日本共産党

2004年7月20日(火)「しんぶん赤旗」

命がけで守った1枚

炭鉱労賃「保管証」示し訴え

「これが強制連行の証し」

中国人原告・崔さん(79)


写真
厳しい表情で「保管証」を示す崔書進さん=14日、福岡市内

 「保管証は強制連行の証し。何万倍にもして返してほしい」。第二次大戦中に強制連行され、福岡の炭鉱で過酷な労働を強いられた中国人の崔書進さん(79)が来日し、終戦後に賃金代わりに受け取った「保管証」を手に、労賃が保管されている門司税関(北九州市)などで訴えました。

血まで売られた

 弁護団によると、各地の裁判所で係争中の強制連行訴訟の原告約二百人のうち「保管証」を持っているのは崔さんだけ。文化大革命の時代、日本のスパイと疑われないため、多くの中国人が焼き捨てたとみられますが、崔さんの一枚は奇跡的に残りました。

 崔さんは十八歳だった一九四三年五月、中国河北省で日本軍に捕まり、その後、九州に送られました。福岡県筑豊地区の三井山野炭鉱で休みなしで一日十二時間、炭鉱の重労働を強制され、食事は数個のまんじゅうとごぼうのスープだけ。冬は暖房もなく、血も採られて売られました。日本人監督の暴行は日常茶飯事。崔さんの知るだけでも七人が弱り切って亡くなりました。「空腹で動けず、『こら、ばか』と足げにされた。作業後は泣き疲れて眠るしかなかった」。

 戦争が終わっても賃金は払われず、崔さんは仲間と一緒に抗議。会社側は「中国の邦銀で換金できる」と、九州海運局(当時、現在は門司税関が一部業務を継承)発行の額面千二百五十円の「保管証」を渡しました。しかし、崔さんが帰国すると、邦銀は既に閉鎖されていました。

 やがて始まった文化大革命。日本にいたことのある崔さんは裏切り者と呼ばれ、監獄代わりの牛小屋に入れられ、土木作業を強いられました。家に残された妻は、日本のスパイと扱われ処刑されるのではという恐怖にかられ、日本に関するものを焼き捨てました。

息子が隠し続け

 ところが、当時高校生だった息子が「将来役に立つはずだ」と機転を利かせ、母親にも内証で保管証を教科書に挟んで隠し続けました。崔さんは「もし紅衛兵に見つかっていたら、命はなかっただろう」と振り返ります。

 自分と息子が命懸けで守った保管証。「これさえあれば、私が亡くなっても、息子や孫の代まで『血の債権』を返せと日本側に言える」。崔さんらが原告となり、国と三井鉱山などに損害賠償を求めた強制連行訴訟(福岡第二陣)での闘いの決意を新たに、崔さんは十七日帰国しました。


もどる
「戻る」ボタンが機能しない場合は、ブラウザの機能をご使用ください。

日本共産党ホームへ「しんぶん赤旗」へ


著作権 : 日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp