2005年3月2日(水)「しんぶん赤旗」
主張
沖縄の普天間基地
新基地建設の方針を断念せよ
沖縄の普天間基地問題で、アメリカのローレス国防副次官は、訪米した自民党議員らに「適切な移設場所を見いだすことが必要だ」「フラストレーション(欲求不満)を感じる」とのべました。発言のねらいは別にして、一九九六年十二月のSACO(沖縄問題に関する特別委員会)合意による県北部の辺野古(へのこ)沖に移設するという基地のたらい回しの破たんを示しています。
県民の拒絶は当然
ローレス発言は、辺野古沖での新基地建設が県民の大きな抵抗でめどがたたなくなっていることへの不満の表明です。
政府は、九九年に名護市辺野古沖への移設を閣議決定したあとも工事に入れず、二〇〇四年十一月になって護岸工事のための海底ボーリング調査を強行しました。しかし、作業台船の足場がサンゴ礁を削り、基地建設は美しい海を汚し、サンゴ礁を破壊するという県民の指摘を実証することになりました。美しい海は沖縄のいのちです。建設強行はさらに大きな怒りをかうだけです。
もともと、普天間基地は、アメリカが戦争をはじめれば海外での戦闘にまっさきに参加する“殴り込み部隊”の基地です。基地を離着陸する海兵隊の大型輸送機やヘリコプターの飛行訓練も実戦的で、宜野湾市の上空を訓練地同様に低空で飛びまわります。市民は、毎日墜落の危険におびえ、昼夜にわたる爆音で家族のだんらんさえ妨害されています。
普天間基地を県内のどこかに移すということは、移設先の県民に、基地の恐怖に耐えながら生活せよということと同じです。辺野古沖への移設は、名護市の市民に爆音被害をがまんし、恐怖に耐えよということです。美しい海を守り、普天間基地の危険からいのちと財産を守るために、県民が反対運動をすすめるのは当然のことです。日米両政府は、沖縄県民が戦後六十年間、基地に苦しめられている歴史を直視し、普天間基地と県民が共存できないという現実を理解すべきです。
大野防衛庁長官は、ローレス発言を受けて、辺野古に変わりはないといいながらも、新基地建設と米軍再編に「接点がある可能性は完全に否定しない」とのべました。町村外相も「可能性を排除しない」とのべました。辺野古沖以外の候補地探しを模索する意味のようですが、SACO合意による失敗をくりかえすべきではありません。伝えられる嘉手納基地への移転は、航空機が増えることによっていまでも耐えがたい爆音被害を増大させます。他の基地周辺も同じです。下地島は、運輸省(現国土交通省)と沖縄県が軍事利用しないという約束をしたところです。
沖縄には新基地建設を受け入れるところはありません。
新基地の建設計画はただちにやめ、世界一危険な普天間基地の即時閉鎖、早期返還にむけた日米交渉にふみだすときです。
増える「基地負担」
二月の日米安保協議委員会の共同発表は、沖縄の「負担の軽減」に言及する一方で、日米が共同対処する「共通戦略目標」のなかで中国と「台湾海峡」を明示しました。日米両政府が、在日米軍基地を、アメリカの先制攻撃戦略にもとづく「世界有事」の拠点とするとともに、中国、台湾向けでも戦略的に重要だということを確認したものです。沖縄の基地を、「負担軽減」どころか、再編強化することさえ狙っています。
米軍基地の撤去要求がいっそう重要となっています。