2005年3月13日(日)「しんぶん赤旗」

戦後60年 ドイツ各地で催し

「隣人だったユダヤ人資料展」

普通の人々が収容所に


写真

ベルリンのシェーネベルク区役所で開かれている「隣人だったユダヤ人資料展」

 戦後六十年の今年、ドイツではさまざまなレベルでナチス解放記念行事が計画されています。ベルリン市区役所でも現在、十二区中十一区で計画されています。企画は「ポーランドとドイツの子どもたちの祖父母の戦争体験を聞く会」(パンコウ区)「ナチ時代のシンティ・ロマ(ジプシー)大量虐殺についての展示会」(トレプトウ・ケーペニク区)など多彩。その一つ、テンペルホフ・シェーネベルク区役所の「隣人だったユダヤ人資料展」を訪ねました。(ベルリン=片岡正明 写真も)

 会場に入ると、当時この地域に住んでいたユダヤ人の一生を記した小冊子が九十八冊展示されています。この地域に生きた九十八人の現在までの人生と家族の物語が、各冊子で、多くの写真を使って説明されています。

追放カード壁に6千枚

 ドイツ共産党員として反ナチの宣伝活動をした活動家や、体操選手としてオリンピックで活躍しながら強制収容所で命を落とした兄弟など。相対性理論で知られる理論物理学者アルバート・アインシュタインやユーモア作家クルト・トゥホルスキーなど、ここに住んでいた有名人の小冊子もあります。

 展示場の壁には、ベルリンのこの区域から追放されたユダヤ人の名前と、追放の日付を書いたカードが張り巡らされています。その数、六千枚。

 戦争前はベルリンに十六万人、バイエリッシェ通り区域といわれた現在のシェーネべルク区役所付近にも一万六千人のユダヤ人が住んでいました。ベルリンで六万人、バイエリッシェ通り区域で六千人が「追放」され、強制収容所・絶滅収容所でほとんどの人が命を落としました。

 四十五分間の映像では、かつてここに住んでいたユダヤ人と隣人だったドイツ人の双方が当時の状況を証言します。

世界中から資料集めて

 同区教育文化局のカタリナ・カイザーさんは、「ここにもかつて多くのユダヤ人が普通に生活していたということを知ってほしいと企画しました」と言います。

 「子どもたちは強制収容所の怖い写真だけでは自分に引きつけることができません。この通りに、この人が普通に暮らしていたけれど、ナチスによって迫害を受けたり、強制収容所に送られたりした。何人かの人たちは今も生きている。みんな、ナチスがなければここで生きていたかもしれない。自分たちにつながる隣人だったということを訴えたいのです」

 資料はユダヤ人協会などの協力の下、イスラエル、米国、ロシアなど、現在、世界中に散らばっているユダヤ人家族から集められました。

 展示資料に見入っていたマルガリーテ・シェーファーさん(64)は「私の住んでいるアパートも昔はユダヤ人の家族が住んでいたと聞きました。本当に隣の普通に生活していた人たちが強制収容所送りになったんですね。ほかの人たちにもぜひ見てもらいたい」と語っていました。

 一日平均で二組の見学の生徒が訪れるほか、百五十人から二百人の訪問者があります。アウシュビッツ絶滅収容所解放六十年にあわせ一月二十八日に始まった展示会は、四月三日まで続きます。


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