2004年12月25日(土)「しんぶん赤旗」
政府が二十四日に発表した、北朝鮮から提示された情報・物証の精査結果の全文は次の通り。
安否不明の拉致被害者に関する再調査
(北朝鮮から提示された情報・物証の精査結果)
2004年12月24日
11月9日から14日まで北朝鮮・平壌で開催された第3回日朝実務者協議において、北朝鮮側から、安否不明の日本人拉致被害者に関する先方の再調査の結果につき情報提供があり、あわせて関連文書等の物的証拠が提供されるとともに、関係者との面会が設定された。
政府はこれらの情報・物証について、これまで鋭意精査を進めてきたが、今般、その結果をとりまとめたところ次のとおり。
1、これまでの経緯と第3回実務者協議について
(1)本年5月22日の小泉総理大臣の二度目の訪朝に際して行われた日朝首脳会談において、小泉総理から強く要求した安否不明の拉致被害者の消息確認について、金正日(キム・ジョンイル)国防委員長は、改めて「白紙」に戻して徹底した再調査を行う旨約束した。これを受けて本年8月と9月に北京で開催された日朝実務者協議においては、安否不明の拉致被害者に関する北朝鮮側の再調査の状況についての説明が行われたが、北朝鮮側からは自らの説明を裏付ける物証を含む具体的根拠は一切示されず、極めて不十分な結果となった。
(2)このため、政府としては、北朝鮮側「調査委員会」の責任者から直接説明を受け、また、「調査委員会」やその他関係者との質疑応答を行うことが必要であると判断し、第3回実務者協議は我が方代表団が平壌に赴いて行うこととした。
(3)11月9日から14日まで開催された第3回協議では、陳日宝(ジン・イルボ)人民保安省捜査担当局長を委員長とする北朝鮮側「調査委員会」との協議及び「証人」からの直接の聴取等を合計50時間余りにわたって行った。
(4)北朝鮮側「調査委員会」からは、(イ)先の日朝首脳会談において金正日国防委員長より「白紙」に戻しての再調査を約束したことを踏まえ、本年6月3日、政府から必要な権限を与えられた「調査委員会」が設置され、同委員会が特殊機関を含む関係機関も調査対象にしつつ、鋭意調査を行ったこと、(ロ)その際、生存者がいれば全員帰国させるとの方針で調査を進めたことにつき説明があったが、結論としては、2年前に日本側に対して通報があった「8名は死亡、2名は入境を確認せず」と同じ内容の調査結果の通報があった。
(5)北朝鮮側「調査委員会」からは、物的証拠として、(1)横田めぐみさんの「遺骨」とされるもの、(2)松木薫さんの「遺骨」である可能性があるとするもの、(3)横田めぐみさんの「カルテ」とされる文書、(4)刑事事件記録の写し、(5)交通事故記録の写し、などの提供があった。
(6)我が方から「証人」と直接面談したいと要求し、その結果、以下の合計16名から聴取等を行った。
(1)横田めぐみさんが入院していたとされる平壌49号予防院の元主治医
(2)横田めぐみさんが入院していたとされる平壌49号予防院の病院長
(3)横田めぐみさんの「元夫」とされるキム・チョルジュン氏
(4)横田めぐみさん・原敕晁さんを診察したとされる695病院の元歯科医師
(5)田口八重子さんの「事故現場」とされる道路を管理していた道路管理員
(6)田口八重子さん・原敕晁さんが生活していたとされる招待所の元職員
(7)原敕晁さんを診察したとされる695病院の元内科医
(8)市川修一さんが訪れたとされる元山海水浴場の元会計担当者
(9)市川修一さんを「検視」したとされる医師
(10)市川修一さんの「検視」に立ち会ったとされる看護師
(11)増元るみ子さんを「検視」したとされる695病院の元内科医
(12)石岡亨さん・有本恵子さんの元担当指導員
(13)石岡亨さん・有本恵子さんが生活していたとされる招待所の元職員
(14)石岡亨さん・有本恵子さんの「事故」があった場所とされる招待所の元職員
(15)松木薫さんが生活していたとされる招待所の元職員
(16)695病院の元副院長・元内科医であったとされる医師
