日本共産党

2004年7月15日(木)「しんぶん赤旗」

主張

党創立82周年

不屈の歴史と大きな展望


 きょうは、日本共産党の創立記念日です。一九二二年七月十五日の創立から八十二周年となりました。

 参院選の結果は残念でしたが、日本共産党の八十二年は、幾多の困難を不屈の精神でのりこえてきた歴史です。さまざまな弾圧、抑圧がありましたが、日本国民が直面している苦難の軽減、生命と安全の擁護、新しい合理的な日本の建設、世界平和のために献身するという立党の精神を貫いてきました。その先人の努力に学びつつ、二十一世紀の日本を展望し、新しい政治を切り開く、あらたなたたかいに踏み出します。

戦前の「二大政党」

 日本共産党の歴史は、日本の政党のなかで最長です。これは、創立時から、主権在民の民主主義政治の実現、侵略戦争反対をかかげてたたかってきたからです。戦前に存在した他の政党は、天皇絶対の暗黒支配体制を支え、侵略戦争を推進したため、戦後、同じ名前で復活・継続することはできませんでした。

 日本史で「最初の本格的政党内閣」とされているのは、立憲政友会の原敬内閣(一九一八―二一年)です。その後、政友会と民政党の「二大政党」の時期(一九二七―三二年)がありました。明治憲法下の帝国議会は、天皇の立法権行使を助ける存在にすぎませんでしたが、この時期は、衆議院の多数党が内閣を構成する形になりました。

 しかし、「二大政党」のいずれも、政治の枠組みを変えませんでした。立法・司法・行政・軍事の全権限を天皇が握り、国民の自由、人権を抑圧していましたが、それを日本のあるべき政治体制=「国体」だとし、「国体護持」を絶対的基準にしました。天皇が行う侵略戦争を「聖戦」と美化し、積極的に推進しました。

 民主主義と平和を主張する日本共産党は、「国体」と相いれない存在として禁止の対象とされ、天皇制政府の弾圧を受けました。拷問で虐殺された党員も少なくありません。日本共産党として選挙に立候補することは許されず、合法無産政党の「労農党」から党員を立候補させることはありましたが、「二大政党」のらち外でした。そうした条件の下でも、「赤旗」を発行して国民に真実を伝え、無権利状態、低賃金の労働者、貧窮生活を強いられる小作農民の生活を守るために奮闘しました。

 このたたかいが、戦後日本の民主主義と平和につながり、日本国憲法は平和的民主的原則を明記しています。

 一方、「国体護持」という共通の土台の上に立つ「二大政党」の「対決」のなかに国民の苦難を打開する道はなく、国民生活破たんと侵略戦争につながりました。

必ず変えられる

 日本共産党は、もっとも長い歴史を刻んできた党であり、その教訓を生かして、日本の未来をもっとも長い視点で展望しています。

 綱領で「二一世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前進の世紀とすることをめざして、力をつくす」と書いているような党は他にありません。これは、日本社会の矛盾を分析し、一歩一歩それを解決する方向を探究した成果のうえにたって提起しているものです。

 戦前の「二大政党」は「国体」を永遠不滅と見ていましたが、根本的に変わりました。国民にとって矛盾と困難に満ちた政治、社会は、国民の力で、必ず変えることができます。

 日本の未来を開くために、力をあわせましょう。


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