2004年1月18日(日)「しんぶん赤旗」
日本共産党第二十三回大会最終日の十七日、不破哲三議長がおこなった閉会あいさつ(大要)は次の通りです。
大会準備の過程でも、「不屈の党」「科学の党」の真価は発揮された |
代議員のみなさん、評議員のみなさん。そしてCS通信をごらんの全国の党員のみなさん。いよいよ党大会最後の議事になりました。
この大会の準備は、独特の重大な特徴がありました。
|
もともとこの大会は昨年十一月下旬に予定されていました。情勢が急転して解散・総選挙となり、総選挙の二カ月後の大会という日程になったわけであります。この選挙戦では、「二大政党づくり」を合言葉にした財界戦略のもと、“自民か民主にあらずば政党にあらず”といった調子の大キャンペーンで選挙戦全体が色づけられ、そういう突風が、文字どおり荒れ狂いました。私たちは、その正体を見抜き、明確な政治対決の路線をただちに打ち出して力戦奮闘しました。しかし、選挙戦の結果は、得票四百五十八万票、もっとも攻め込まれた二〇〇一年参院選の得票四百三十二万票にくらべれば二十六万票の前進にはなりましたが、議席は大幅に後退させました。
こういう大後退の直後に党大会を開くというのは、私が中央委員会の一員となってちょうど四十年になりますが、この四十年間の党生活の中でも、前例のないことでした。その結果として、「失意」と「混迷」の大会になることを期待した観察者も、少なくはありませんでした。
しかし、全党は、選挙の教訓をしっかりと総括し、そこから政治的確信を引き出しながら、落ちついて党大会の準備にあたりました。そこには、「科学の党」、「不屈の党」というわが党の面目が現れたということを、私は強調したいのであります。(拍手)
党のこの姿勢は、この間の中間選挙でも発揮されました。私たちは、補欠選挙は別として、この二カ月間に全国十四市四十三町村で議員選挙をたたかいました。二市十四町村は無投票でしたから、選挙戦がおこなわれたのは十二市二十九町村でした。わが党は、そのなかの十二市十七町村で総選挙を上回る得票をかちとりました。得票減になった十二町村の分をあわせても、全体の得票合計は、総選挙での得票三万八千六百五十一票から四万八千九百二十四票に前進し、全体で27%の得票増をかちとりました。(拍手)
そしてこの党大会であります。
私は、こうして準備された第二十三回党大会が、全党の努力と奮闘によって、二一世紀における党躍進の土台をきずく歴史的な成功をおさめ、希望ある未来につながる大会となったことを、みなさんとともに、心から喜びたいのであります。(拍手)
新しい党綱領は、二一世紀における社会進歩の事業の道しるべとなるだろう |
この党大会の成果として、もっとも印象深く刻まれたいくつかの点について述べたいと思います。
第一は、大会が、新しい党綱領を決定したことであります。この問題については、さきほど、報告者としての結語を述べました。
討論の中で何人かの代議員が感慨を込めてふりかえったように、一九六一年の党綱領は、二〇世紀後半の日本で、党と革新運動の路線的なよりどころともなり、指針ともなって、大きな歴史的役割を果たしました。
私はこの大会で採択した新しい綱領が、文字どおり、二一世紀における日本共産党の旗印となること、日本と世界の現代の流れを正確に見定めたその分析と展望によって、必ずや、日本における社会進歩の事業の指針となり、平和・民主主義・革新の事業の道しるべとして働くことを、確信するものであります。(拍手)
課題に挑戦する勇気ある決断が会場にみなぎった |
第二は、大会が、当面のたたかいの課題と方針を定めた大会決議を採択したことであります。これをめぐる討論も感動的な、また劇的なものでありました。
私が何よりも感動したのは、大会の代議員のみなさんが、130%の機関紙読者をもって参院選をたたかおうという党中央の提起を、勇気と決意をもって受け止めてくれたことであります。しかも、その決意は条件反射的なものではなく(笑い)、こもごも語られていたように、最初の衝撃を乗り越え、宿舎での討論などを経ての、熟慮した結論だったということであります。
どの代議員も、その心構えをして山を登ってきた方はいないと思います。(笑い)
だいたい、幹部会がこの方針を中央委員会に提起したのが、大会開催の二日前の中央委員会でありました。
目の前の選挙戦で確実な前進をかちとるために、長く惰性のように続いてきた機関紙読者の後退をここで断ち切り、党と国民を結ぶ一番の根底のところで、大胆に反転に転じる、そして、日本共産党躍進の大きな波を党みずからの力でつくりだそう、この活動への真剣なとりくみとその成功を抜きにしては選挙での前進はない−−そこを思い定めての提起でありました。
