2005年1月1日(土)「しんぶん赤旗」

新人看護師が語る中越大震災

患者が患者おぶい避難

全員無事、勇気もらった


 非常ベルが鳴り続く。「もうだめと思った」――。新潟県中越大震災で大きな被害を受けた新潟県小千谷市の小千谷総合病院(二百六十五床)。いま医療スタッフは「負けてはいられない」と、大みそかも、新年も休みなく患者の安全と命を守る勤務を続けています。 菅野 尚夫記者


 昨年十月二十三日夕の中越地震。看護師の岩本千恵さん(22)と赤堀かおりさん(22)は、それぞれの病棟ナースステーションで夜勤についたばかりでした。ドーンと突き上げるたて揺れ。電気が消えて暗やみの病室に。しばらくして電源が自家発電に切り替わりましたが、非常ベルが院内に鳴りつづけました。

もう駄目だと覚悟したが…

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院内で患者に声をかける看護師の岩本千恵さん(左端)と赤堀かおりさん(中央)

 四月に看護師になったばかりの赤堀さんは、たて揺れと天井から降ってくる水に「もう駄目だ。ここで死ぬ」と覚悟しました。

 岩本さんも四月に看護師になって、この日は夜勤独り立ちの日でした。激しい揺れのなか、「何をしなければならないのか分からず、ただぼうぜんと立っていた」と語ります。

 「これして。早く!」。看護師長の指示で二人はわれに返りました。その日から四日間連続して病院での泊まり込み。岩本さんの自宅は崩れ、家族は小千谷総合体育館で避難生活に。

 小千谷総合病院は、市立病院がない小千谷市で、事実上公立病院の役割を果たしてきました。地震が起きたときには四階から七階までの病棟に二百十九人の患者が入院中。手術直後で人工呼吸器を装着した患者が三人。その内一人は集中治療室に入っていました。手術後間もない急性期の患者、二十五人もいました。

 一人のけが人も出すことなく、四階から七階の入院患者を一階のホールに大量避難をさせることができたのは「奇跡的」でした。

 「叫んでいる患者さんを前にどうしよう、どうしようと焦るだけでした。『落ち着いて座りなさい!』と先輩から言われてわれに返りました」と赤堀さん。急性期の患者が集中していた六階病棟勤務。停電で人工呼吸器が動かなくなりました。繰り返し襲う余震。ゴム製の蘇生(そせい)バックを手でもみつづけて、握力がなくなるまで酸素を送り続けました。

 担架が足らなくなり、「どうしよう」と迷う岩本さんを助けたのは患者でした。「元気な患者さんが歩けない患者さんをおんぶして一階までおりてくれました。患者さんの勇気に学びました」といいます。

高校生のとき父親を亡くし

 高校生のとき部活の仲間を交通事故で亡くし、「人の命を助けたい」と看護師になった赤堀さん。岩本さんは高校一年生のときに父親を亡くしました。そのときの体験から、「患者の家族を思いやれる看護師になろう」と思いました。

 夢かなって看護師になって間もないなかで体験した大震災。「患者が急変した場合の対応についてもっとしっかり勉強したい」と赤堀さんは振り返ります。岩本さんは「患者さんや家族の声をじっと聞く看護師になる」ことが抱負です。

 「職員が一丸となって頑張ってくれました」と振り返るのは横森忠紘院長。被災後、日本共産党の小池晃参院議員らと会い、「涙が出る」と励まされる気持ちを語りました。

 二人の看護師と話し合う横森院長。「被災地域の復興を担う病院として、若い看護師の役割は大きい。岩本さんは、自宅が被災し避難所暮らしのなかで、赤堀さんは地震のあった日は死ぬような体験をしても患者の命と安全を守ってくれました。そうした若い人の力を病院運営に生かし新しい病院をつくります」と語りました。



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