2004年8月23日(月)「しんぶん赤旗」
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「日本共産党に入りたい」。毎月開く学習会ごとに青年たちが入党してきます。テレビドラマ「北の国から」で知られる北海道富良野市など、二十三市町村を活動地域にする日本共産党上川地区委員会の取り組みです。今、青年にとってなぜ日本共産党なのか―。北海道を訪ねました。菅野尚夫記者
副委員長の猿子昌正(ましこ・まさただ)さんにとって、携帯電話のメールは「青年と結ぶ命綱」です。猿子さんのメールには、約二十人の青年たちのアドレスが入っているからです。
日本共産党青年支部の野口亜衣子さん(21)は、参議院選挙の結果についての感想を、猿子さんの携帯電話にメールしてきました。
「選挙結果を見て、いろいろ考えると簡単にはメールを打てませんでした…」
亜衣子さんのメールは、五百七十五文字にもなります。
「私たちも共産党に出会い、考え方が変わってきています。一人ずつでも私たちのように、分かってくれる人が増えて広がっていってほしいと思うし、そうなることを信じて、これからも学習会などに臨んで行きたい」
二年前、学習会で入党した山田小織さん(24)のメールが届きました。
「残念でした。でも、まだまだ。これから私も一緒に協力できるよう、いっぱい勉強して、そしてまだまだ頑張っていきましょう」
青年たちは、参院選挙で後退した結果にくじけることなく、学ぶ意欲を伝えてきました。
「砂に水がしみるように理解できた」。名寄市の工藤光諒(みつあき)さん(18)は、今年六月十六日、インターネットで日本共産党のホームページを見て、「しんぶん赤旗」の見本紙の配布を申し込みました。早速届けられた「しんぶん赤旗」を読んでの感想です。
「生活密着型の党。大きな会社ばっかり優先の政治を批判し、平等を貫く政党」
新聞から読み取った日本共産党像でした。定期購読するため日本共産党のポスターを張っていた、小平一郎さんの家を訪ねて購読を申し込みました。青年支部主催の選挙政策を学ぶ学習会にも参加。進んで入党しました。
「悔しく思ってきたことがやまほどある」と、工藤さんは自分が置かれた境遇を語りました。
小学校でいじめにあい不登校に。中学でも、授業がつまらなく、友達関係がうまくいかずに学校に行けませんでした。
中卒で働きだした工藤さん。「平等でない不公平な扱いをいっぱいさせられた」といいます。「会社に一切迷惑をかけない」と誓約書を書かなければ就職できない。有給休暇がなく休みのとれない職場。「休みたい」と要求すると「辞めちまえ!」と罵声(ばせい)が飛ぶ…。賃金が未払い、ということもありました。
「民主党の議員に訴えたんですが、『アルバイトだからだめだ』と冷たくあしらわれました。ブチッと切れた」
働きながら大学入学資格検定合格を目指して勉強している工藤さん。「共産党は、平和・平等について一番まともに考えて社会の矛盾の解決の道筋を示してくれる」
青年支部の穂積肇支部長(25)は、いいます。
「なにかいいことないか―と若者は考えています。集まるとみんな仕事がなく、働く待遇も悪い。がまんしているんです。だから、初めは『共産党のことを知りたい』と軽い気持ちで入り、学習会に参加してどうしたら良いのか分からなかったことが見えてきて真剣に勉強するんです。党に入る青年はもっと広がると思います」
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猿子昌正副委員長のメッセージ 私たちの地区委員会にある青年支部は、月一回欠かさず学習会を開いています。参院選挙のときは、年金問題やイラクへの自衛隊派兵、九条を含む憲法の改悪の策動など選挙の争点について学習会を持ちました。それをきっかけに、六人もの青年を新しく日本共産党に迎え入れることになりました。
青年の変化にビックリしました。「難しくて理解できないのではないか」と、日本共産党の政策を正確に青年に語ることを避けていては、青年から信頼を得ることにはなりません。
深刻な青年の就職難。農業を継ぎたくとも継げない農業経営の苦しさ。社会や政治のゆがみについての青年の批判の目は、私たちよりも新鮮で鋭いものがあります。
自覚した青年は大きなエネルギーを発揮します。「教えてあげる」ではなく「教えられる」ことが多く、「共に学ぶ」ことがたくさんある日々です。
Q 私立大学に学んでますが、授業は興味がわかなく、こんなのでいいのかな? などと疑問を感じています。思い切ってやめようか。でもせっかく大学に入学したんだから、と悩んでます。(サユリ 20歳。神奈川県)
A おれも大学時代に、あなたと同じような壁にあたりました。「弁護士になる」とかたく決意し、必死に勉強して入学したはずの大学だったのに、待っていたのは一般教養と法律の概論ばかり…。一体、自分は何のためにあんなにも頑張って大学に入ったんだろうって、真剣に思い悩みました。
でも、あるとき、フッと思いました。そんなふうに腐っているおれって、他力本願の典型のような人間なんじゃないかって。
自分で考えて選んだ場所にさえ真剣に向き合えない人間が、どうやって夢にたどり着けるというのか…そんなふうに真剣に思いました。
それからは視点を変えて、弱虫の自分とたたかいながら大学というものと向き合うようになりました。将来、仕事に就いたとして、自分の希望にそわない仕事が降りかかるたびに投げ出せるか? 無意味なものなどきっとありえない。今のすべては、将来の確実な土台となるのだ。日々、自分にそう言い聞かせながら大学に通いました。
学校という言葉を意味する英語「スクール」の語源は、ギリシャ語で「暇(ひま)」を意味しています。手にした「暇」をどのように活用するかで、人生はまったく違うものになる。
夢は決して逃げていかない。自分が夢から逃げていくのだ。今、ひとたび立ち止まり、等身大の無力な自分と向き合い、そして与えられている「暇」(チャンス)を大切にしてほしい。その先で、あなたのかけがえのない人生の扉はきっと開かれてるから。
ヤンキー先生 義家 弘介さん 明治学院大学法学部卒。99年から母校北星学園余市高校教諭。テレビドラマになった「ヤンキー母校に帰る」の原作者。