それにたいして、大会の討論が示したのが、熟慮した上での決断でした。一人ひとりがその決断にいたる推移を大会で語る、発言からそのことを聴き取りながら、私は“わが党の力はここにある”ということをつくづくと感じました(拍手)。そして、その一人ひとりの発言の背後に、みなさんを送り出した地元の党組織の息吹があることも、痛烈に感じとりました。
私は、代議員のみなさんが、今日の情勢に正面から立ち向かう決意で、この会場で示した決断と大志を、心から歓迎するものであります。(拍手)
この大会が二一世紀におけるわが党の躍進への素晴らしい転機となるように、提起された諸課題を、全党が力をひとつにして、やりとげようではありませんか。(拍手)
海外の代表は、党大会をどう見たか |
大会の最も印象深い成果の一つとして、第三に強調したいのは、この党大会が、海外の友人たちと日本共産党との間の連帯が深まる素晴らしい機会となったことであります。(拍手)
第一日に、演壇に十四カ国二十四人の代表が並んだ光景は、国際連帯を体現した圧巻の情景でした。向かい側の席では、十四カ国の外交団が紹介されました。CS通信でこの情景を目にした全国の党員からも、熱い思いを込めた無数の感想が寄せられました。
大会を舞台にした五日間にわたる国際交流からも、私たちは本当に多くのことを学び、多くのことを吸収しました。
ここでどうしても報告しておきたい二つのことがらがあります。
一つは、今回の交流の深さであります。大会での交流というものは、時には、儀礼的な交流になる場合もあります。しかし、今回、大会に出席した各国代表団は、ほとんど代議員のみなさんと同じように、毎日の議事に徹底的につきあってくれました。(拍手)
初日に、もっとも遠い国から疲れて到着したある代表団は、食事をすすめても、その時間を惜しみ、綱領改定と大会決議についての、それぞれ二時間前後という長い報告に最後まで耳を傾けてくれました。
二日目からの討論についても、自分たちの活動の参考にするといって、ほとんどすべての発言をノートにぎっしりと書き込み、「この何十何番目の代議員の発言はここにわからない点がある」(笑い)と後で問い合わせてくる代表もおられました。(拍手)
昨日の「赤旗」に出ていたように、この会場まで代議員と一緒に“山登り”をこなしてきた代表もおられます(拍手)。今朝もこの雪の中を、みなさんと一緒に登ってこられた方が何人もおられます(拍手)。こういう光景は、私たちも、はじめて目にするものでありました。
その代表たちが、大会の討論からどんな印象を受けたのかをうかがいました。
その規律と集中、真剣さは、すべての代表に共通する驚きの第一印象だったようであります。
何に驚いたのか、うかがった中から、項目的に拾ってみますと、
−−会議中、すべての代議員が席についている(笑い)。自分たちが休憩を終わって席に戻ると、会場は必ず満席になっている。
−−途中、トイレに行く人もいるが、会議の妨害にならないよう実に静かに動いている。
−−第一日は壇上からみなさんの顔をまっすぐ見ることができたが、真剣な顔と目が報告に集中していた。
−−その真剣な会場が、休憩になったとたん、すぐ話し声でいっぱいになり、全員が実にいきいきしている。
−−山を登るときも、道をふさがないよう、列をなして登ってくる。
こういうこもごもの感想でした。
「自分の党の大会、他の党の大会でも、こういう情景は見たことがない。代議員はあっちへ行ったり、こっちへ行ったりするものだ。わが党の大会でも、あれほど真剣に聞いてくれたら、私たちも実に話しいいんだが」。こういう率直な感想をのべられた方もいました。
「日本共産党の強さの秘密のひとつがわかった」。こういう声もありました。
なかには、これを「文化の違い」によって説明して、「わが国には、報告をいすに座って二時間も聞くという文化はない」(笑い)。こういった代表もおられました。そういいながら、その代表は、みずから、毎日、座って発言に耳を傾け(拍手)、「話を聞きつづける」というわが国の文化に見事に順応していただきました(拍手)。私たちは、綱領に「異なる価値観をもった文明の共存」という課題を書き込みましたが、異なる文化を尊重することで、国際連帯の綱領的模範を示していただいた代表たちに、心からの敬意を表するものであります。(拍手)
私たちの活動が世界の共有財産になる道が開かれた |
発言の内容についての感想に話を進めますと、「代議員一人ひとりの発言が、綱領改定案や大会決議案という主題に問題意識をきっちり向けながら、一般論でなく、すべて、自分の活動を踏まえての発言であることがすごい」、こういう評価の言葉もうかがいました。