(7)加えて、(1)平壌49号予防院(横田めぐみさんが入院していたとされる病院)、及び(2)平壌市郊外の招待所跡(「招待所」の例として北朝鮮側が見せたもの。現在は使用されていない。)を視察した。特に前者においては、横田めぐみさんの当時の主治医だったとされる人物と院長に面会し、入院当時の状況について詳細な聴取を行うと共に、入院していたとされる病室、「死亡」した現場とされる松林、「遺骸」を埋葬したとされる場所についても直接検分した。
(8)我が方からは、「調査委員会」の説明内容や「証人」からの聴取内容については不自然と考えられる点があるとして、我が方が既に有している情報等に基づき数多くの疑問点を提起し、納得の行く説明を行うよう要求した。しかし、北朝鮮側は、拉致事案が発生してから相当長い年月が経過しており、資料等もほとんど焼却されてしまっていること、また、特殊機関が関与した事案であるため、「調査委員会」としての調査に限界があったこと等の弁明を繰り返し、納得のいく説明は得られなかった。
(9)我が方からは、3名の拉致容疑者(辛光洙(シン・グァンス)、金世鎬(キム・セホ)、魚本公博)について、今次協議においても繰り返し引渡しを要求したが、北朝鮮側はこれに応じなかった。
(1)物証の精査の結果
第3回実務者協議において北朝鮮側より提供された物証の精査結果は以下のとおりである。
(イ)拉致被害者の「遺骨」とされたもの
(a)北朝鮮側から横田めぐみさんの「遺骨」であるとして提供されたものについては、その中から、DNA鑑定の知見を有する専門家が、DNAを検出出来る可能性のある骨片10片を慎重に選定し、警察当局より、国内最高水準の研究機関等(帝京大学及び科警研)にDNA鑑定を嘱託した。今般、その内、帝京大学に鑑定を嘱託した骨片5個中4個から同一のDNAが、また、他の1個から別のDNAが検出されたが、いずれのDNAも横田めぐみさんのDNAとは異なっているとの鑑定結果の報告があった。これは国内で最高水準の研究機関による客観的で正確な鑑定結果である。政府は、12月8日、この鑑定結果を公表するとともに、直ちに北京の我が国大使館を通じて、北朝鮮側に対する厳重な抗議を行った。これに対し北朝鮮側は、鑑定結果は受け入れられないとし、鑑定書の提示を求めつつ、真相の究明が行われることを望む等としているが、今般の鑑定結果は全く客観的かつ科学的な検証によるものであるので、北朝鮮側の主張には何の合理的根拠も無いと言わざるを得ない。
(b)また、松木薫さんの「遺骨」である可能性があるとされた骨については、北朝鮮側は前回の日本政府代表団の訪朝時(2002年9月末)に日本側に渡した骨と同じ場所に保管されていたものであると説明しつつ日本側に渡してきた。このため政府としては、当初より、これが松木薫さん本人の「遺骨」である可能性は低いと考えていたが、念のため、その内の一部を選定した上で鑑定を行った結果、警察当局より鑑定嘱託を受けた帝京大学より、松木薫さんのものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果の報告を受けた。また、身体的特徴の観点からの鑑定においても、鑑定に供した骨片は、松木さんの身体的特徴とは合致しないとの結果を得ている。
(ロ)横田めぐみさんの「カルテ」とされる文書
(a)横田めぐみさんの「カルテ」とされる文書(北朝鮮側より渡された原本から我が方代表団が複写したもの)は、原文が約400頁にわたる膨大な文書である。内容のほとんどは朝鮮語による手書きの記述であり、一部にドイツ語、ロシア語、英語の用語も見られるが、複数の医師の筆跡が認められる。但し、判読が極めて困難な箇所が多く、なお精査を継続している。なお、「カルテ」上に記載のある人物の年齢が横田めぐみさんの当時の年齢とは明らかに異なっている部分が何カ所か見られる。
(b)この「カルテ」は1979年6月から1993年9月までの記録であり、北朝鮮側は、それ以降1994年4月までのカルテは存在しないとしている。
(ハ)刑事事件記録
(a)北朝鮮側より提供された刑事事件記録(2点:北朝鮮側が原本を写真撮影した上で更に複写したもの)は、多くの部分が塗り潰されており、横田めぐみさんの拉致事案及び欧州からの拉致事案に関与したことをうかがわせる記述は若干あるものの、この刑事事件記録には、被告人が具体的にどの拉致事案に関連したのかを示す記述はない。また、これらの記録は拉致事件の全体像を示すものであるとも言えない。したがって、これらの文書が、拉致事案の責任者は処罰されたとする北朝鮮側の主張を裏付けるものではあるとは到底認められない。
