2004年2月18日(水)「しんぶん赤旗」
衆院東京十二区で昨年、総選挙で公明党の太田昭宏幹事長代行の支援を決めた自民党の東京北区総支部。その後、現・元職の区議が役職返上と総支部の活動からの離脱を表明し、都連から除名される事態となっています。自民党が小選挙区の候補者を比例に回し、公明党小選挙区候補を支持した数少ない調整区だけに、注目されています。
活動離脱を表明していたのは安田勝彦、金子章両氏ら五区議と元区議一人です。安田氏は自民党北区総支部の幹事長、金子氏は副支部長を務めていました。
離脱表明では、党内の強い反対を押し切り、八代英太氏(現職)の再選擁立を見送って、公明党の太田氏の支援を決めたことについて、「自由民主党員をはじめ支援をしていただいている多くの方から怒りや非難の声として私たちに寄せられました」とのべ、公明支持が直接の理由だとしています。
自民党は北区で、小選挙区制が導入されてはじめての総選挙(一九九六年)で八代氏を擁立。当時、新進党から出馬した沢たまき候補(その後公明党参院議員)と激烈なたたかいを演じ、猛烈な創価学会批判を展開しました。ところが九九年に自公連立が成立すると、二〇〇〇年の総選挙では八代陣営は一転して公明党との選挙協力を要請。公明党・創価学会の支援を取りつけ当選を果たしました。
こうした経過から、昨年の総選挙で公明側は「二〇〇〇年の借りを返せ」とばかりに、八代氏の比例区への転出と、太田氏への協力を自民党に求めたのです。
自民党側では区議、後援会員などがいっせいに反発。特に古くからの自民党支援者の中から、「公明党・創価学会のために選挙なんかできない」(女性後援会幹部)という声があがりました。また「こうして自民党がじわじわと公明党・創価学会に侵食され、気がついたら創価学会の国になっていたなんてことに」(自民党区議)との声も出ました。
しかし、安倍晋三自民党幹事長ら党執行部が「連立の信義が問われる」と強調。八代氏本人も「東京全体を公明党の力を借りて勝たなければならない」と“本音”をのべていました。
除名された安田氏は「自民党が公明党・創価学会の票を求めて、公明党の候補の支援をする。これは政党とは何か、その本質にかかわる問題だ。『ひさしを貸して母屋を取られる』のたとえどおり、気がついたら公明党にくいこまれてどうにもならない」とのべています。
自民党都連は離脱表明した区議らに対し、離党を勧告し、離党しない場合は除名にするとしていましたが、期限の二月十日になっても返答がないため除名処分を決定しました。