2004年4月13日(火)「しんぶん赤旗」
「みなさん、ありがとう」。鐘淵(かねがふち)化学工業(本社・大阪、東京、従業員約三千人)を不当に解雇された二人の女性が解雇撤回を求めて裁判に訴え、このほど仙台地裁で勝利和解しました。原告の一人、鈴木厚子さん(51)の喜びの手記を紹介します。
「今日の青空のように、晴れ晴れとしてすがすがしい気持ちです」
去る四月一日、勝利和解のお祝いに仙台地裁前に集まってくださった支援の皆さんの前で、私の口から思わず飛び出した言葉です。喜びの報告ができる日の来ることを、あの時の私は夢想だにできませんでした。
「営業所を閉鎖する、あなたの仕事はない」と職場の全員がいる会議の席で通告された時(二〇〇一年八月、解雇は同年十月)の心の傷、心の痛みは、言わせた側・言った側の人間には絶対わからないでしょう。
朝目覚めると、孤立感・重圧に押しつぶされそうで、頭から布団をかぶってじっと丸くなっていたい、ということが何日もありました。眠れない。食べられない。会社からの帰り道、気がつくと涙がぽろぽろ止まらない。ひと月前に新築のマンションを購入し、引っ越ししたばかりで、来月からローン返済が始まるというのに…。
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子会社への転籍の打診や転勤の可能性など、解雇を回避するための事前の相談はまったくありませんでした。「納得できません。私は辞めません」と言ってはみたものの、何をどうしてよいのか分からない。助けを求めた組合は「退職の条件はいい方だ。解雇は法的に問題がない」と、力になってくれません。
ひと月で体重が八キロも減って、「このままでは体を壊してしまう」と、カウンセリングを受けました。極度の抑うつ状態。薬の助けを借りての通勤の日々、会社のやりかたはあまりに理不尽だ、と怒りつつも、辞めるしかないのだろうかと迷い、弱気になった私は家族に相談しました。
「会社が間違っているのに、言いなりになるのは自分を殺すことじゃないの」「お母さんがしたいようにするのが一番いいと思う」と三人の子どもたち。夫も全面的に協力すると言ってくれました。私はようやく、家族を犠牲にしてまで仕事に打ち込んできた私の十三年間を紙くずのように扱った会社と、対決する決心ができました。
私と一緒に解雇通告された神室(かむろ)理枝さん(38)も、幼子二人の育児と仕事を両立して頑張ってきたのに、急に解雇といわれても、夫の収入だけでは新築したばかりの住宅ローンを払いきれない、と困り果てていました。
「私は絶対会社を辞めないけど、神室さんはどうする?」「私も辞めたくありません。鈴木さんが頑張るなら私も一緒にやります」
しかし、労働法も労働運動も労働基準法さえ知らない私たちには、何の手立てもありません。一筋の光が見えたのは、ニチメン名古屋で私と同年代の二人の女性が一年間の自宅待機にもめげず裁判に訴え職場復帰した、という「しんぶん赤旗」の記事を知人から見せてもらったときでした。
私は名古屋まで二人に会いに行きました。伊藤たえ子さん(昨年一月急逝)も石原愛子さんも、私と変わらないごく普通の女性でした。二人に励まされ確かな力を得て、会社と組合を相手に不当解雇撤回を求めました。しかし会社はかたくなで、私たちは裁判に訴えるしかありませんでした。
陳述書、裁判官を説得するための証拠集め、弁護士との深夜におよぶ打ち合わせなど、生まれて初めてのことばかり。しかし最強の弁護団との二人三脚で、仮処分・仮処分異議審とも「違法解雇」との勝利判決をかちとりました。
この間、毎朝出勤して「働きたい」と言い続けたほか、残業調査、鐘化社員への職場実態調査のアンケート、役員への抗議はがき、さまざまな集会での支援のお願い、ホームページを立ち上げ日本中に知らせる、株主総会での訴え、大阪本社前での宣伝など、やれることは何でもやりました。「支援する会」も結成され、街頭宣伝、署名活動、裁判傍聴など運動は広がっていきました。
今、二年半のたたかいを終え、何ひとつ思い残すことはありません。なすべきことをやり遂げた充実感と、たたかいを通して得た人たちとのきずなが何よりうれしいのです。私たちのたたかいが、悩み、つらい思いをしている労働者や家族の皆さんにとって、ささやかでも力になれれば本当にうれしいと思います。ご支援ありがとうございました。
鐘淵化学工業の不当解雇撤回訴訟 二〇〇一年十月、鐘淵化学工業(KANEKA)は仙台市の営業所閉鎖を理由に鈴木さんと神室さんを整理解雇。二人は仙台地裁に仮処分を申請。裁判所は賃金の支払いを命じましたが、会社が従わず本裁判に。〇三年三月、仮処分異議審でも地裁は解雇は違法と認定しましたが会社は応じず、昨年末に裁判所から和解勧告があり、三月三十一日に同地裁で和解が成立しました。