日本共産党

2004年11月7日(日)「しんぶん赤旗」

新潟中越地震 2週間

故郷 戻る日まで

全国の支援に 被災者強く、優しく


 震度7を記録した新潟県中越地震から6日で2週間。地震発生の10月23日から現地取材を始めた私は、目の当たりにみた地震のすごさ、被害の深刻さ、被災住民の困難さに圧倒されながらも、住民と救援ボランティアのひとびとのがんばりに時には胸を熱くしながら無我夢中で被災現場を走り回っています。

 藤川良太記者(写真も)



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一時帰宅後大きな荷物を持ってがけ崩れした道を歩いて町を離れる住民=3日、長岡市太田地区竹之高地町
胸突く言葉

 寝室の布団に上に折り重なるように倒れたタンス。道路が陥没してむき出しになったマンホール。店の調理場の床に散乱したなべ。ブルーシートの中で毛布に包まる被災者。急な坂道をくだっていくと突然きれていた道路。二階から五キロの鉄アレイが飛んできた家…。

 十年前の阪神大震災を映像でしかみたことのない二十四歳の私は「何があってもおかしくない場所だ」と緊張しました。

 取材するうちドキッとするような言葉を聞きました。本紙四日付で紹介した長岡市太田地区の原市太郎さん(75)の「故郷が終わりになった」です。全村避難の山古志村に接する同地区は、生活道路が寸断され、いまも一時帰宅しかできません。住民が語った言葉はその表情とともに心につきささりました。その場所で生まれ、育ち、生活し、日々の日常を送った「故郷」。いまは、その「故郷」に近寄れません。

 もう一度復興し、元に戻さないといけないのは住民の暮らしの基盤である「故郷」です。

避難所で

 六日現在も約三万五千人もの住民が避難所生活を強いられています。避難所にいるのは「あんた、昼ご飯食べた? パンならあるけど」「あんたたちも大変だなあ」と記者に声をかけてくれる心優しき人々です。

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今にも倒壊しそうな家の前に押された洗濯物=1日、川口町

 十日町市の十日町中学校のグラウンドには、被災者の車が並んでいました。車中泊の人たちです。「子どもが騒いで迷惑をかけるから」と避難所の体育館に入らない理由を説明する、他の住民に気を使う人たちでした。

 忘れてはいけないのが、被災した住民たちの結束です。自主避難所では自宅の庭の畑から野菜を持ち寄る風景がいたるところで見られました。「歩けないお年寄りがいるから」と指定避難所には行かず自主避難を決めた地域もありました。取材すると「うちの町内は」と住民がよく話します。自分の家だけではなく町内が気がかりなのです。

 消防団も活躍しました。一時間おきの夜の見回りから、避難所のトイレ掃除まで、地域の人が安心して、気持ちよく避難所の生活を送るために動いていました。地域の人たちが肩を寄せ合って避難生活しています。

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学校が再開され子どもたちの大きな声が響きました=4日、長岡市・前川小学校
ボランティア

 そんな中でも住民が喜んだのが、ボランティアの活動です。医師、看護師、農民、学生、会社員、主婦など関係なく「自分にできることを」と全国から集まりました。

 日本共産党が行うボランティアは住民に足りないものを聞いて届ける、こたえるというのが基本になっています。

 私は五日間、十日町市の日本共産党安保寿隆市議宅で市議と寝起きをともにしました。安保市議は自分自身、一時避難所生活しながら、「足りねえもんねえか」と行政の手が届かない自主避難の住民を回りました。「大丈夫だったか。必要なもん教えてくれ」と住民の状況を確認しながら回ります。

 避難所によって人によって必要なものは違います。「ぜいたくはいえない状況だけど果物があればうれしい」と控えめに語る被災者がいて、日本共産党の青年ボランティアが果物を届けました。「下着を地震後からずっと着替えてない」と話す住民には下着を届けました。多くの場所で住民の「ありがとう」が返ってきます。

 余震がつづく日々に被災者の心の状態も大変です。「通過するトラックの揺れだけで心が反応してしまう」と語る女性。川口町の自宅のガレージで避難していた小宮山千春さん(21)は「揺れると怖い」と家にはいりません。近くの家がつぶれたのを見ています。十日町市の避難所には夜だけ寝に来るお年寄りがたくさんいました。停電で真っ暗ななか余震にあい、「食器が割れ、タンスが倒れる音がした。立つこともできなかった。いつ自分に倒れてくるかと思った」と語る七十五歳の老人もいました。

公的補償

 「これまでもこの地域の人たちと暮らしてきた、これからも暮らしていきたい」と被災者が語るのは、「地震のとき地域の人と一緒だったから安心できた」からだと思います。

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支援物資を運び、住民の状況を聞く日本共産党の安保議員(左)=10月27日、新潟・十日町市

 長岡市役所一階に設置されていた「被災住宅相談窓口」に六日、相談に来ていた主婦(42)は「子どもたちの学校があるから一日も早く自宅に戻りたい」と話しました。

 今の国の被災者生活再建支援制度は家の補修には使えない建前です。この主婦は「まずは家を補修して生活できるようにならないと…」と同制度の被災者との矛盾を感じていました。必要なのは被災者の家を直せるだけの公的な補償です。そして緊急に必要な人には仮設住宅もいります。被災者が「故郷」に戻れるように国はいま本腰を入れるときです。



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