2004年4月4日(日)「しんぶん赤旗」
東京都教育委員会は都立高校、都立盲・ろう・養護学校の卒業式で起立して「君が代」斉唱をしなかったなどとして、教職員百七十六人を大量不当処分しました。すでに入学式に向けた職務命令書が教員に渡されています。石原都政と都教委は内心の自由を踏みにじる暴走をエスカレートさせようとしており、「子どもたち、教師、父母の内心の自由を踏みにじるな」「あまりにも行きすぎ」と抗議・批判の声が広がっています。
東京総局 室伏敦記者
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処分は現職教員が戒告。退職して嘱託として再雇用されていた職員が再雇用を取り消され、事実上の解雇となる重いものです。
処分の根拠となったのは、都教委が昨年十月に通達した、学校行事での「日の丸」「君が代」の扱いや、教職員、児童生徒の行動を定めた「実施指針」です。「指針」は、「教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」など十二項目にわたり細かく規定しています。
都教委は都立学校の卒業式に職員を派遣して、「君が代」を教職員や児童・生徒が起立斉唱しているか監視。起立しなかった教職員は式の後、都教委職員や学校管理職から事情聴取されました。
ある教諭は、事情聴取のとき都教委職員に、「戒告が繰り返されると分限(免職、停職などの行政処分)になるぞ」と警告されたといいます。
重苦しい雰囲気を保護者も感じています。子どもが来年、都立高校を卒業する鈴木富江さん(八王子市)は、「強制し、言うことを聞かない先生を処分するなど、ひどい。子どもが入学したときは自由な雰囲気の学校でした。その自由を弾圧してくる感じです」と不安を語ります。
ある都立高校の女性教員は三月上旬、管理職から渡された職務命令書をみて驚きました。「卒業証書授与式に参加する学級生徒が国歌斉唱時、起立・斉唱するよう事前の指導をする」という、いままではなかった項目が入っていたのです。
「『歌う』『歌わない』は個人の内心の問題、君たち自身が判断できるんだよ」と教えることも許されないのです。
卒業式の「君が代」斉唱で何人かの生徒が起立しなかった学校では、学級担任が、「ちゃんと指導したのか」と都教委に事情聴取されました。「しなかった」と答えれば「職務命令違反」、「した」といえば「指導力不足」とされる――そういう聞き取りでした。
処分は教職員に向けられたものですが、起立しない児童・生徒がいれば必ず先生が処分されるという仕組みは、結局、子どもが内心の自由に従って行動すること自体を許さず、子どもの内心の自由そのものの抑圧となっています。
教職員の処分を決めた三月三十日の都教委臨時会は、「続いて入学式があり、少しでも遺憾な例を少なくするように」(国分正明委員)と従来の方針を再確認、入学式をにらんでいっそうの強権発動をねらっています。
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教育基本法に明記された民主的教育の理念と原則を敵視する政府・自民党は、「日の丸」「君が代」押し付けをてこに、国家権力による学校教育の支配をねらってきました。こうした勢力を勢いづかせたのは、九九年の「日の丸・君が代」法制定でした。
しかし自民党、公明党などによる同法強行の際にも、国民的なたたかいのなかで、政府自身が「日の丸」の「義務付けなどは考えていない」という答弁(別項参照)をせざるを得ませんでした。
ところが都教委は、この政府見解さえ踏み越えて、全国でも例のない強制を行っています。二〇〇三年四月の都教委では、石原人脈から同委に乗り込んだ鳥海巌委員(元丸紅会長、東京国際フォーラム社長)が、「政府答弁が間違っている。だから、文科省はきちんとやりなさいと言っている」と発言。東京都は、教育基本法に反する学校への「不当な支配」を全国に広げる“発信源”になろうとしているのです。
都内の新日本婦人の会が行った「日の丸」「君が代」を強制するなという申し入れで、ある都立高校校長も「この問題をずっと考えていた。立場上やらざるを得ないが、こういうやり方がいいとは思えない」と語りました。都への批判は、いま深く広がっています。
教育基本法全国ネットワーク事務局長(元東京都高等学校教職員組合書記長)の山田功(65)さんの話 今回の異常な教師大量処分の本当のねらいは、日本を戦争する国にするため、子どもや保護者の考えを変えていくことにあります。都教委は、その方針に忠実な教師をつくりたいのでしょう。
生徒と教員、校長がともに考え合う場を持った学校には、「教員に指導要領違反の発言がなかったか」と一部都議が乗り込んできたり、教育行政が根掘り葉掘り点検している。教育への不当な支配を禁じた教育基本法一〇条に反しています。
教育基本法改悪を阻止することがいよいよ大切です。都立八十三校の保護者有志の処分反対署名や教育基本法改悪反対の各地の取り組みなど、確実にその声は広がっていると思います。
政府も「義務づけない」「強制許されない」 |
「日の丸・君が代」については学習指導要領でも掲示や斉唱の仕方をさだめてもおらず、法制化当時から政府自身、強制はしてはならないと繰り返し言明してきました。
「政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません」(一九九九年六月二十九日、衆院本会議 小渕恵三首相)
「教育に当たる学校の教員が、憲法に保障された基本的人権である内心の自由にまで立ち入って強制すると判断されるような教育活動を行ってはならない。この点につき、今後とも十分留意してまいりたい」(一九九九年八月四日、衆院文教委 御手洗康文部省初等中等教育局長)
「良心あるいは思想の自由というものは、それは憲法上の個人の内心の自由として、これは絶対的に認められており、守られなくてはならない」「強制的にその内心の自由を束縛するようなことをしてはならない。殊に物理的に、強制的に席を立たせる、ないし口をこじあけてなんというのはとんでもないことで、もちろん許されるものではないと思います」(二〇〇二年六月五日、衆院文部科学委員会 遠山敦子文部科学大臣)
今回の都教委の対応について一般紙も相次いで社説で批判しています。
青森県の「陸奥新報」は「常道を逸している」(二日付)と書き、東京新聞も「強引すぎる」として「問題は戦後六十年たった今も、戦争の暗い思いを重ね合わせる国民が多い日の丸や君が代の取り扱いを一律にルールで決めてもいいのかということだ」と強調、小渕首相答弁を引き「賛成であろうと反対であろうと、押しつけはよくない」と書いています(一日付)。
また朝日新聞はやはり都教委の処分は「常軌を逸していた」「そうまでして国旗を掲げ国歌を歌わせようとするのは、いきすぎを通り越して、なんとも悲しい」として、「教師を処分するのは、それだけではすまない。いや応なく子どもたちを巻き込むことになるのだ」「処分を掲げてこのまま突っ走るのは、新入生を迎える行事にはふさわしくない」と強調しています(三月三十一日付)。