(b)なお、これらの刑事事件記録は1998年と1999年にそれぞれ作成されたものとされているが、仮にそのとおりであるならば、北朝鮮側として既にこれらの時点で日本人拉致問題の存在を認識していたことになる。日朝国交正常化交渉等において日本側より再三にわたり拉致問題を提起したにも拘わらず、2002年9月の小泉総理訪朝に至るまで、我が方との関係では拉致問題の存在そのものを一貫して全面的に否定していた経緯があり、北朝鮮側のこのような姿勢が極めて問題であることを改めて指摘せざるを得ない。
(ニ)交通事故記録
北朝鮮側より田口八重子さん及び松木薫さんに関するものとして提供された交通事故記録(2点:いずれも北朝鮮側が複写したもの)についても、いくつかの部分が塗り潰されている。判読可能な箇所についても、「死亡者」の氏名についての記述がないため、これらの「死亡者」が拉致被害者と同一人物であることを示すことにはならない。したがって、これらの文書は、田口八重子さん及び松木薫さんが交通事故によって「死亡」したとする北朝鮮側の主張を裏付けるものであるとは到底認められない。
(ホ)横田めぐみさんを撮したとされる「写真」
北朝鮮側から横田めぐみさんを撮影したものであるとして提供された写真3枚については、警察当局より、画像合成の痕跡の有無について鑑定を嘱託していたが、現時点では、いずれの写真についても、画像合成に伴って発生する不連続な境界や描画の痕跡、各物体の陰影の発生方向に関する矛盾、被写体のバランスの不自然性、その他画像合成の痕跡を示すものは認められていない。
(2)個別の拉致被害者に関する疑問点・問題点
今回の実務者協議における北朝鮮側の説明と、これに対する我が方の質問とそれに関するやりとり、及び我が方が種々有している情報等を総合的に突き合わせると、個別の拉致被害者に関する北朝鮮側の説明に対する疑問点・問題点は以下のとおり相当数にのぼる。
・元夫とされるキム・チョルジュン氏からめぐみさんの「遺骨」として日本側に渡された骨の一部からは、鑑定により全く別人のDNAが検出されたが、北朝鮮側がなぜ別人の骨を渡してきたのか極めて不可解である。
・キム・チョルジュン氏が「遺骸」を移送したという経緯の説明は曖昧であり、特に同氏が自らの所属組織にも知らせることなく、単独で友人3名と「遺骸」を掘り返し、移送し、火葬したとする説明は余りに不自然である。
・北朝鮮側から提供された「カルテ」とされる文書には、93年9月24日以降の診療記録が無く、また、「カルテ」が本人のものであることは確認できていない。
・北朝鮮側は、横田めぐみさんが94年3月に平壌49号予防院に入院したと説明しているが、我が方は、94年3月に横田めぐみさんが平壌ではなく義州(ウィジュ)の49号予防院に入院したとの情報を有している。この点についての我が方からの指摘に対して、北朝鮮側は、当初は義州の病院に送る予定であり、移送当日、義州に行く予定で出発をしたものの、直前になって方針を変更して、平壌49号予防院に移送することとしたと説明した。この説明内容はいかにも不自然であり、我が方が有している種々の情報とも矛盾している。
・予防院を散歩中、付き添いの医師が所用で目を離している間に、本人が予め衣類等を裂いて作っておいた紐を用いて、近くの松の木で首つり自殺したとする北朝鮮側の説明は、(1)極く短時間、目を離した間に自殺を図ったとされていること、(2)紐を予め用意しており、またそれが発覚しなかったこと、などから不自然である。
・北朝鮮側が言う「死亡日」については、当時の担当医師の曖昧な記憶だけが根拠となっており、説得力のある説明がない。また、今回の面談で、担当であった医師は、4月13日という「死亡日」を覚えている理由として、これが金日成主席生誕記念日(4月15日)の前であったからと説明しているにも拘わらず、前回の日本政府代表団の訪朝時(2002年9月末)には、同じ医師が93年3月13日と説明した経緯があり、今回、その日付を訂正した際のやりとりは余りに不自然であった。
