労感謝の日となるなど、「宮廷中心の祝祭日」の名称は否定されました。

 昭和天皇が死去した一九八九年、四月二十九日を「昭和の日」とする意見もありましたが、当時担当した内閣内政審議室長は、「明治天皇のお誕生日であったのは十一月でございますけれども現在は文化の日になっている等々の祝日法の建前から考え」て、「みどりの日」にしたと答弁しています。

 推進派は「昭和を象徴する日」と主張しますが“国民大衆あげて容易に納得できる”日でしょうか。天皇死去の年の世論調査では「太平洋戦争」「原爆投下」「敗戦」が三大事件としてあがり、国民の認識は一様ではありません。昭和天皇誕生日を押しつけるのは国民感情にも合いません。

わずかな審議で

 「昭和の日」制定は憲法の国民主権、平和、民主主義の原則を踏みにじるものであり、靖国神社参拝、歴史教科書問題など、侵略戦争を肯定・美化する動きと軌を一にするものです。

 これほどの重要法案にもかかわらず、衆院内閣委員会の質問者はたった二人。「共産党から唯一の委員である吉井英勝氏が質問、反対討論と孤軍奮闘したが、審議はわずか1時間で終わった。本会議は討論もなくたった数分間」「二大政党化時代の一断面を見た思いがした」(「朝日」四月七日付夕刊)という状況でした。

 もう一人の質問者、民主党議員は「大変大きな意義ある法案」と賛成。法案が初めて提出された二〇〇〇年当時民主党は反対の態度でした。それが〇三年には「常に歴史の教訓として想起する記念日が設定されることに対して、とくに反対する格別の理由はない」(枝野幸男政調会長=当時)と態度を転換。党内に反対議員もいるなかで当時の菅直人代表は「(次の)政権政党として、これをふまえた行動をお願いしたい」と説得しました。

 歴史問題でアジア諸国からいま厳しい目が注がれています。祝日法とその選定基準にも反し、歴史の流れに逆行する「昭和の日」法案を、このまま強行するなら禍根を残すことになります。


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