2005年2月25日(金)「しんぶん赤旗」 戦時中に連行「挺身隊」の訴え棄却名古屋地裁 日韓協定を理由に
太平洋戦争末期に「勤労女子挺身(ていしん)隊」として朝鮮から日本に連れてこられ、名古屋市にある三菱重工で過酷な労働をさせられ、戦後も苦難の人生を強いられた女性やその遺族が、国と三菱重工に謝罪と損害賠償を求めていた裁判の判決が二十四日、名古屋地裁でありました。佐久間邦夫裁判長は一九六五年に締結された日韓協定により個人請求権は消滅したとする国の主張を認め、請求を棄却しました。 訴えていたのは、梁錦徳さん(75)ら六人の元勤労女子挺身隊員と遺族の男性一人。 原告側の内河恵一弁護団長は「裁判長は日韓請求協定で棄却したが、きわめて政治的に解決された協定は原告としてはむなしいものが多い。協定があるからこうだと、原告の深い思いを切り捨てたものだ」と語りました。 当時十三歳から十五歳だった原告らは「日本へ行けば女学校に行かせる。お金ももらえる」などの約束で集められました。一九四四年六月から名古屋の三菱重工名古屋航空機製作所道徳工場で過酷な労働をさせられ、敗戦で四五年十月ごろ朝鮮に帰されました。 この間の賃金はいまだに支払われておらず、帰国後も過去の発覚で家庭が崩壊するなど、苦難の人生を歩まざるを得ませんでした。このため、謝罪と損害賠償を求め九九年三月に第一次提訴、二〇〇〇年十二月の第二次、〇四年の第三次提訴とあわせ同地裁で審理が行われて来ました。 訴訟弁護団と名古屋三菱・朝鮮女子挺身隊訴訟を支援する会は、直ちに「判決が原告らの受けた被害を認定しながら、日韓請求権協定をもって、被害救済を拒んだのは不条理の上に不条理を重ねるもの」だと批判する声明を出しました。 閉廷後、原告の人たちはぼうぜんとした様子。「この日を待っていたのに、この判決とは」と号泣する原告もいました。記者会見でも「何もいりませんが、とにかくいま日本の人たちの良心がいる」と、怒りを込めて切実な思いを訴えました。 歴史に背向ける高橋信・名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会代表世話人の話 歴史に背を向けた不当な判決です。しかし、真実をいつまでも隠し続けることはできません。原告は高齢化しており、今後は司法の場だけでなく、支援の運動をいっそう盛り上げ早期解決をめざしたい。 |