2004年4月21日(水)「しんぶん赤旗」
自社の工場を部門ごとにきり売りして労働者に転籍を迫り、応じなければ派遣会社に送り込み海外勤務も強要―。こんなリストラを「日本の人事制度の毒味役になる」と社長が公言する日本IBMが実施しようとしています。
原田浩一朗記者
「こんなやり方をよく考えつくもんだ」とあきれるのは、液晶パネルの製造ラインの設計を担当するWさん(48)。六月に入社二十五年表彰をうけるベテラン技術者です。
東京ドーム五個がすっぽり入る約二十四万平方メートルの広さを持つ滋賀県野洲(やす)町の日本IBM野洲事業所。ここで働いていたWさんら二十四人が「三月から神奈川県厚木市の派遣会社メイテックで研修を受けよ」と命じられたのは二月末のことでした。
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突然の出張命令に身の回り品だけをもって入ったメイテックの寮。見てびっくりしました。六畳ほどの部屋に二段ベッドとロッカー、机といすが置いてあるだけで、テレビはなく、トイレと風呂は共用でした。
「通常の出張なら、ビジネスホテルの一人部屋なのに。これでは気が休まらない」とWさん。食堂が休みの金曜の夕と土・日曜日は、コンビニ弁当を買いに走ります。
研修といっても、お辞儀の仕方や感じのよい笑顔のつくり方といった技術者の仕事と関係のない内容で、二日間で終了。あとはパソコンに向かい、履歴書と業務経歴書を記入させられました。
日本IBMは「派遣同意書」「機密保持に関する誓約書」「業務経歴書利用承諾書」に署名・なつ印し、三月十六日までに提出せよと命令しました。
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会社のいう通りに署名・なつ印すると、四月からメイテックに出向となり、メイテックが指定した派遣先で働くことになります。派遣先は「全国どこでも。派遣先企業が進出している中国の上海や台湾もありうる」と説明され、派遣先が見つからないと、厚木市内の寮でいつまでも待機させられます。しかも一カ月六万円の寮費は自己負担です。
「派遣会社へ出向・どこでも派遣」という日本IBMの経営計画は、さながら“奴隷船に乗せ、海外に売り飛ばす”(労働者)新手の攻撃です。
日本IBMがこうしたやり方をするのは、もうけが薄いと判断した「不採算部門」を売り払う一方、「会社のいうように転籍や退職に応じなければこうなるぞ」と見せしめにすることで労働者支配を強めるためです。
技術者一筋のWさんらに会社は、この三年近く数々の仕打ちをくり返してきました。二〇〇一年十月、台湾企業との合弁会社を設立して、液晶部門の社員約七百人を強制的に出向させ、しばらくすると転籍を強要しました。転籍すれば、賃金は45%もダウンします。
多くの労働者は泣く泣く転籍に応じましたが、Wさんらは「長年会社のために尽くしてきた私たちに何という仕打ちか」と怒り、拒否しました。
転籍を拒んだ二十数人を二〇〇三年一月から、出向を解除して会社に戻したものの、Wさんら十二人については「帰任先がない」として、パソコンの“自学自習”というひまつぶしを命じただけで、一年以上仕事を取り上げています。Wさんら十二人と、京セラに売却された別部門で転籍を拒否した労働者が、派遣会社に送られようとしたのです。
労働者を工場ごと売り飛ばすというとんでもない計画に立ちはだかったのが、JMIU(全日本金属情報機器労組)日本IBM支部でした。
支部は、毎月一回、JMIU京滋地方本部、滋賀県労連、守山・野洲地域労連の支援を受け、JR野洲駅前で宣伝しています。組合機関紙「かいな」を配布し、会社の不当性を暴露してたたかいをよびかけてきました。
会社が厚木への研修出張を命じたとき、組合員は、二十四人中わずか四人でしたが、その後十三人が組合に加入。「派遣同意書」への署名・なつ印を拒否しました。Wさんも新たに組合に加入した一人でした。
JMIU支部は会社と団体交渉を重ね、組合員を三月中に野洲事業所内に戻させました。仕事を取り上げられた状態はいまも変わりありません。
Wさんは「遠く離れた“収容所”から生還し、ひとまずホッとしています。二人の息子も妻も喜んでいる」といいます。
現在三十人の組合員になった野洲分会を担当するJMIU支部の吉田耕三書記次長はいいます。
「派遣会社と結託し、転籍に応じない労働者を海外にほうり出そうという会社の計画は、とん挫しました。『出向させて派遣』というのは、違法な二重派遣の疑いが強いもの。野洲でのものづくりを続け、雇用と仕事を確保せよと日本IBMに求めていきます」