2005年3月23日(水)「しんぶん赤旗」
強制労働で犠牲の朝鮮人
60年ぶりに親族が墓参
住民、大切に守り続ける
高知・大月町
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高知県幡多郡大月町柏島地区では戦後、住民たちが朝鮮人強制連行の犠牲になった男性の墓を共同墓地で大切に守ってきました。長年、親族の消息が分からないままでしたが、長女、朴孝辰(パク・ヒョウジン)さん(65)=韓国・木浦市在住=と、孫の趙承勲(チョウ・スンフン)さん(38)=仙台市在住、東北大大学院生=がいることが分かり、このほど六十年ぶりの墓参が実現しました。スンフンさんは「民間レベルで戦争や差別を乗り越えた交流があったのだと分かってうれしい」と語っています。(前田泰孝)
墓標には、日本政府が朝鮮人に強要した日本名「新井義吾」が刻まれ、裏に四人の名前が記されています。二人の証言から「新井義吾」は「朴二東(または同)=パク・イドン 韓国全羅南道出身=」で、四人は、妻、母、おいと、娘であるヒョウジンさん自身であることが分かりました。
高校生調査
パクさんは一九三九年に出稼ぎで訪日。四四年十二月から親族四人と柏島地区で強制労働に従事し、四五年二月五日に、発破作業の爆発事故で亡くなりました。
ヒョウジンさんは十六歳の時、育ててくれたおじから実父の存在を聞かされ、墓がある場所として「シコク、コウジャン(鉱山のこと)、カシワジマ」の三つの言葉を残してくれました。
日本に定住したスンフンさんが探しましたが、「コウジャン」を地名と思い込んだこともあり、場所が分かりませんでした。
韓国の盧武鉉政権が朝鮮人強制連行者捜索に乗り出したことが転機となり、パクさんの戸籍謄本が見つかりました。これをもとに、大月町や朝鮮人強制連行問題を調査してきた高知県幡多郡の高校生平和サークル「幡多ゼミナール」に問い合わせ、場所を特定できました。
史実後世に
墓のできた経緯はよく分かっていません。三十八年前に大雨で墓が流出した際、住民総出で海が見渡せる高台に墓石を運び、現在の場所につくり直しました。九五年には行政と住民が協力して寄付を募り、史実を後世に残す慰霊碑を墓の近くに建てました。
二人は十九日、太平洋を一望できる柏島地区の墓地を訪れました。真新しい花が飾られ整然としています。ヒョウジンさんは「雑草生い茂る人里離れた場所にポツンとあるぐらいに思っていた。感謝に耐えない。私の名前も忘れられることなく刻まれていた」と涙を見せました。
あの時代、なぜここまで異国の人を受け入れることができたのか。
当時、強制連行に従事した山本文子さん(84)は「日本人も朝鮮人も戦争の犠牲者。道路工事に一軒一人三十日の労働を割り当てられた。日本人もたくさんの事故で傷ついた。あのころを思うと胸が張り裂けそうになる。土地の者は朝鮮の方の死を他人事とは思えない」と声を詰まらせました。
スンフンさんは「日韓の過去の歴史からお互い何を学び取るかが大事。国家間では対立があるけれども、住民レベルでは交流が広がっていることを実感した。私もその懸け橋の一つになりたい」と語っています。