なお、キム・チョルジュン氏の本人確認については、科学的な手法による本人確認は出来なかった。また、我が方が今回の同人との面談を踏まえて作成した同人の似顔絵と我が方が別途入手していた同人の外見に関する情報との間には類似点もあるが、同氏の本人確認について断定し得るものではない。
・我が方捜査により、田口八重子さんは大韓航空機爆破事件の実行犯であった金賢姫(キム・ヒョンヒ)の日本語教育を担当した「李恩恵」であったことが判明しているが、北朝鮮側は、依然としてこれを全面的に否定し、特に、「李恩恵」が金賢姫と共に生活したほぼ同時期(81―83年)について、田口八重子さんと横田めぐみさんが共同生活を送ったとするなど、その説明は我が方が有している情報と矛盾している。
・北朝鮮側は、田口八重子さんと原敕晁さんが84年10月19日に結婚したとしているが、我が方は、83年秋から85年秋まで田口八重子さんは横田めぐみさんと共同生活していたとの情報を有しており、北朝鮮側説明はこれと矛盾している。
・北朝鮮側からは、馬息(マシク)嶺における事故で「死亡」した者が田口八重子さんであることを示す客観的な情報の提示がない。
・田口八重子さんが「死亡」したとされる交通事故についての説明として、前回調査時には「トラックと衝突」と説明されていたのが、今回の説明では、軍部隊の移動訓練中に車列の先頭を走っていた「軍の砲車」とされており、矛盾している。
・北朝鮮側は田口八重子さんの「死亡」期日を86年7月30日としているが、我が方としてはその数ケ月後に平壌市内の楽園商店で田口八重子さんと会ったとする目撃者から話を聞いたとの情報に接している。
・拉致実行犯である辛光洙(シン・グァンス)について、韓国における公判判決では、犯罪事実として「80年6月中旬に南浦港に到着」、「日本人原敕晁を引渡」と記載されている。北朝鮮側による「原敕晁さんは海州から入境した」、「拉致されたのではなく辛光洙との利益の一致により自ら来た」という説明は、この点で矛盾している。
・北朝鮮側が原敕晁さんは田口八重子さんと結婚したとしている点については、田口八重子さんに関する上記指摘のとおり矛盾している。また、北朝鮮側は原敕晁さんが、「84年11月頃、肝硬変と診断された」と説明しているが、田口八重子さんがそのような重病を患った原敕晁さんと同年10月19日に「結婚」することも不自然であり、この点について説得力のある説明がない。
・病気治療のための入院に際しての診療記録の提示が無く、また、「病死」したことを示す客観的な情報の提示がない。
・日本では泳げなかった市川修一さんが、「緊急出張」の用務中に、複数回にわたって海水浴に行き、しかも9月初頭という季節に海水浴をしたという北朝鮮側の説明は不自然である。
・北朝鮮側は、市川修一さんが増元るみ子さんと1979年7月20日に結婚したとしているが、我が方は、増元るみ子さんが78年秋から79年10月下旬まで他の日本人女性と同じ招待所で生活し、その間は結婚していなかったとの情報を有しており、北朝鮮側の説明はこれと明らかに矛盾する。
・北朝鮮側は、79年9月4日に「心臓麻痺」となった市川修一さんは江原道人民病院に収容されたとしており、また、蘇生措置にあたったと「証言」した同病院の医師は、「車輌の後部座席で人工呼吸を行った」と述べたが、なぜ、病院施設内で蘇生措置をとらなかったのか、説得力のある説明がなされていない。
・江原道人民病院の医師は、「病理解剖科が死因を判断し、調書を作成した。その記録は病院に保管されている。」と「証言」したが、我が方の求めにもかかわらず、北朝鮮側からこの記録の提示はなく、「死亡」を客観的に確認することが出来ない。
・市川修一さんとの「結婚」については、市川修一さんに関する上記指摘のとおり。
・心臓麻痺による「急死」の客観的な裏付けがない。増元るみ子さんについては、当時、若く、既往症もなく、695病院の医師自らが「死亡」事故の前の半年間に「接待員と一緒にいるところを1、2回見たことがある。印象としては健康状態も良かった。」と「証言」しており、かつ、招待所関係者は、「死亡」したとされる日の前日夜にも普段どおり食事をしたと「証言」していた。このような増元るみ子さんが、何の前触れもなく心臓麻痺に陥ったというのはいかにも不自然である。
・「死亡」後、3―4時間してから検視したとされる「695病院」の医師は、「検視」の際、「死斑が出ていたが、アザ様のもので、押さえても戻らない」、「背中について死斑は確認していない」と述べたが、一般には死亡して3―4時間後に指圧を加えると死斑の色は褪せること、また全身を検視しないことは想定出来ないことから、これらの供述の信憑性には疑問がある。
・我が方捜査により、「よど号」犯の拉致への関与は明らかであるにもかかわらず、北朝鮮側は依然としてこれを全面的に否定している。
・北朝鮮側は、石岡亨さんは「平壌商店でショッピング中、偶然出会ったポーランド人に自分を紹介し、故郷に安否を伝える書簡を託した」と説明したが、当該ポーランド人自身は、北朝鮮人の仲介者経由でこの書簡を受け取ったと述べているとの情報もあり、北朝鮮側説明はこれと矛盾している。
・上記書簡(88年8月13日付ポーランド消印)を託した約2ケ月半後に、2歳程度の幼い子供を連れて「静かなところへ行きたい」と述べ、しかも既に寒くなっている11月上旬という時期に、平壌からも離れていて極めて不便な〓川の招待所に移動することを本人が希望したとの説明は不自然である。上記書簡の事案が発覚した後、担当指導員は処罰されたと北朝鮮側は説明しており、その直後に〓川の招待所への移動が行われていることも極めて不可解である。
・不慮の事故による「ガス中毒死」の客観的な裏付けがない。
・有本恵子さんの旅券が返却されたにも拘わらず、石岡亨さんの旅券については見あたらないとしているのも不自然である。
・我が方捜査により、「よど号」犯の拉致への関与は明らかであるにもかかわらず、北朝鮮側は依然としてこれを全面的に否定している。
・石岡亨さんについての指摘と同様、2歳程度の幼い子供を連れて「静かなところへ行きたい」と述べ、しかも既に寒くなっている11月上旬という時期に、極めて不便な〓川の招待所に移動することを希望したとの説明はいかにも不自然である。
・不慮の事故による「ガス中毒死」の客観的な裏付けがない。
・我が方捜査により、「よど号」犯の拉致への関与は明らかであるにもかかわらず、北朝鮮側は依然としてこれを全面的に否定している。
・松木薫さんの「遺骨」である可能性があるとされた骨の一部については、我が方としては当初よりこれが御本人の「遺骨」である可能性は低いと考えていたが、DNA鑑定の結果、別人のDNAが検出された。また、身体的特徴の観点からの鑑定においても、鑑定に供した骨片は松木薫さんの身体的特徴とは合致しないとの結果を得ている。
・石岡亨さんの担当指導員(88年11月当時)は、「松木薫さんの名前は聞いていたが会ったことはない」と「証言」していたが、石岡亨さんの88年8月13日付ポーランド消印書簡には「有本恵子さん、松木薫さんと三人で平壌に暮らしている」と書かれているにもかかわらず、松木薫さんが石岡亨さん及び有本恵子さんと共にいたとの説明が北朝鮮側から全く無いのは不可解である。
・革命史蹟へ夜半に到着すべく、夜8時に咸鏡南道を出発して危険な山道に向かったというのは極めて不自然である。
・トジル嶺における事故で「死亡」した者が松木薫さんであることを示す客観的な情報の提示がない。
・旅券が見あたらないとしているのは不自然である。
・北朝鮮側は、北朝鮮への入境を否定しているが、我が方捜査により、久米裕さんは、補助工作員である在日朝鮮人が、北朝鮮からの指示を受けて海岸まで連れ出し、北朝鮮工作員に引き渡したことが判明している他、本件拉致の主犯格として、北朝鮮工作員・金世鎬(キム・セホ)の関与が明らかになっているところであり、北朝鮮側の説明は受け入れられない。
・北朝鮮側は、「特殊機関の資料を調査し、当該機関関係者から聴取した結果」として、北朝鮮への入境を否定しているが、拉致当時の状況等から、曽我ひとみさんとともに北朝鮮に拉致されたことは明らかである。
・北朝鮮側は、前回調査時、曽我ひとみさんの拉致につき、「現地請負業者」が存在していたとしつつも、今回、拉致実行犯は「現地請負業者とは金銭の授受を行うだけで、同人の詳細については承知していない」と述べた旨説明しているが、拉致実行に際しての両者の緊密な協力関係を考えると、説得力のある説明ではない。
