2005年3月9日(水)「しんぶん赤旗」

「学童疎開展」始まる

連絡協議会の調査を公表

戦災孤児 9割が街頭生活


 終戦後十二万人に上った孤児のうち施設に収容されたのは一割に満たず、収容先での死亡率も高かったらしい―。東京都墨田区の江戸東京博物館で八日始まった「語り継ぐ学童疎開展」(十三日まで)で、戦災孤児の実態が紹介されています。主催の「全国疎開学童連絡協議会」(疎開協・港区)の調査で一端が明らかになりました。

 疎開経験者らでつくる疎開協は、体験を伝えるための調査活動を続け、数年ごとに疎開展を開催しています。今回は孤児の収容先となった各地の寺や自治体を約一年かけて調査しました。

 その結果、全国で十二万三千人とされる孤児のうち施設に収容されたのは一万二千人(一九四八年、政府調べ)で、九割が街頭などで暮らしていたとみられる▽全国の孤児施設のうち公立のものは14%、都内では都立養育院(板橋区)だけだった▽六百人余りが送られたある養育院分院で一年間に三百十六人が亡くなっていた―ことなどが分かったといいます。また、疎開中に孤児になり、引き取り手がないまま病死した女児の足跡や、収容先の寺で亡くなった五百八十一人の孤児の墓石なども新たに確認しました。

 展示ではこれらの実態を示す文書や報道写真のほか、疎開中の生活の様子を伝える水彩画二十八点などをパネルで紹介。送り出した親の経済的負担なども伝えます。

 「実際の孤児は統計よりはるかに多かったのでは」と、疎開協調査部の山内幸夫さん(71)は語ります。やみ市などで暮らす孤児の多数が調査から漏れているとみられます。「戦時中、政府は孤児を責任を持って養育するとしていたが、守られなかった」。戦争とは政治だけでなく、国民生活の全部門が戦争体制に組み入れられること。「弱い立場に一番しわよせが行く。疎開や孤児の実態を知らせるのはわれわれの世代の責務」と嘉藤長二郎事務局長(71)は話しています。

 九日午後一時から、声優の堀絢子さんの一人芝居「そしてトンキーも死んだ」や、愛川欽也さんの講演「学童疎開時代への思い」、ドキュメンタリー映画の上演などがあります。問い合わせは博物館(03―3626―9974)へ。


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