2004年11月1日(月)「しんぶん赤旗」
歴史上の遺跡を保存させるため、住民団体などが現地説明会やシンポジウムなどを開いて自治体に働きかけています。兵庫県芦屋市の岩ケ平遺跡(徳川大坂城採石場)と三重県四日市市の久留倍(くるべ)遺跡の例を紹介します。
徳川大坂城東六甲採石場は、神戸市の住吉から兵庫県西宮市の甲山までの広い範囲にあります。今回保存運動がおきた芦屋市岩ケ平遺跡は、市の北部、緑豊かな地にあります。現存する大坂城は、徳川秀忠から家光の時代(一六二〇―二九年)に建てられました。秀吉が建てた大坂城は大阪夏の陣で全焼しています。徳川幕府が石垣から造り変えていた事実が明らかになったのは、一九五九年の総合学術調査です。
徳川幕府は、新たに十トン以上ある巨石の六面を割り取り加工し、百万個ともいわれる直方体の石を組んで石垣を積み上げていく巨大な石垣を造り上げたのです。十七世紀初頭の土木技術としては、世界最高の水準であると評価されています。
芦屋などで大坂城の石垣にあるものと同じ刻印がある石が見つかりました。刻印は、徳川幕府によって採石を命じられた外様大名の印であることがわかってきています。岩ケ平遺跡は、二万平方メートルという広大な採石場の跡で、その広大さゆえ最大の石切り生産丁場として調査の行方が期待されていた土地でした。
文化財埋蔵地であるこの地が、宅地開発業者の手で文化財調査もせずに開発を始めたことが、今回の問題の発端です。当初は関西文化財保存協議会、日本考古学協会など研究者が遺跡の徹底調査を求めました。芦屋市が調査を始めてからは刻印石や矢穴石が発掘され、採石、石割り、運搬などの当時の様子がわかる丁場が掘り出されました。
貴重な遺跡との専門家の意見が次々と出される中で、市民も大坂城を展望できる眺望をもつこの地を城郭史跡公園にと、「保存を求める市民の会」を結成して保存運動に立ちあがりました。
大坂城郭研究の専門家を呼んでの講演会や現地での説明会、搬送した当時のルートをたどろうというツアー、岩ケ平になぜ巨石が多いのかという勉強会など多彩な催しに、あわせて六百人を超える市民が参加。市民の会のホームページには開設以来三千二百件を超えるアクセスがあり、保存を求める声は大きく広がりました。
また、兵庫県議会や芦屋市議会では、遺跡の本格調査に入らずに確認調査だけで業者に返そうとする行政に対し、日本共産党の議員だけが徹底調査と保存を求めて追及を重ねました。
兵庫県は、いったんは一部地域の本格調査を芦屋市に指導しましたが、防災を理由に本格調査に入らず調査を終了します。
県が本格調査をいったんは認めたことは採石場の調査の大きな成果になるとして、専門家は市民の運動を評価しています。市民の会は、研究者とも手を携え、市内に広がる採石場跡の保存も展望しながら十一月には大阪城見学会を企画しています。木野下章・芦屋市議
三重県四日市市の北部・大矢知町の丘陵地に広がる久留倍遺跡が今、注目を集めています。同遺跡では弥生時代をはじめとする各時代の遺構や遺物が古くから見つかっていましたが、ここ数年の発掘調査で、奈良時代の伊勢国朝明郡の郡衙(ぐんが)=郡役所=がこの地にあったことが確認されたのです。
政治や儀式を行う政庁や、当時の税金だった米穀を貯蔵する倉庫が立ち並ぶ正倉院、宿泊・給食棟など、役所を構成する施設がまるごと確認されていて、全国的にも珍しい貴重な遺跡です。
また、朝明郡は、壬申の乱(六七二年)の際に大海人皇子(おおあまのおうじ、後の天武天皇)が伊勢神宮を遥拝し(日の出を拝んだとの説もあります)、戦勝を祈願した地として『日本書紀』などに記されていますが、東から南に開けて伊勢湾を望む同遺跡が、その地だった可能性も指摘されるなど、古代史を解明する上で貴重な手掛かりを秘めています。
しかし、問題は、同遺跡の発掘調査が、開発に伴って実施されているということです。調査は国道1号北勢バイパスの建設に伴うもの。バイパス工事はすでに遺跡のすぐ近くにまで迫っています。
かけがえのない遺跡を破壊されては大変だと今年五月、古代史を研究する全国の大学、研究機関の学者百人が連名で久留倍遺跡の保存を求めるアピールを発表し、三重県や四日市市、国交省中部地方整備局に提出しました。日本史研究会(三千二百人)も同様の要望書を提出しました。
九月には、三重大学の山中章教授(考古学)の呼びかけで遺跡の全面保存を訴えるシンポジウムが四日市市内で開かれ、研究者や市民二百五十人が参加しました。
遺跡の地元でも、大矢知歴史研究会などが保存を求める署名運動を展開しています。六百人近くの署名を集めた大矢知町の古市弘和さん(57)は「バイパスは地元のためにはならんと、ずっと反対してきました。工事はかなり進んでしまいましたが、久留倍遺跡が貴重な遺跡やと分かった以上、お金には代えやんものなんやから、地域の文化遺産として何とか残す方法を考えてほしい」と話しています。
四日市市長選挙(二十一日告示)に日本共産党から立候補する佐野光信前市議(61)は「遺跡は保存すべきです。豊かな人間らしい暮らしを実現するためには、文化や環境の保護は最優先事項です。企業の利潤や産業の発展を優先させる自民党型政治の転換が求められます」と指摘。「市は高架で遺跡をまたぐ案なども示しているようですが、研究者はバイパスのトンネル化を求めています。遺跡に近い東坂部町の名四カントリークラブはトンネルで通過させるのですから、無理な要求とはいえないでしょう」と話します。三重県・白瀬総彦記者