2004年10月26日(火)「しんぶん赤旗」
北京で開かれた「発展と創造 二十一世紀初頭における世界の社会主義―トウ小平生誕百周年記念」国際シンポジウム(二十一―二十三日)で、日本共産党の可知正・党付属社会科学研究所幹事は、「二十一世紀の社会主義的変革の条件と可能性」のテーマで発言しました。この発言は、シンポジウムに提出した原稿を、時間の関係で若干省略したものです。発言の大要は以下の通りです。
二十一世紀の社会主義にむけた変革の条件と可能性を考えるうえで私たちは、二十世紀の百年間におきた世界の大きな変化を見ることが大切だと思っています。
二十世紀は、独占資本主義、帝国主義の世界支配によって始まり、この世紀のあいだに二回の世界大戦がありました。その惨禍は文字どおり全世界におよびました。こうした側面だけから見れば、この世紀は、人類にとって、苦闘の連続でした。しかし、二十一世紀を迎えて、百年間をふりかえってみると、この世紀は、人類史のうえでも画期をなす巨大な変化が進行した世紀でした。一口でいえば、世界の構造は、この百年間に大きく変化・変動しました。
いちばん大きな変化は、植民地体制が崩壊したことです。二十世紀の初頭には、地球上の大多数の諸民族が、植民地・従属国として国際政治の枠外におかれていました。いまでは、これらの国々は、独立国として国際政治に積極的に参加しており、そのこと自体が、二十一世紀の新しい国際情勢をつくりだしています。
この変化のなかで、植民地支配を許さない、国際政治の新たな諸関係が生みだされました。新しく独立した諸国は、国際政治の舞台で、非同盟諸国会議、東南アジア諸国連合(ASEAN)、イスラム諸国会議機構(OIC)などに参加し、平和と民族自決の世界をめざすうえで、その役割と比重を大きくしています。
国際連合の設立も、二十世紀の重要な出来事でした。国連憲章によって、「戦争の違法化」が世界史の発展方向として確認されました。国連憲章は、各国の内政に干渉しない、国際的な武力の行使は国連の決定による、各国の勝手な判断による軍事行動は、侵略にたいする自衛反撃以外は認められない、などの諸条項を定めました。これは、「戦争の違法化」という方針を具体化し、戦争を未然に防止する平和の国際秩序の建設をめざしたものでした。
ここで想起したいことは、国連が定めた「平和の国際秩序」という目標は、科学的社会主義の運動が展望してきた方向にも合致しているという点です。マルクスはかつて、第一インターナショナル(国際労働者協会)の創立宣言のなかで、「私人の関係を規制すべき道徳と正義の単純な法則を諸国民の交際の至高の準則として確立する」こと、すなわち、市民が隣人とのつきあいのなかで守るべき「道徳と正義の原則」を、国家間のつきあいの原則にする、そうしたルールをもった国際社会をつくろう、と呼びかけたことがあります。
私は、国連憲章に定められた「平和の国際秩序」は、マルクスが願ったものと同じ気持ち、同じ方向で「諸国民の交際」の原則をきめたものと言ってよいと考えています。
二十世紀におきた世界の構造的な変動として注目したい第二の点は、「二つの体制の共存」という問題です。
二十世紀初頭は、資本主義が世界を支配する唯一の体制でした。歴史の発展のなかで、社会主義をめざす新しい流れが始まり、二つの体制が共存する時代へ移行・変化しました。これは、二十世紀という時代の、もっとも重要な特質となりました。
この二つの体制の共存という時代的な特徴は、ソ連・東欧の体制崩壊で終わったわけではありません。二十世紀の社会主義の流れは、中国、ベトナム、キューバの発展に受け継がれており、二十一世紀を迎えた世界情勢には、二つの体制の共存という点でも、新しい展開が見られます。とくに、中国とベトナムで推進されている「市場経済を通じて社会主義へ」という、社会主義をめざす新しい探究は重要です。中国の人口は十三億人、ベトナムの人口は八千万人です。あわせて十四億人近い巨大な人口をもつ地域での発展として、世界の構造と様相の変化を引き起こす大きな要因となっています。
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こうした二十一世紀の世界情勢を見るうえで、私たちが注目していることは、新しい世紀には、資本主義をのりこえて新しい社会に前進していく流れが、世界のさまざまな地域で、さまざまな形態をもって現れるだろう、ということです。
いま、地球上には六十三億の人々が、さまざまな国をつくって生活しています。国の数は百九十を超えますが、大きくいって四つのグループに分けることができます。
(1)第一のグループは、「発達した資本主義国」のグループです。日本、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、合計の人口は約九億人です。
(2)次に、中国、ベトナム、キューバなど「社会主義をめざす国」のグループがあります。まだ、国の数では少ないが、人口は十四億人です。
(3)世界の大部分を占めるのは、「アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの国々」です。これらの国々は、二十世紀後半に独立をかちとり、現在では、世界政治のうえでもたいへん大きな発言力をもつようになりました。人口は約三十五億人です。
(4)最後のグループは、一度は「社会主義」の旗をかかげたが、スターリン体制のもとで別の道をすすんでしまい、九〇年代の初めに旧体制の解体を経験した国々です。人口は四億人以上です。私たちは、これらの国々の状況を詳しく知る立場にはありませんが、全体としては、一時あった「資本主義万歳」という声が小さくなり、社会の矛盾が拡大した状態にある、とされていることに注目しています。
これが、いまの世界がおかれている状態です。
このように区分けして国際政治の舞台を見ると、少数の大国が世界を動かす時代は、すでに過去のものになったことが、よくわかります。アメリカのイラク戦争にたいしては、アメリカ政府自身の調査によっても、支持した国は四十九カ国、人口の合計は十二億人にとどまりました。支持しない国の人口は合計五十億人、圧倒的多数でした。
私たちは、これらの国々のどのグループでも、資本主義をのりこえた新しい社会をめざす流れが、さまざまな形態をもって現れてくるところに、二十一世紀の時代的な特徴を展望しています。
その根拠は、私たちが活動している現代は、世界の資本主義そのものが、将来的には新しい未来社会への発展につながらざるをえないような深刻な矛盾に直面しているからです。
私たちは、改定した綱領のなかで、この点を、「巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾」と特徴づけ、いくつかの項目を列挙しました。
―各国の内部と地球的規模で広がる、貧しい者と富める者の格差の拡大。
―経済の体制が不況と大量失業にくりかえし襲われて、そこから脱却できないという矛盾。
―年ごとに深刻になる、大気汚染をはじめとする地球規模の環境破壊。
―地球の広大な地域で、飢えて死ぬ子どもやおとなたちが今なお大規模に存在する問題。
マルクスの時代の資本主義がかかえていた矛盾は、搾取と収奪による貧富の格差の拡大と生産の無政府性に起因する不況・恐慌が、大きな特徴でした。いま、「生産のための生産」を合言葉とする資本主義的生産がつくりだす矛盾は、当時とは比較にならないほどの、世界的な広がりと深刻さの度合いを深めながら激化しています。
たとえば、貧富の格差の拡大です。最近も、米商務省がアメリカにおける貧困層の増大に注目したように、アメリカでも日本でも、各国の内部で貧富の格差は拡大しています。同時に、二十世紀の後半あたりから、貧富の格差が地球規模で広がっていることに、世界が注目しつつあります。
国際労働機関(ILO)の最近の発表によれば、世界の人口のうち、富裕層を形成する20%と貧困層を形成する20%を比較してみると、一九六〇年に三十対一だった収入の格差は、九九年には七十四対一にまで広がっています。
より深刻なのは、「極度の貧困」といわれる一日一ドル未満で生活する人の数が、アフリカ、ラテンアメリカ、中東、CIS(独立国家共同体)諸国などで広がっていることです。サハラ以南アフリカ地域では、九〇年に一日一ドル未満で生活する人の数は二億四千百万人でしたが、九九年には三億一千五百万人にまで拡大しています。
無政府性の問題でも、不況・恐慌のくりかえしにくわえて、地球規模での環境破壊という問題が、利潤第一主義という資本主義の経済体制の、もっとも鋭い今日的な矛盾となって現れています。世界の研究者をはじめ多くの人々が、「生命と資本主義は平和的に共存しうるのか」という、根本的な問いを投げかけています。
地球規模での環境破壊について、わが党の不破哲三議長は、「ある意味では、不況・恐慌以上に深刻な問題」と特徴づけ、「資本主義はすでに地球の管理能力を失っている」と告発したことがありますが、私たちは、地球規模での環境破壊という問題を、資本主義の体制の存続が問われる問題と位置づけ、綱領でも特別に明記しました。
このように、巨大に発達した生産力を制御できない資本主義の経済体制としての諸矛盾は、資本主義国内部だけでなく、全世界的な規模で、かつてない鋭さをもって現れています。
以上見てきたように、二十一世紀の世界では、資本主義そのものが、将来的には新しい未来社会への発展につながらざるをえない多くの矛盾に直面しています。その道は、それぞれの地域と各国で、多様な形態をとってすすむことになると、私たちは考えています。
社会主義社会は、資本主義から一足飛びに生まれるわけではありません。もともと、人間社会の発展は、階段を一段一段あがるように、その社会で解決が求められている、熟した課題の解決にとりくみ、それが解決したら次の問題にとりくむというように、段階的に発展してきました。
私たち日本共産党は、いまから四十三年前に現在の綱領の原型をつくったときから、社会の段階的発展という考え方を明らかにしてきました。社会主義をめざす大きな展望をしめしながら、いまの日本社会で、国民的解決に直面している課題は何か、その究明に力をつくしました。
私たちが、当時、重視したのは、日本社会がかかえている最大の矛盾は、日本は高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカに国土や軍事の重要な部分をにぎられた、事実上の従属国になっていること、大企業とその集団の横暴が他の資本主義諸国とくらべても、ひときわ強い、というところにありました。多くの産業で「サービス残業」という違法な搾取形態が存在し、ヨーロッパで確立している解雇規制法すら日本にはありません。
こうした現状分析から私たちは、日本社会にもとめられている変革は、資本主義か社会主義かの選択でなく、資本主義の枠内で民主主義革命を実行することにあるという結論に到達しました。それをやりとげて初めて、社会主義に向かう次の課題も、国民の前に提起できると考えてきました。
発達した資本主義国では、各国で直面する課題はそれぞれ違います。私たちの路線は、日本の情勢の独自の分析にたって引き出した日本独自の路線です。同時に、私たちは、資本主義的な横暴や抑圧の現れにたいして、民主的改革のプログラムをもって対抗する方針は、その他の条件のもとでも、一定の妥当性をもちうるのではないかと考えています。
私たちは、民主主義革命をなしとげて社会主義的変革にすすむうえで、「市場経済を通じて社会主義へ」という道を重視しています。理由は二つあります。
一つは、レーニンのロシア革命の経験です。レーニンは当初、市場経済を否定するのが科学的社会主義の立場だと考えていました。その立場からレーニンは、「戦時共産主義」という統制経済的な社会建設の道をすすみました。この方針は、当時のロシア社会のなかに、深刻な矛盾をひきおこしました。その経験からレーニンが、幾多の試行錯誤と苦悩のなかで到達した道が、新経済政策(ネップ)すなわち「市場経済を通じて社会主義へ」という路線でした。当時のレーニンの提言のなかには、現代においても耳を傾けるべき多数の教訓がふくまれています。
もう一つ、この道は、いま中国とベトナムで、現実の要請から生みだされて探究が開始され、経済的活力を発揮しつつありますが、私たちは、この道は、広い意味で、世界的な普遍性があると考えています。そのすすみ方や形態は、それぞれの国で独自性、特殊性をもつでしょうが、「市場経済を通じて社会主義へ」という大筋では、世界の多くの国々で共通点をもつだろう、と私たちは考えています。
地球上の広大な地域を占めているアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカ地域でも、資本主義に替わる新しい社会発展の道が模索されています。とくに、「アメリカの裏庭」と言われてきたラテンアメリカの最近の変化は、注目に値します。アメリカの「新自由主義政策」の押しつけにたいする批判が強まり、国民の立場にたった自主的・革新的な流れが、ベネズエラ、ブラジル、エクアドルなどで加速しています。拡大する南北格差や金融投機の横行など、二十世紀後半の全過程を通じて、アメリカが押しつける経済政策による近代化の道には、未来がないことが立証されつつあります。
私たちは、アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広大な地域でも、すでに、新しい社会をめざす真剣な模索が始まっていると考えています。それらの声のすべてが、ただちに社会主義への変革に直結するとは言えませんが、ここにも、体制変革の展望と結びつく二十一世紀の大きな流れの一つがあります。旧ソ連・東欧諸国でも、全体としてみれば、社会発展への契機となる矛盾を深めていると考えます。
私たちは、以上みてきた世界の新しい流れは、互いに関連しあい、刺激しあって、二十一世紀の激動的な展開を形づくってゆくと考えています。そのなかで私たちは、日本の未来をひらく運動を着実に展開してゆくことが、二十一世紀における社会主義をめざす運動にも貢献することになると確信して、発言を終わります。