2005年3月21日(月)「しんぶん赤旗」
イラク戦争2年
日本は恒久出撃拠点
在日米軍 ファルージャ攻撃参加
約1万人が参加
開戦から二年がたったイラク侵略戦争――。在日米軍は約一万人が参加、その後のイラク占領支配でも部隊を絶え間なく派遣してきました。このことは、日本が米国の無法な戦争のための恒久的な出撃拠点になっていることを示しています。
イラク戦争に参加した主な部隊は▽横須賀基地(神奈川県)を母港にする空母キティホーク戦闘群など五隻▽厚木基地(同)の空母キティホーク艦載機部隊▽三沢基地(青森県)のF16戦闘機部隊▽嘉手納基地(沖縄県)のF15戦闘機部隊――など。
開戦初日に横須賀のミサイル巡洋艦が先制攻撃の火ぶたを切るミサイル攻撃に加わったのをはじめ、厚木のキティホーク艦載機が残虐兵器クラスター爆弾を投下するなど、激しい攻撃を繰り返しました。
沖縄からは二〇〇四年二月、米海兵隊の歩兵部隊とヘリ部隊がイラク占領を支援するため派遣されました(約三千人)。同年八月には、「第三一海兵遠征隊」と呼ばれる緊急即応部隊約二千二百人が、佐世保基地(長崎県)を母港にする強襲揚陸艦エセックスなど三隻に乗り込んでイラクに向かいました。
大量の市民殺害
前者のイラク派遣部隊は同年四月に、後者の部隊は同年十一月に、大量の市民を殺害したファルージャへの攻撃で最前線に立ちました。
イラク戦争後、三沢、嘉手納、横田基地(東京都)の空軍部隊からは後方支援要員が百―三百人規模で、同国やアフガニスタン、その周辺地域に定期的に派遣されてきました。海外の紛争地への遠征出撃を目的に創設されている米空軍の航空遠征軍(AEF)としての派遣です。
派遣されているのは、建設、通信、医療、兵たん、整備、気象、憲兵などの部隊に所属する兵員。今年一月にも、三沢と横田から計二百八十人が派遣されています。
このほか、沖縄から米海兵隊の特殊偵察部隊や横須賀の駆逐艦などもイラク作戦に派遣されています。