「自分たちは、かつて長く政権党の地位にあって、国民の間での日常活動が弱い。そこを勉強したい」、そういわれた東ヨーロッパの代表の方もありましたし、「政権党時代に、こうした党建設や国民とのつながりをもつ努力をしていたら、事態は変わっていたんじゃないか」と、私たちを驚かせるような感想が発せられたこともありました。
資本主義国の代表も、いろいろな点に興味を集中されて、たとえば後援会活動、これは私たちの選挙活動にはない新しい分野だ、ぜひ研究したいと、そこに具体的な興味をよせられた代表もいました。
130%の機関紙という問題は、とりわけ深い印象をよんだようであります。
ある代表は「われわれが長い間、わきにおいて正面から挑むことを避けてきた問題を正面に据えている。その態度に戦闘心を大いに刺激された」と語りましたし、「本当に志の高い目標だ。われわれにとって、こんなに短期間に、この目標を掲げること自体がすごい。ぜひやりきって勝利することを期待する」という励ましの声もありました。
こういう形で、会場で述べられた代議員の発言の一つひとつが、参加された代表を通じて、その国に持ち帰られる、ある意味では、世界の運動の共有財産になる道が開かれる――私はこんどの交流はこういう意義を持ったと思います。
党大会がこういう深い意味での国際交流の場となったというのは、私たちにとってもまったく初めての経験でありました。
大会は、世界の激動の息吹に接する場ともなった |
第二に申し上げたいのは、この大会での交流が、激動する世界との私たちのあらたなふれあいの場となったことです。
どの代表も、それぞれの国の激動の世界の息吹を背負い、そのなかでその党や勢力がなにを考えているのか、どんな事態にあるのか、その生きた状況をもってこの会場にこられました。
会談をするといっても、本当に短い時間の会話ですが、そういうふれあいのなかから、その息吹がひしひしと感じられる。それが、私たちの国際活動を豊かにし、ささえる非常に大きな力となるのであります。
アジアからは、中国、ベトナム、ラオス、インドなど、ふだんからかなり交流を重ねている代表のみなさんがみえました。しかし、そこにも新しいふれあいがあり、出会いがありました。
大会が、タイやインドネシアなどアジア諸国の外交団との新しい出会いの場となったこともうれしいことでした。
ヨーロッパの諸党やアメリカの代表からは、イラク戦争をめぐる情勢、旧体制が崩壊した東ヨーロッパの新しい問題点など、いろいろな問題をもちより、生々しい活動を具体的にうかがうことができました。
アフリカからこられたチュニジアの代表とは、両党間の長い交流の歴史を背景に、イスラムの政権党と日本での野党である私たち共産党との、さらにしっかりとした連帯の絆(きずな)を確認し合うことができました。
メキシコやキューバやニカラグアの代表たちが私たちに伝えてくれたラテンアメリカの情勢は、初日のベネズエラの大使らとの交流とあわせて、いまこの大陸に新しい激動の時代がはじまりつつあることを、つよく予感させるものでした。
私は、今回の大会が本当に豊かな交流の場になったことを、五日間をふりかえって、新たに痛感するものです。
また、この大会では、私たちは、綱領改定に関連して国際的にも意味を持つであろういくつかの理論問題を提起しました。そういう理論問題について、世界の代表たちがどこに興味を持ち、どこに注目し、どこを議論してくれるか、そのこともこの五日間の交流を通じて、私たちが得た、得がたい収穫でした。
これらの点で、こんどの大会が、新たに開かれた豊かな国際交流の場となったことについて、私は心からの感動と喜びを申し上げたいのであります。(拍手)
二一世紀における党の事業の躍進、当面の参院選の確実な前進をめざして |
いま、大会がおさめた成果のいくつかを述べましたが、この党大会の成功は、代議員・評議員のみなさんの活動の成果であると同時に、そこに体現された全党の討論と活動の成果であります。また、大会の全活動が、実務を含め、各分野で働いた多くの要員のみなさんにしっかりささえていただいたものです。私は、新しい中央委員会を代表して、すべてのみなさんに、心からの感謝を申し上げるものであります。(拍手)
さらに、海外から参加された代表のみなさんには、みなさんの大会参加が、わが党の大会成功への絶大な貢献となったことについて、あらためてお礼の言葉を申し上げるものであります。(拍手)
みなさん、党大会の決定は、実践して現実の成果をあげてこそ、その意義を発揮する――これは私どもが、大会ごとにくりかえしている言葉であります。
全党の英知と努力、奮闘によってかちとった党綱領と大会決議をかかげ、新しい中央委員会を先頭に、二一世紀における日本共産党とその事業の躍進をめざし、そして、当面する参議院選挙で確実に前進をかちとることをめざして、知恵と力のすべてをつくそうではありませんか。
これをもって第二十三回党大会を閉会するものです。(拍手)