2004年7月12日(月)「しんぶん赤旗」
森に降った雨は、いったん樹木や葉、土壌のなかに蓄えられ、栄養たっぷりになって徐々に川から海へと流れます。魚介類のえさとなるプランクトンや、海藻を育てる養分を含み、魚や貝が豊かに育ちます。魚にとって、森は生命の源といえます。昨年は三十六道府県の百七十六地区で植樹がおこなわれました。
いまから十六年前の六月、北海道全域で「お魚殖(ふ)やす植樹運動」が行われました。道漁協婦人部連絡協議会がおこなった、漁業者の組織的な植樹活動の始まりです。翌年、カキ養殖で知られている宮城県気仙沼でも植樹が始まり、「森は海の恋人」ということばが有名になりました。魚や貝がいっぱいすむ豊かな海を取り戻すには、山を豊かにしなければいけないと、全国各地で展開されている、漁業者による植樹活動。二〇〇一年度からは、農林水産庁も腰をあげ、補助事業をはじめました。北海道と、カキの産地・広島をみてみました。
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北海道では、「百年かけて百年前の自然の浜を」と、一九八八年六月から全国に先駆けて、漁協婦人部を中心に、豊かな森をつくろうと植樹活動がいっせいに始まりました。
道漁協婦人部連絡協議会(現・同女性部)の創立三十年周年の記念事業。この年は全道百三十六漁協婦人部のうち、九十五婦人部が参加して、ミズナラ、シラカバ、ハルニレ、アオダモなどの落葉広葉樹の苗木約七万三千本を植えました。
毎年ねばり強く植え、昨年までに約六十三万本を超えました。森林組合、地域住民、生協、ボランティアなどの協力も得て、全道的な活動になっています。
なぜ、浜の女性たちの活動が広がったのでしょうか。道指導漁連(当時)の元環境部長の柳沼武彦さん(64)は「二百カイリ時代の到来で多くの漁民が遠洋、沖合から締め出され、狭い前浜に押し込まれたこと。開発によって河川、海が汚染で深刻な影響がでたことがあります。これらの打開のため、魚を殖やすために森づくりが注目されました。百年前の鬱蒼(うっそう)とした森を取り戻そうという息の長い活動です」と語ります。
その昔、北の海はニシンの群来(くき=産卵のために魚群が沿岸に押し寄せる)に象徴されるように、サケ、コンブ、ホタテ、カキなども豊かに育つところでした。
植樹運動を始めた当時、女性たちは森林組合の協力も得て「森と川と海はひとつ」と、学習会を各地で活発に開きました。運動のなかで「森が豊かであれば、その養分が川を通して海に運ばれ、恵みをもたらす」―こんな会話も飛び出し、意識の変化がおこりました。
道や国も動かしました。道は「魚を育(はぐく)む森づくり事業」指定(九二年)、苗木助成(九六年)をし、国も推進事業(〇一年)に加わりました。
一八九七年(明治三十年)に施行された森林法の中に「魚つき保安林」の条項があり、関係者から指定拡大をとの声があがりました。道議会でも日本共産党の大橋晃道議が指定個所拡大を求めました。
運動の担い手は若い世代に引き継がれています。
十勝管内大樹漁協女性部の伊藤るり子部長(51)は「最近、前浜に魚が戻ってきているなと実感します。子どものころ『父がミズナラの木は川と海を豊かにする』といっていたのを思い出します」といいます。
「魚つき林」の歴史を研究している若菜博室蘭工大教授は「浜の女性たちの植樹活動は、森が海の魚を育てる、その貴重な実践だと思います。同時に海の魚が森を育てるということも重要だと思います。サケがクマに食べられ、内陸の森に運ばれて養分になっています。森と海の双方向の物質の移動が注目されている」と話しています。
北海道総局・小高平男記者
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広島県漁連では、一九九六年春に『森は海の恋人』の著者、畠山重篤さんを招いて広島市東区で講演会・勉強会を開き、植樹の意義を学習。同年秋に、西部の芸北町、中部の大和町、東部の府中市の三カ所で、県の補助事業として植樹を始めました。中心になったのは、各地区の漁協青年部でした。
当時は、貝に害を与える貝毒が発生し、「海の環境に異変がある」と感じた漁業者が、「海をよみがえらせるには、豊かな山を取り戻さなければ」「漁師が山のことは分からないが、山と海と川と森がつながっている」と意識したのでした。
西部の芸北町は、広島湾にそそぐ太田川の上流です。広島湾の沖美町(島)でカキ養殖をしている漁業者が県の補助を受けて、九六年に百五十人で山桜、ケヤキ千本、九七年にブナ四百五十本、九八年にブナ四百五十本、九九年にブナ、クリ九百本、二〇〇〇年にブナ、クリ九百本と、五年間の植樹をしました。
さらに二〇〇一年からは「漁民の森づくり」として国の補助を受けて、地域の子どもたちとともに植樹をすることを引き継いでいきました。
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中部と東部が中断するなかで西部だけが続いたのは、かき部会が主力で、子どもがいる若い後継者が多いからです。
現在は、植樹体験者の公募で沖美町子ども会育成連合会の子どもたちや保護者、漁業者が十月に実施しています。毎年約二百人が参加。沖美町からフェリーと貸し切りバスに乗って、島根県との境にある芸北町まで約二時間かけ、ハイキング気分で出かけています。
昨年はミズナラ三百本、山桜三百本、ヤマグリ三百本の計九百本を植えました。午前十時から始めて昼までに終わり、バーベキューをしたり養魚場の釣り堀でマスを釣って楽しんでいます。
沖美町にある三高漁協青年部事務局の水口直樹さん(43)は、「子どもたちの意識は芽生えていると思う。若い漁師も海で缶ジュースを飲んでも、ぽい捨てしなくなった。すぐに成果が出るというものではないが、子どもたちが大きくなったときに、海に負荷のかからない開発を考えようというようになれば…」と話しています。
広島県・突田守生記者