2004年11月17日(水)「しんぶん赤旗」
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新潟県中越地震は障害のある人にもとてもつらい出来事でした。いま、しだいに施設にも戻り、恐怖を乗り越えて笑顔をとりもどしつつありますが、大きな課題が残されています。新潟県・村上雲雄記者
「ゴーという音で家が揺れ、道路も波打っていて、ふだん二人で抱える息子を一人で抱えて家を飛び出した。余震が怖くて五日間、車の中で過ごした。息子は最初の二日間はショックでご飯が食べられず、唇もかさかさになった。でも発作が起きなくてよかった」。こう語るのは、十日町市で重度障害の息子(19)を介護する母親(44)です。
同市では、ライフラインが途絶えたことで一時、入所・通所施設の生活が困難になりました。現在は、復旧により多くのところでほぼ正常に戻っています。しかし、NPO法人の作業所「あんしん」では、建物の損壊が激しく、建て替えなければならなくなりました。
「建て替えるには二千万円かかるが、うちにはそんな金はない」と語るのは同作業所の樋口功所長(55)。「福祉法人なら公的助成はあるかもしれないがわれわれにはない。通所者はとりあえず託老所を借りて作業しているが、いつまでも使えない。いま求める支援は率直に言ってお金です」と訴えました。
小千谷市の知的障害者授産施設「ひかり工房」では、通所者の母親が亡くなる不幸もありました。建物の被害は少なかったため、八日から業務を再開しました。
西脇英郎施設長は「利用者に聞いたら、早くみんなの顔が見たいという声が多かったので再開した。みんなの喜ぶ顔を見られてよかった」と話します。生活指導員の大形厚子さんは「余震も続き、誰もが心の傷をうけています。精神状態が一番心配です。精神的ケアに力を入れていかねば」と語りました。
身体障害者授産施設「小千谷さくら」でも、車いすの人たちが作業を始めました。そのひとり、苅部信夫さん(30)は「地震で電気が消え、車いすの者はよけい不安だった。たびたび目がさめ、寝たような寝ないような不安感がある」と振り返ります。
同僚の川崎みどりさん(34)も「車イスが揺れ、とても怖かった。昨日も大きい余震があり、不安から水におぼれる夢を見た」と話しました。
それでも励まされるのは全国の支援。「支援物資は本当に助かった」(苅部さん)と。
損壊が激しく当分再開のめどがたたず、仮施設で懸命に活動している施設もあります。長岡市の知的障害児通園施設「柿が丘学園」です。
滝沢良一園長が自分で保育園の空き室を見つけ出し、再開しました。同園長は「当分帰れそうもないが、与えられた環境の中でいかに子どもの発達保障をしていくかが大切です。親もストレスを抱え大変。家族を支えるために何ができるか考えている」と語りました。
地震で家が損壊した障害者もいます。左半身が不自由で長岡市の身体障害者授産施設「さんわ工房」に通所する男性(61)もその一人です。
「地震の夜、一晩中水と食料を探し回ったが見つからなかった」というこの男性は、仕方なく市役所ロビーで一夜を過ごし、その後、避難所生活を続けています。「補修費用はないので家には戻れない。あきらめるしかないと言い聞かせている。一人暮らしだし、雪が降る前に一日も早く仮設住宅に入りたい」と訴えてました。
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きょうされん(全国共同作業所連絡会)新潟支部は十月二十六日、県に申し入れを行いました。
行政として障害のある人と家族の状態や、小規模作業所・施設の実状を速やかに確認すること、支援や相談体制、復旧にあたっての財政措置をとること――を求めました。他の業者の協力で、きょうされんとして中越地域内の施設十カ所以上に支援物資を託送。調査のうえ、本格的支援を準備しています。
新潟県が現在把握しているところによると、中越地区内の障害者施設(公的・法人施設)被害は、93施設中60施設で建物や敷地などで被害を受けました。人的被害はなく、地震後の体調不良で2人が入院。損壊が激しく再開のめどがたっていないのが4施設。余震で別の場所に避難している施設が9カ所です。
義援金連絡先きょうされん新潟支部事務局 〒950−0210 新潟県中蒲原郡横越町上町1の2の16 のぎくの家内 |