2004年8月7日(土)「しんぶん赤旗」
|
六日に開かれた原水爆禁止二〇〇四年世界大会・広島の閉会総会で、広島で被爆した、大阪出身の漫才師・喜味こいしさん(77)があいさつしました。こいしさんが原水爆禁止世界大会で、被爆体験を発言するのは初めてです。
こいしさんは、十八歳のときに二等兵として広島に配属されました。
八月六日、こいしさんが上等兵と朝食をとっていたときのことでした。
「ピカッ」。空が光り、本能的に茶わんを放り出して逃げようとしました。
「それから三、四秒だったでしょうか。音とともに兵舎の下敷きになり、気絶。黒い雨の冷たさで目が覚めました」
運ばれた川の土手で最初に助けられたのは兵隊だったといいます。一般市民はたくさん亡くなりました。
こいしさんが、のどの渇きを癒やそうと川まで下りると、川は死体でいっぱい。とても飲めませんでした。「衛生兵からもらった冷凍みかんを食べたときのおいしさは忘れられません」
こいしさんが大阪に帰る汽車を待っていたとき、足の無い軍人がいいました。「たばこ吸うか」
「苦しいときに人の情けがわかった」と話すこいしさん。「ごめんなさいね。この話をすると当時を思い出してしまうんです」と声をつまらせました。
こいしさんはいいます。「地球は宇宙のなかの小さな星。その地球に何百万、何千万、何億というわれわれ人間が住んどるんです」。そして、「その地球に原爆をこしらえとる人がいる。地球を壊すのは失礼。いかんことです」と指摘し、参加者に呼びかけました。「被爆者の一人としていいます。人類は戦争をやめましょう」