2004年12月28日(火)「しんぶん赤旗」

日本共産党新潟県中越大震災救援センター

林通文責任者に聞く (上)

被災者を思う心に触れて


 「日本共産党新潟県中越大震災救援センター」は、新潟県中越地震から二カ月余の二十八日に活動を終了します。地震直後から現地に設置した「救援センター」の活動終了、センター閉鎖にあたって同センターの林通文責任者(党幹部会委員)にこの間の活動を聞きました。

活動もメンバーも多彩だった

山奥まで物資届け、文化活動も

写真
被災した家の床を直す「大工隊」のボランティア=19日、新潟・小千谷市

 センターを立ち上げてから二カ月になりますが、私自身大変な感動の連続でした。全国のみなさんと交わる機会になったので、国民の被災者を思う心というものにこんなにじかに触れたことはありませんでした。改めてご協力いただいた党員はじめ国民、県民のみなさんに感謝申し上げます。

 十月二十六日がセンター立ち上げでしたが、翌日の大きな余震にまずびっくりしました。しばらくなかったのですが、十二月二十三日にも震度4の余震がありました。余震の怖さのなかでの活動でした。得難い経験をさせてもらいました。

 ボランティアとしてセンターに来ていただいた人が一万一千人を超えました。救援募金も台風、水害を入れてですが二億円を超えます。センターでも随分多くの人たちから直接救援募金をいただきました。物資についても、この数日でも愛媛や和歌山からミカンが届く、青森からリンゴが届くというなかで、のべ八千箱を超えました。

町の話題に

 センターはやむなく閉鎖するわけですけれども、ご協力いただいた党員、国民、県民のみなさんに支えられての二カ月間だと思います。

 センターの活動について一番大きいのは、これまでの地元党組織、議員の奮闘があったのでしょうが、これほど広範囲にわたって日本共産党と党ボランティアが町の話題になったことはないのではないでしょうか。「党はよくやるの」とか「物資をいただきました。ありがとうございました」という声から、「こんなところまで来ていただいて」という感謝の声など、非常に温かい反応が返ってきています。あるところでは宣伝カーを止めて、窓をたたいて「ありがとう」という言葉をかける人もいました。

 山古志村の人たちが入る避難所や仮設住宅にも、豚汁、物資のフリーマーケット、湯飲み茶わんを持って訪ねながら要望を聞く活動をしました。ある日、帰る車を止める人がいたのです。長島村長でした。村長は「みなさんにお礼を申し上げたくて駆けてきた」といいながら三台の宣伝カー一台一台に声をかけました。こういうこともその現れだと思います。

 ボランティア活動は実に多彩な取り組みをやりました。

 たとえば物資届けの問題で言えば、全国から寄せられた物資を届けるのは当初避難所中心でした。避難所中心から、テントやガレージで自主避難している人、自宅にとどまっている人、地域にずーっと入っていきました。やがて山奥の人のところまで入っていきましたが、行政からは声すらかけてもらえないというところだけに、「よく共産党来てくれたね」と言うんです。そのことだけで、感謝されるということがすごくありました。

 それから要求を聞く、何よりも話し相手になる。これは大変喜ばれました。片づけ仕事ではキノコ園の話もありました。

 これはキノコの菌床をつくるために棚を直し、つくるという活動をやりました。棚の足パイプを溶接するという話になったとき、ちょうど溶接工もいましたので、見事にやってのけた。ボランティア活動も多彩でしたけど、メンバーも多彩だったですね。

 何度も何度も「ありがとうございました」と、大変な感謝だったといいます。数日後訪ねたら、もうキノコがにょきにょき生えていました。「ああよかった。生産のめどがついた」とまた感謝されました。それだけでこちらもジーンとくる、そういうこともありました。

 小千谷市での青年の収穫隊の話も感動的でした。地震で道がだめになって、山の上の畑に行けない。片道二キロの道のり、もう今年はだめだと思っていたんだけれども、来てくれた。泥道を一輪車でダイコンやハクサイを運んだのが五往復、八往復と数十キロの山道を。本当に感動的でした。同じように今年の収穫をあきらめていた人たちに伝わって広がりました。これも党と党ボランティアへの信頼をうんと高めました。

専門生かし

 もう一つは、専門家がボランティアとして随分来たということもあげられます。

 片づけ、引っ越しの関係では一級建築士とか大工さん、瓦職人などがニュースの呼びかけに応えて来てくれました。専門性が要求されることにも基本的に応えたんじゃないでしょうか。

 青年ボランティアの活動も実にユニークでした。受験生に、避難所の中で勉強スペースを確保しようという、息の長い活動をやりました。仮設を実際一つ一つ訪ねて交渉し、川口町などで勝ちとっています。

 それから心をいやす文化的な活動、そういうことが多面的に取り組まれたのも特徴ですね。愛とヒューマンのコンサートでは、チェロとピアノの演奏会、松平あきらさんのトランペット、腹話術、太鼓など、いろいろ来ていただきました。健康体操の指導も喜ばれました。一月に入ってからもまだきます。

青年の成長

 ボランティア自身も成長しました。これもセンターの中での活動の一つだと思います。青年も“元青年”も「人の役に立ちたい」「自分自身が人の役に立てる存在、社会が必要としているんだということを自覚する」。このことが大きい。それが今度の活動をつうじていっぱいあります。

 もう一つあげれば、それぞれの特性を生かしながら、自主的自覚的規律で結ばれていることでしょう。たとえば朝ご飯づくりは、女性のボランティアが自主的に始めたんです。いつからか男性も合流しました。川口町、小千谷市とかにボランティアが出かけると、夕方まで帰ってこれない。だからお昼ご飯のおにぎりとおかずをみんなに持たせてやる。これはなかなかのものです。朝は四時半ごろに起きていました。そして夕方帰ってくれば「お帰りなさい」といって迎える。一つの家族のようでした。

 トイレ掃除も、当番を決めたわけではないが、共同のものをきれいに使おうということでやられました。また毎日二トントラックでゴミが出る。その処理を毎日黙々とやっているおじさんがいる。こういう人たちが、全体に強制されたわけではないんだけども、みんなが支えてセンターが維持されました。被災地を回るだけでなく、これも見事な活動でした。(つづく)



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