2005年2月26日(土)「しんぶん赤旗」

衆院憲法調査会しめくくり

山口富男議員の発言

(要旨)

方向性もつ報告書許されない


 二十四日の衆院憲法調査会での日本共産党の山口富男議員の発言(要旨)は次のとおりです。


調査会の目的性格とは何か

 憲法調査会の「しめくくり」にあたり、調査会の目的と任務は何だったのか出発点をあらためて確認しておきたい。

 設置の経過は一九九七年五月に共産、社民両党を除く各党国会議員が「憲法制度調査委員会設置推進議員連盟」を結成し、改憲論議の場を国会内につくろうとしたことが発端だった。

 しかし、実際に国会に設置された憲法調査会は、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」ことを目的にした議案提出権をもたないもので、憲法に検討を加えることを目的に一九五六年に内閣に設置された憲法調査会とは性格を異にしていた。

 したがって憲法調査会は、改憲を論議・検討したり、方向性を求める調査会ではなく、目的、性格にもとづいた「調査」でなければならない。

日本共産党が臨んできた立場

 わが党は憲法調査会の調査は、(1)憲法の先駆的内容を広範で総合的に明らかにする調査(2)憲法の基本原則に照らし現実政治の実態を点検する調査(3)「押しつけ憲法論」など改憲論の源流がどこにあるかの調査――が必要だと、二〇〇〇年二月の調査会で提起し、わが党はこの立場で五年間の調査に臨んできた。

 出席した参考人、公述人からも憲法の解釈と運用の実態、乖離(かいり)を生み出した原因の調査こそ調査会の任務であると指摘された。

正すべきは政治・行政

 しかし、調査会は「五年目には新しい憲法の制定を図る」(野田毅氏=現自民=二〇〇〇年)など、発足当初から改憲志向のスケジュールにそった動きにとりまかれた。

 そうした中でも、参考人や公述人らの発言には、貴重な提言や証言があった。

 九条問題では、小林武参考人が、憲法制定当初は政府も九条が全面的に戦争放棄、戦力不保持を命じていると学界と同じ立場をとっていたにもかかわらず、日米安保条約という政治上の必要に適合させるために解釈を変転させてきたと指摘。

 小熊英二公述人は、米国陸軍省の報告書の一部を示し、日本の再軍備と改憲の要求が米国側から出されたことを明らかにした。

 全国九カ所での地方公聴会や二回の中央公聴会、公募者による意見陳述は、憲法にたいする主権者・国民の意見をとらえるうえで貴重であった。

 広島地方公聴会で、元広島平和記念資料館長の高橋昭博氏が、被爆の苦しみ、悲しみや憎しみを乗り越え平和の喜びをかみしめながら立ち直れたのは、戦争放棄と平和主義をうたう憲法があったからとのべたこと。

 神戸地方公聴会で、当時神戸大学副学長の浦部法穂氏が、震災の公的支援を自立できるところまで行うことが、個人の尊重を定めた一三条の要請であるとのべたこと。

 沖縄地方公聴会で、沖縄戦の極限状況を体験した山内徳信氏が、戦後の米軍統治下の無憲法、無権利状況を生き、基地の島を見てきた者として九条を世界にひろげようと提案した。

 こうした意見は、多くの国民が自らの体験を通して日本国憲法の価値を実感していることや、憲法原則の実現を妨げている政治・行政こそただすべきであることを示した。

 しかし調査会では、憲法の先駆的価値や、現実との乖離を生んだ原因を明らかにする総合的調査は具体化されず、「広範かつ総合的な調査」たりえなかった。

最終報告書のあるべき姿は

 憲法調査会規程は、「調査を終えたときは、調査の経過及び結果を記載した報告書を作成し、議長に提出する」と定めており、一定の方向性をもたせる報告書の作成は本来許されない。

 しかし、二月三日の幹事会で示された「編集方針」は、委員の意見のテーマごとの類型化や意見の多寡を盛り込むとしている。これは、改憲に向けた事実上の論点整理になり規程を逸脱する。報告書は、「調査の経過と結果」を事実にそくして記載したものにすべきだ。

 「報告書」は、本会議への報告ではなく、議長への報告書提出にとどめるものとされており、これは議案提出権をもたない憲法調査会の性格上重要な規程である。つまり、「経過と結果」について何がしかのリポートで終わるにすぎないのである。



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