2005年2月22日(火)「しんぶん赤旗」 戦争離脱 世界の流れイラク撤兵 12カ国に米英軍に協力してイラクに駐留していたオランダ軍が二十日、撤退を開始しました。これに先立ちポルトガルは十日、旧ソ連のモルドバは十一日に、撤退を終えています。オランダ軍の撤退により、撤兵国は合わせて十二カ国になり、派兵国は最高時の三十七カ国から三分の二に減少。今後も駐留を継続すると表明している国は日本を含め二十カ国になり、米政権のイラク戦争加担から離脱する国際的な流れはいっそう鮮明になっています。坂本秀典記者 オランダ世論、駐留再延長許さずイラク駐留オランダ軍約千三百五十人は、日本の陸上自衛隊が活動するイラク南部ムサンナ州で治安維持の任務に当たっていました。同軍は二十日午前、三つの宿営地の一つから撤退を開始、イラク警察軍に引き継ぎを行いました。 オランダ国防省報道官によると、兵士全員を四月末までに安全に撤収させるために、約三百五十人の撤収支援部隊を本国からイラク入りさせています。陸上自衛隊が駐留するサマワからは三月に撤退し、治安維持の任務を英軍に引き継ぐことになっています。 オランダ政府は昨年六月に、今年三月を期限として派兵延長を決めました。その際、反対の強い国会の承認を得るため再延長は行わないと決定しました。これに対し米英両国は、駐留を継続するよう繰り返し圧力を加えました。日本も延長を要請していました。 これをうけオランダ政府や与党内には再延長論も浮上しました。しかし当初から強かった撤退を求める世論は衰えず、バルケネンデ政府は最終的に予定通りの撤退を決断しました。 ポルトガル、スペイン戦争支持派、選挙で大敗一方、去る十日に百二十人の警察部隊を撤収させたポルトガルで二十日に総選挙が行われ、イラク戦争を支持していた保守系与党、社会民主党が大敗して世論の厳しい審判をうけました。 ポルトガルでは当初から国民の三人に二人がイラク戦争に反対でした。しかし社会民主党のバローゾ首相は米英の戦争支持を表明。イラク攻撃開始を確認した一昨年三月の米英スペインの首脳会談に会場(アゾレス諸島)を提供し、みずからもホスト役として出席しました。 今回の総選挙で勝利した社会党のソクラテス書記長は、「ポルトガルで外交政策は常に政党間のコンセンサスがあった。これがつぶされたのは一度だけで、それがこの首脳会議だった」と、政府の戦争協力を批判していました。 日本の小泉政権大義崩れても米に忠義憲法に逆らい、米国によるイラク軍事支配に加担する自衛隊派兵―。各国軍隊の撤退が相次ぐなか、小泉・自公政権は、派兵するにあたって、みずから掲げた「大義」が崩れ去った今も、派兵にしがみついています。 首相がイラク戦争支持の大前提としていた大量破壊兵器がそもそもなかったことが明らかになりました。ついに首相も「私も、あのころはいずれ見つかるんじゃないかと思っていた。しかし、結果的にはないということ」(一月二十七日、衆院予算委)とのべ、保有と断定したことが間違っていたことを認めざるをえなくなっています。 それにもかかわらず、「予想と見込みがはずれる場合もある」(同前)と平然。「今でも(戦争支持は)正しかった」と強弁しています。 首相は派兵を「人道支援のため」とも繰り返します。しかし、陸自派兵の最大の目玉だった「給水」は、二月四日までに「基本的に終了」(防衛庁)。 理由にあげているのは、政府開発援助(ODA)によってイラクに供与された浄水施設が、宿営地近くで稼働を始めたため。政府の言い分からいっても、自衛隊が駐留し続ける理由が問われる事態になっています。 自衛隊の派兵先であるサマワでは、陸上自衛隊宿営地への攻撃が相次ぎ、「非戦闘地域」との虚構も完全に破たん。一月には、これまでなかった信管が付いたロケット弾も撃ちこまれる事態になっています。 それでも派兵を継続するのは米国への忠義を示すため。米軍による横暴なイラク支配に加担し、自衛隊員の命まで危険にさらしているのです。田中一郎記者 イラク派兵国の状況撤退または撤退を開始した国 12カ国
派兵継続国 20カ国
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