・我が方が有している情報によれば、曽我ひとみさんが本邦より拉致された当初より、女性指導員が同行し、この女性指導員は曽我ミヨシさんについても言及していることが判明しているが、北朝鮮側はそうした女性指導員の同行を否定している。
以上を踏まえ、今般の精査の結論は次のとおりである。
(1)第3回日朝実務者協議を通じて北朝鮮側から得た情報及び物証からは、「8名は死亡、2名は入境を確認せず」との北朝鮮側説明を裏付けるものは皆無である。北朝鮮側の「結論」は客観的に立証されておらず、我が方としては全く受け入れられない。
(2)特に、今次再調査の中核を成していた横田めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは、DNA鑑定の結果、別人のDNAが検出されたことは重大な事態である。北朝鮮側はこの鑑定結果に疑問を提起しているが、我が方の鑑定が科学的・客観的に行われ、十二分に信頼性の担保されたものであることは言うまでもなく、北朝鮮側の批判には何ら根拠がない。
また、松木薫さんの「遺骨」である可能性があるとされた骨の一部からも、同じくDNA鑑定の結果、別人のDNAが検出された。また、身体的特徴の観点からの鑑定においても、鑑定に供した骨片は松木薫さんの身体的特徴とは合致しないとの結果を得ている。
(3)今次協議に際して、北朝鮮側は、拉致に関する文書は「特殊機関」が一切焼却したと説明し、また、我が方からの種々の質問・要求に対しても、「特殊機関」の関与した事案であるとして満足な回答を行わない、あるいは現役の「特殊機関」関係者であるので面会は実現出来ないとするなど、「特殊機関」の存在が真相究明にとって大きな障害となっていることが明らかとなった。
また、我が方としては、指導員が定期的に拉致被害者に関する報告書を作成していたとの情報にも接しているが、北朝鮮側がこれら報告書も現存していないとしたことなどは、本件再調査の結果の信憑性を強く疑わしめるものである。
更に、面会に応じた「証人」の証言についても、相当過去のことであるので記憶が判然としない、調査委員会からの指摘により思い出したと述べるなど、曖昧な内容が多く、真相究明に向けた客観的な事実関係の確認という観点からは、不十分なものであったと言わざるを得ない。
(4)拉致事案の責任者の特定及び処罰に関し、刑事事件記録の提示はあったが、文面の多くの部分が塗り潰されており、2名の被告人がいかなる拉致事案に関与していたのかが全く不明であるため、これらの文書は、どのような命令・責任系統の下で拉致が実行されたのかを示すものとは言えない。したがって、これら2名の被告人が日本人拉致問題全体について責任を負っていたと判断することは出来ない。
(5)我が方のこれまでの捜査の結果、既に3名の拉致容疑者(辛光洙(シン・グァンス)、金世鎬(キム・セホ)、魚木公博)の関与が判明している。これらの3名については、今次協議においても、我が方より繰り返し引渡しを要求したが、北朝鮮側はこれに一切応じなかった。3名の引渡しは拉致問題の真相究明にとって不可欠であり、このような北朝鮮側の対応は全く受け入れられない。
(6)今回の再調査は、本年5月に金正日国防委員長が小泉総理に対して「白紙」に戻して徹底した再調査を行うと約束したことを受けて実施されているものであるが、上記で指摘してきたとおり、これまでに北朝鮮側から提供された情報・物証では、安否不明の拉致被害者に関する真相を究明するためには全く不十分と言わざるを得ず、「調査委員会」による本件再調査は信頼性を欠き、到底、金正日国防委員長が約束した「『白紙』に戻しての徹底した再調査」と呼べるものではない。
以上を踏まえて、政府としては北朝鮮側に対して、今般の再調査の結果は極めて誠意を欠く内容であるとして強く抗議するとともに、日本側の精査の結果を早急に伝達することとする。そして、北朝鮮側が「日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む」との日朝平壌宣言に則り、また、金正日国防委員長自身が行った約束を自らの責任と関与で誠実に履行することにより、安否不明の拉致被害者の真相究明を一刻も早く行うよう、厳しく要求するものである。