2004年3月17日(水)「しんぶん赤旗」
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14日午後10時25分、菅谷(すげのや)昭候補=前県衛生部長、医師=当確の一報に、歓声と祝福のクラッカー、こだまする「アキラ」コール。人口20万人余の長野県第2の都市、松本市長選で、自民・民主・公明・連合・市職労など「オール与党」で、4期目を目指す現職の有賀正候補を破った瞬間です。菅谷市長を誕生させた原動力は「もう我慢できない。市政を変えたい」など、押し込められていた市民のさまざまな願いでした。長野県・原広美記者
九千七百票差での勝利。菅谷氏の後援会「あたらしい松本の会」の宮地良彦会長(元信州大学学長)は「歴史は偉大な創造者。たんたんと流れる時間にも、輝かしい光で照らす時がある。星の時間と呼ぶが、きょうは松本の星の時間」と喜びを表現。一方、自民党県連幹部は「どうしてあんなに差が出たのか」とこぼします。
これまでの市政について中塚尚子さん(57)は「形式的には民主的に見えても、実際はまったく市民の声が反映されない。合併問題もそう。市民会館問題もそう」と言います。五十二歳の男性も「何を聞いても『いま検討中』と言うだけで、何もかも決めてから発表。陳情に行ったら断られた」と語ります。
現職市長は「三十万都市」構想という大ぶろしきを広げ、市町村合併を推進し、「箱もの」行政を続けました。税金の使い方、市長の姿勢が象徴的に問われたのが市民会館の建て替えでした。
市民劇場など文化団体・サークルは、市民会館を使いやすい中ホールで建て替えを求めていました。でも市は、百四十五億円もかけてオペラハウスにすると決めたのです。
日本共産党など十四団体でつくる「明るい民主市政をつくる市民の会」は、これを前回の市長選で争点に押し上げました。住民運動も盛り上がり、六万人余の一時中止署名を集めましたが、市長は無視しました。
しかし党と住民団体の運動で、「財政が厳しい時に百四十五億円もかけるのはおかしい」「オペラハウスに百四十五億円も使うなら、福祉や教育に使うべきだ」など、市長の姿勢と税金の使い方に疑問をもつ考えが市民に広がっていきました。
今回の市長選で現職は、第一声で「『箱もの』と批判するが、『箱もの』がなければ何もはじまらない」と開き直りました。ところが、法定ビラでは市民の声に「耳を傾け、真摯(しんし)に受け止め」ることが現職の「真骨頂」などとうそぶきました。これが市民の怒りをいっそう強めました。菅谷氏を支持した横田一俊さん(57)は「あのビラを見たときには、開いた口がふさがらなかったよ。黙っていたらだめだ、リーダーをかえる時だと実感した」と語ります。
「市政は市民が主役、行政は黒子」――「箱もの」行政から医療・福祉・教育・環境など暮らし優先に切り替える政策を掲げた菅谷氏。「明るい会」は支援を決め、「あたらしい松本の会」と共同して選挙をたたかいました。立候補表明は告示まで一カ月を切っていましたが、市民の声を聞こうとしない有賀市政への不満が、「市民が主役」、暮らし優先をかかげる菅谷氏への期待となって急速に市民の間に広がりました。
もう一人の女性新人候補の陣営は「共産党がついたわけのわからない男」と菅谷氏を攻撃。「共産党の『すげのや昭』」などと書いた謀略ビラもまかれました。両「会」は、市民との共同の輪を広げることで反撃しました。
市内各地でお茶の間集会を開催。その参加者がまたお茶の間集会を開く。チェルノブイリ原発事故で続発した甲状腺がんから子どもたちを救おうと、信州大学医学部の助教授を辞め、単身で現地に飛んで五年半奮闘した菅谷氏。思いやりや行動力などが感動と共感をよび、乳幼児医療費窓口無料化などの政策も浸透し支持の輪が広がりました。
演説を聞いて菅谷氏に決め、当選を会場で喜び合った岡庭利明さん(61)は語ります。「政治は人の気持ちがわからないとできない。だれも望んでいないものを造る、市民の声は聞かない、そういう政治は長続きしない」