2004年10月25日(月)「しんぶん赤旗」
「12時間以上の勤務という超過酷な労働。こん棒を持った正社員に監視され、『嫌なら辞めろ』とまるで奴隷労働です」。この10月、福島県いわき市の小松崎美貴太さん(32)=仮名=から、日本共産党中央委員会に寄せられた告発の手紙です。小松崎さんは、派遣労働者の無権利状態を正すために「日本共産党の皆さんに頑張っていただきたい」と大きな期待を寄せています。菅野尚夫記者
私は福島県に住む三十二歳になる独身で職を探しているものです。
「給料三十万円以上」などと書かれた求人広告を見て派遣会社で四月から三カ月働きましたが、書かれていたことと違いウソばかりでした。
長野県佐久市の電子部品製造工場で働きましたが、あまりにも拘束時間が過酷でした。
「労働基準局がもし会社に入ったら、『好きでやっている。強制でやっているのではない』と言え」と安全教育をした正社員から言われました。
有給休暇は六カ月働かないと、六日間の日数が与えられません。「文句があるのなら辞めろ」と平然といいます。
三カ月間働くと健康保険や年金など社会保険に加入できますが、日給額が15%マイナスの給料体系になるのです。
こういう時代になってしまった今こそ、日本共産党の皆さんに今まで以上に頑張っていただきたいと思い、お手紙を書かせていただきました。
広告に飛びつくも見せられて驚いた自立したいのに… |
「下水道設備会社に再就職できたんですが、会社自体に仕事がなくっていま自宅待機です」
JR常磐線「泉」駅を降りると、ジャージ姿の小松崎さんが待っていました。小松崎さんは、長野県佐久市の電子部品製造工場で体験した派遣労働者の無権利状態や日本共産党への期待を切々と語ってくれました。
小松崎さんは、いわき市内の県立水産高校を卒業してサービス業で働きました。が、五年前に不況で失業。その後、不安定な仕事しかなく、この一年は半分が失業という生活でした。七十五歳の父親と七十歳の母親の三人暮らしなので、両親の年金が支えです。
年老いた両親に「何とか自立しなければ」とあせる小松崎さんは四月、新聞の折り込みビラの派遣社員募集の広告に飛びつきました。「月収三十二万円以上可能」「正社員も可能」――。
親元を離れて暮らしたことのない小松崎さんにとって一大決心です。労働条件の説明もなく「詳しくは現地に行ってから」といわれ、長野工場にいくことになりました。
現地で初めて見せられた雇用契約書にビックリしました。勤務は昼、夜の二交代で時給約千円。欠勤一回でも遅刻一分でも、時給が八百三十円に下げられます。欠勤したり、勤務中に私用の外出を三回すると時給が七百七十六円に下げられるのです。
作業服や安全靴、帽子などの貸し出し料として五千円払わなければなりません。さらにテレビ、洗濯機などの備品貸し出し料が三千円。家賃五万円――。結局、手取りは十二万―十三万円程度で、残業と休日出勤でようやく月二十二万円くらいです。「月収三十二万円以上」という求人広告とまったく違うものでした。
服務規定には、「無届け欠勤三日で自己都合退職扱い」「長髪、染髪は厳禁」「違反した場合は、減給・出社停止・自己都合退職とする」とありました。
従業員三百人のうち、正社員は10%。小松崎さんの仕事は電子部品のハンダ付けです。一日百五十台の製品を仕上げるのが精いっぱいなのに、二百二十―二百七十台のノルマを課されます。こん棒を持った正社員が監視し、「おまえらやる気あるのか。やる気がないなら来る必要がないんだ」と怒鳴りました。
タイムレコーダーの時刻は、十五分進ませていました。「定刻までに出勤しても遅刻扱いとなり、ペナルティーになります。抗議すると『十五分前に出勤しているのが当たり前』と取り合ってくれなかった」と小松崎さんはいいます。残業は三―四時間で、一日の労働時間は十四―十五時間にも…。
「沖縄や大阪、北海道など失業率の高い府県から集められた人が多かった。半端じゃなかったので一日で逃げ出した人もいます」
テレビ中継した国会討論を録画し、各党の質問をみるという小松崎さん。「共産党ならオレたちの苦しみを分かってもらえる」と今回、便せん七枚の手紙を書きました。
小松崎さんは言います。
「若者から仕事を奪い、国民保険も年金保険も払えない。これでは死ねと言っているようなものです。大都会の渋谷や新宿で、若者に仕事を確保しようという日本共産党の政策を訴えてください。日本共産党の良さが分かってもらえるチャンスだと思います」
交渉して未払い賃金を払わせた派遣労働者の高城朝子さん(28)=横浜市=の話
派遣社員の立場が、こんなにひどくなったことに驚きます。私は、派遣先の会社に「もっとちゃんと仕事をしたい」と要望したら、契約期間を一カ月残して解雇されました。インターネットで川崎労働組合総連合に相談し、派遣会社と交渉。当初契約の三カ月分の給料を支払わせました。
「会社に要求することはわがまま」と思っていましたが、そうじゃない。正当なことなのだと、このときの体験で確信しました。立場の強い人が正しいわけではありません。「使い捨てが当たり前」という風潮に惑わされることなく、「弱い者だからといって間違っていない」という信念を貫くことが大切です。
支援してくれたり、励ましてくれる人を探すことや相談できる知人、労働組合を知っていることも重要です。
Q 仕事にやる気が起こらず休みがちです。四年前からメンタルクリニックにいっています。アダルトチルドレン(AC)という言葉を知りました。自分は当てはまると思います。乗り越えるため具体的行動を何かやるべきでしょうか。夢や生きがいを感じられず死んでしまったらスッキリすると考え自己嫌悪になります。(28歳、東京都)
A ACという言葉はアルコール依存症者のもとで育った子どもたちに対して名づけられたものです。その後、機能不全家族にまで概念が広がりました。ACは、親のかわりにおとなの役割を果たしたり、いい子を演じたり、道化役として明るくふるまったり、家族を維持するためにけなげに頑張る傾向があります。
「私はここで生きていていいんだ」という安心感がなく不安が強い。生きがいが感じられず、自己否定感にかられる方が多いのです。あなたが死にたいと思うのも、自分を責めすぎるからでしょう。でも、ACという言葉は、病名ではなく、生きづらさを抱える自分を認識し、それを乗り越えて自分を生かすためのものです。
生い立ちのなかで、生きづらさを身につけてしまったけれど、それを自分を責める材料にしないでほしい。
「何かやるべきなのでしょうか」と思うなら、同じような仲間がいることをいろんな方法で知ってください。自助グループに参加するのもいいでしょう。
仲間がどうやって自分の道を模索していったか、本や生の話できいてみましょう。ゆっくり自分自身と向き合えば、つらさも変わってきます。今のつらさは必ずあなたの力となっていると思います。マイナス面ばかり目を向けず、つらさの中、生きぬいている自分をほめることも大切にしましょう。
精神科医 上村順子さん 山口大学医学部卒。代々木病院、松沢病院などで勤務。99年からめだかメンタルクリニック院長。