2004年2月21日(土)「しんぶん赤旗」
|
子ども連れの母親の姿が目立ちました。八日、さいたま市で開かれた革新懇主催の「講演と音楽のつどい」。講演でイラクへの自衛隊派兵を批判した市田忠義さんは、自身の戦争体験を交えながら語りました。「戦争中、赤ん坊の私を防空ごうに入れたり、出したりしてくれたのが姉でした。終戦直後に結核で亡くなりました」
静まりかえる会場。市田さんは、一冊の句集を手に「飢えに泣き弾丸(たま)におびえて娘(こ)は逝きぬ」という句を紹介しました。姉の死をいたむ亡き母の句でした。
「痛苦の教訓の上に確立した憲法の平和原則。イラクへの派兵は、憲法の根本原則をふみにじるものです」。声にいちだんと力がこもります。
講演五分前、舞台そでの秘書の携帯電話に連絡が入りました。陸上自衛隊本隊のイラク入りでコメントを求めたマスコミからです。翌九日、自衛隊派兵承認の暴挙について会見、十日には衆院比例候補(第一次)の記者発表―。党の顔として分刻みの活動です。
十三日夜の演説会(奈良市)。「川の流れは表面だけみると、渦巻いている、逆流し、よどんでいることもある。しかし、深い底ではとうとうと本流が流れています」。演説会で市田さんがよく語る一節です。
演説前には、奈良県党組織の会議にも出席。書記局長として、党組織の悩みを受けとめ、行動提起を交えて、総選挙時比三割増の「しんぶん赤旗」読者を増やすとりくみを激励しました。
十四日は札幌市。一時間半の講演を終えたあと、ただちにイラク派兵反対を訴える街頭宣伝に。「本当に隊員の安全を祈るなら、自衛隊を送らないことです」。派兵部隊の陸上自衛隊の駐屯地をかかえた道民の気持ちに訴えました。
寸刻を惜しんで全国を飛びまわる市田さん。「ほんとうに草の根で国民と結びついている私たちには、困難はともなうけれども、開拓者としての喜びとロマンがあります」
記事 小林俊哉記者 写真 滝沢清次記者
【活動地域】近畿(大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山の各府県)