2005年4月2日(土)「しんぶん赤旗」
墜落の恐怖 舞い戻る
イラクから米軍ヘリ
イラクに出撃していた米海兵隊のヘリ部隊二十二機が一日、県民の抗議のなか沖縄への帰還を強行しました。昨年八月に沖縄国際大学(宜野湾市)に墜落したCH53D大型輸送ヘリと同型機の三機を皮切りに、午前八時ごろから、普天間基地(同)に次々と着陸。同市の伊波洋一市長は「県民の声を無視し、沖縄に居続ける意思を示したものだ。歯を食いしばっても、ヘリを追い出し、基地を返還させる」と表明しました。
CH53Dの着陸後、CH46輸送ヘリ十二機などが黒煙を引きながら、市街地上空を旋回。「バラバラバラ…」と爆音を響かせ、午前十時すぎまでに計二十機が同基地に着陸しました。このほか、CH53D二機が米空軍嘉手納基地(嘉手納町など)に着陸しました。
この日は、県民の三人に一人の命が失われた六十年前の沖縄戦で米軍が本島上陸を開始した日。その日以降、沖縄は「基地の島」の現実が強いられ続けてきました。宜野湾市の安里猛助役は在沖縄海兵隊司令部に「このような日の帰還は許されない」と抗議しました。
稲嶺恵一知事も「極めて遺憾」とするコメントを発表しました。普天間爆音訴訟団など市民・労組の三団体は同日夜、普天間第二小学校で抗議集会を開催し、約四百五十人が参加。日本共産党の赤嶺政賢衆院議員が駆けつけました。壇上で小学三年生の久場るこさん(8っ)は「基地は引っ越してほしい」と訴えました。