2005年3月8日(火)「しんぶん赤旗」

主 張

日の丸・君が代強制

教育をこわす無法なふるまい


 希望と感動に満ちた卒業式にしたい。子どもも教師も、そう願っているのに、重苦しい空気が流れています。文部科学省や各地の教育委員会が「日の丸・君が代」を強制しているからです。

 東京都教育委員会は、式のやり方を事細かに統制して、多くの教職員を処分しています。これまで「君が代」を「胸を張って、堂々と歌い続けてきた」という教師が「強制には反対」の態度をとったら処分されたという例もあります。

 こんなことでいいのでしょうか。

子どものためになるか

 最近の学校の卒業式を見ていると、素朴な疑問がわいてきます。

 卒業式は、卒業生のための教育活動なのでしょうか? それとも、卒業証書を授与する校長が主役で、役人の指図、命令で実行する行政活動なのでしょうか?

 本来は前者であり、教育の一環のはずです。「日の丸・君が代」を強制する側が金科玉条にする「学習指導要領」でも、学校の「特別活動」の一つに入れています。

 教育活動として行われるのであれば、もっとも大事なのは、子どものためになるのかどうか、です。学び成長したことに自信をもち、人生の新たな段階に誇りを持って踏みだす機会にしたい、そのために、どういう式にするか――。こういう思いで、子ども・教師・親は、さまざまな努力をしています。それが大事な教育活動であり、創意性や自主的精神をはぐくむことにつながります。

 教育委員会が、「日の丸・君が代」を強制するために、舞台設定などまで細かく統制するなどということは、教育活動への不当な介入です。その乱暴さが際立っていたのが東京都教育委員会の通達です。肢体不自由児にまで一律に壇上の「日の丸」のもとで卒業証書を受け取れと強制するものでした。そのために、税金を使ってスロープを設置したりしました。卒業生の保護者は、「本人たちを思いやった結果ではない」と批判しています。

 職務命令を出させ、従わなければ処分。子どもが「君が代」をきちんと歌わなければ、それも指導が悪いせいだから処分の対象にする。こんな強権的なやり方は、もっとも非教育的なものです。

 「国旗・国歌法」や「学習指導要領」を根拠に、強制を正当化する議論もありますが、間違いです。

 国旗・国歌法は、一九九九年に制定されましたが、当時の小渕首相も、国民にたいして義務づけることは考えていないという国会答弁をしています。また、学習指導要領の規定についても、「児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨のものではない」と答えています。

 もともと、指導要領の一方的押しつけは、行政による「不当な支配」を禁じている教育基本法に反しています。指導要領をもってしても、教師や子どもへの強権的統制を正当化することはできません。

許されない人権侵害

 国旗・国歌法の制定は、政府が公的な場で使う根拠となるだけです。国民には、強制しないのが、民主主義の原則。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(日本国憲法第一九条)のです。「日の丸・君が代」に納得できないという人に、強制・強要はできません。人を育てる場なら、なおさらです。

 「日の丸・君が代」を「踏み絵」のように使うのは、人間の心を踏みにじる人権侵害です。教育をこわす無法なふるまいです。


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp