日本共産党

2004年10月26日(火)「しんぶん赤旗」

被災地に雨 被害拡大の恐れ

新潟中越地震

避難9万8000人、不安募る 死者は26人に

山古志は全村避難 なお58地区孤立


 震度5強の余震と冷たい雨。水、食べ物などの救援物資を求める人びと――。新潟県中越地震発生からまる二日たった二十五日、被災地は強い余震が続き、夕方からは冷たい雨が降り出しました。県内の避難住民は十万人近くに達しました。救援物資が不足し、ライフラインの復旧が大幅に遅れるなか住民は二次被害も恐れながら、不安を募らせています。

 (本紙取材団)


写真

被災地に冷たい雨が降り二次災害が心配されます=25日、新潟・長岡市、濁沢

 道路の寸断で孤立していた山古志村では、全村民(約二千人)への避難指示が出され、二十四日に続き同日は千百十二人をヘリで長岡市へ搬送。住民の避難はほぼ完了しました。

 地震による死者は二十六人、負傷者は二千百人以上、避難者は三十九市町村で約九万七千八百人に達し、小出町で母子三人が行方不明に。四十年前の一九六四年六月十六日に起きた新潟地震の死者二十六人に並ぶ惨事となりました。

 新たに亡くなったのは車の中で避難生活をしていた、十日町市の無職、菊池エイさん(74)と会社員、遠田良一さん(54)、小千谷市の会社役員、大橋勝栄さん(85)、小国町の高橋勇吉さん(80)の四人。

 気象庁によると、体に感じる余震は同日午前零時から午後九時までの間に八十七回も。小千谷市で午前零時二十八分ごろ震度5弱、同六時五分ごろ震度5強を観測しました。

 県によると、救援物資の不足で同日午前中、十二市町村から十七万食の要請があったものの、輸送できたのは十四万食にとどまりました。また、山古志村全域と六市町の計五十八地区が道路などが寸断され依然孤立したままです。

 道路損壊は千三百四十一カ所、がけ崩れは七十五カ所に上り、同県の住宅被害は全壊百五十一棟、半壊二百五十七棟、一部損壊二千二百六十一棟。停電は同日午後九時現在、約四万四千戸で続いています。



もどる
「戻る」ボタンが機能しない場合は、ブラウザの機能をご使用ください。

日本共産党ホームへ「しんぶん赤旗」へ


著作権 : 日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp