2004年1月24日(土)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 靖国神社に参拝した小泉首相は「尊い犠牲の上に、今日の日本がある」といいましたが、この発言をどう考えますか。(広島・一読者)
〈答え〉 ご指摘のように、元日に突如、靖国神社に参拝した小泉首相は、五日の記者会見で、犠牲者を悼む国民の心情につけこみ、国民を野蛮な侵略戦争に駆り立てる精神的支柱となった、靖国神社の性格を覆い隠す発言をしました。
靖国神社は、なりたちも実態も、ふつうの神社とはまるで違います。天皇制政府が幕末からの「官軍」戦死者を祭るため一八六九年に設立した東京招魂社が前身で、後に陸軍省と海軍省が全面管理した軍事的宗教施設でした。出征軍人など、軍が「天皇のために」戦死したとみなした者のみを祭神として祭りました。天皇制政府は、靖国に祭られることが最高の名誉と教え込むことで、兵役や戦争への国民古来の健全な嫌悪感を封殺し侵略戦争に動員したのです。空襲や空爆、沖縄戦の民間犠牲者はもちろん、侵略されたアジア諸国民も、靖国の対象にはなっていません。戦後、靖国神社は一宗教法人となりましたが、太平洋戦争を推進したA級戦犯を一九七八年に合祀(ごうし)するなど、侵略戦争を肯定・美化し続けています。
靖国神社がこうした「神社」だからこそ、首相や閣僚の参拝に国内だけでなくアジア諸国からも、非難・抗議が集まるのです。戦争犠牲者に国民が誓った不戦の憲法九条を無視し、再び戦地に自衛隊を送り出している小泉首相の靖国参拝は、自衛隊員などにたいし、米軍の指揮のもと、かつて侵略戦争に駆り出されて死んだ兵士たちの“後に続け”といわんばかりの言動となっています。
商業各紙も突然の元日参拝の背景に、イラク派兵で現実問題に急浮上した追悼施設などの党内論議の紛糾、派兵の露先払いを務めた公明党への配慮などを指摘しています。当日、「すがすがしい気持ち」を強調した首相ですが、漂うきな臭さは隠しようもありません。(清)
〔2004・1・24(土)〕