2004年11月8日(月)「しんぶん赤旗」
【パリ=浅田信幸】西アフリカのコートジボワール政府軍は六日、反政府勢力が支配する北部で停戦監視のために駐留しているフランス軍の基地を爆撃し、兵士九人が死亡、二十二人が負傷しました。米国民間人一人も死亡しました。
この事態を受けてシラク仏大統領は、コートジボワール軍が停戦違反の空爆を実行したとして、仏軍に対しコートジボワールの空軍基地などへの攻撃を命令。また、仏人保護のため二個中隊の追加派兵を決めました。
AFP通信によると仏軍は、首都ヤムスクロの空港で戦闘爆撃機二機とヘリコプター三機を破壊しました。仏政府は、この攻撃は国連安保理決議の枠内で行われたと主張しています。
一方、コートジボワールの最大都市アビジャンで六日、仏軍の報復を知った住民数万人の反仏デモが激化。仏人資産の略奪や仏人学校への放火を繰り返しました。仏軍ヘリがデモ隊に威嚇射撃を加えたほか、アビジャンの国際空港では、政府軍と仏軍の間で戦闘が発生したといいます。
コートジボワールは、二〇〇二年九月に反政府勢力が武装反乱を起こして以来、南北に分断され、〇三年に停戦合意が成立。今年二月、国連安保理は停戦監視に当たる平和維持活動(PKO)部隊の派遣を承認しました。現在、国連平和維持部隊六千人と旧宗主国フランスの軍部隊四千人が駐留しています。
コートジボワールでは二〇〇〇年十月の大統領選挙の混乱の中で発足したバグボ政権と、同政権に異議を唱えるゲイ前大統領派、ベディエ元大統領派などの反政府派との間で内戦が続いてきました。
一九九九年十二月、ゲイ元軍参謀長らがクーデターでベディエ大統領を追放。二〇〇〇年一月にゲイ大統領が誕生しました。しかし、同年十月の大統領選では同大統領の敗色が濃厚となる中で軍事政権が票集計を中断させ、ゲイ氏当選を発表。これに対し市民の抗議が起き、ゲイは逃亡、バグボ現大統領が就任しました。
ゲイ氏を中心とする反政府勢力は〇二年九月にバグボ政権打倒を掲げ、最大都市アビジャンなどで蜂起。企ては失敗しゲイ氏も死亡しましたが、反政府側は同国北部を制圧しました。
こうした対立は、〇三年一月、政府、反政府勢力・野党の代表がフランス・パリ郊外で合意した和平案によって収拾されるかにみえました。この和平案は、内戦の終結と暫定政府発足をうたい、同年四月には各派による暫定内閣が組織され、ベディエ元大統領派も入閣しました。
ところが、反政府派は和平プロセスに進展がないことでバグボ大統領を非難。〇四年三月にはベディエ前大統領派が内閣から撤退しました。同月末には政府・反政府勢力の衝突で百人以上が死亡する事態となり、他の野党も内閣から離脱。反政府勢力は五月にはバグボ政権不承認を宣言しました。
六月にはいったん、政府と反政府勢力が九月三十日までの政治改革と十月十五日までの反政府側の武装解除を定めた合意書に調印しましたが、政府側が政治改革の約束を反故(ほご)にしたことから、反政府側は武装解除を拒否。これに対し政府側は、十一月四日、反政府側が掌握する北部奪還を目指し、ブアケ空爆を開始しました。
旧宗主国フランスは〇二年に自国民保護などを理由にコートジボワールに部隊を派遣。西アフリカ経済共同体の仲裁活動とともに、〇三年のパリ和平合意成立に一定の貢献をしました。しかしコートジボワール国内では、和平をフランスが押し付けたものと見る傾向が強く、当時から反仏行動が起きていました。山田芳進記者