2004年1月6日(火)「しんぶん赤旗」
――不破さんのいう「三つ目の時期」というのは、どういう時期になるのですか。
不破 北朝鮮問題をどう解決するかが、いよいよ政治日程にのぼってきた時期ですね。私自身について言うと、そのことを痛感したのは、一九九八年秋の、北朝鮮のテポドン発射があったあとの時期でした。
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日本の周辺の海域で、しかもミサイルが日本列島をこえて太平洋に着水するという発射を、予告なしでやるという乱暴なものでしたから、国会で抗議の決議もおこなわれ、私たちも賛成しました。
しかし、その後の状況は、お互いの非難合戦が拡大する一方で、非常に緊張した状態となったのです。日本では、テポドンが日本に撃ち込まれたらどうなるか、ということで、軍事的な対抗措置までが政界で大きな話題となる。北朝鮮からも、断片的な報道だが、戦争になったら日本に手痛い打撃を与えるぞ、といった発言が聞こえてくる。このままでは、状況は危険な事態になりかねない、どうしてもこの状況を外交的に打開する道を探らなければならない、と考えたのです。
不破 その時、私は、日刊の「朝鮮通信(KNS)」で北朝鮮側の発表や報道に全部目を通してみました。それで分かったことは、“好戦的”に聞こえる相手側の発言も、全部、「日米連合して攻めてきたときには」という前提条件のついた発言だった、ということでした。
つまり、日本の側では、“北朝鮮がいきなりテポドンを撃ち込んできたら”どうするかと、北朝鮮による先制攻撃を心配してそれへの軍事的対応を問題にしている、北朝鮮の側でも、“日米連合して攻めこんできたら”と、日米による先制攻撃を心配してそれへの軍事的対応を問題にしている。要するに、“相手が攻めてくるぞ”、“攻めてくるぞ”と互いに言い合って、緊張を激化させている。こんな物騒な状況はないのです。
しかも、そう言い合っている二つの国が、交渉のための何の外交ルートも持っていない。北朝鮮と緊張関係にある国は、いろいろありますが、韓国にしても、アメリカにしても、ちゃんと外交ルートは持っています。ところが、日本だけは、そのルートを持たないまま、互いに先制攻撃の心配から軍事的対応の悪循環におちいっている。なんとか、これを打開しなければ、と思って、一九九九年一月、国会の代表質問のなかで、その提案をしたのです。
緒方 外交ルートを持たないまま、先制攻撃への心配から互いに非難しあうのはいちばん危険だ、ただちに外交的な話し合いのルートを開くべきだという提案でしたね。
不破 しかし、提案をしても、政府の方は“ナシのつぶて”、無反応でした。一方、国際的には、韓国と北朝鮮とのあいだでも、北朝鮮とアメリカとのあいだでも、いろいろの懸案を正式の外交交渉で解決しようという機運が高まり、かなり具体的な進行を見せはじめました。しかし、日本はいっこうに動かない。雑誌や新聞に出ている論評を読んでも、アメリカの外交筋でまで、日本の消極外交が問題になっている様子がうかがえるんですね。そこで、十一月初め、国会の代表質問でもう一度取り上げ、日朝間にはいろいろな問題がある、そのうちこれを解決しないと交渉はできないといった態度ではなく、無条件で交渉ルートを開き、拉致問題をふくめ、すべての問題を交渉のテーブルにのせる、こういう方式で交渉を始めるべきではないか、と提案したのです。
しかし、答弁を聞くかぎりでは、手応えは感じられなかったですね。ところが、二週間ほどたった十一月半ばに、社民党の村山元首相からの申し入れという形で、思わぬ反応、しかも、球を直接投げ返してきたような反応がありました。
緒方 実は、二回目の不破質問から、村山申し入れのあいだには、政府にたいして二つの方面からの国際的働きかけがあったんだ、と聞きました。韓国の外交通商部とアメリカの国務省の方から、日本共産党の代表が国会でこういう問題提起をしているのに、日本政府はどうして何もしないのか、と詰められた、というのですね。いま不破さんが話したように、韓国もアメリカも、対北朝鮮外交で行動を起こしていた、ところが日本が動かないのに業を煮やした、という格好だったようです。
不破 これは、だいぶ後になって分かってきたことだったのですが、言い換えれば、国際的にもいよいよ北朝鮮問題の解決に本腰で取り組む時期がせまってきた、ということなんですね。情勢のそういう進展と、私たちの問題提起が時期的にも一致した。
不破 村山さんは、志位書記局長(当時)を訪ねて、“こんど超党派の代表団を北朝鮮に送ることになった。ぜひ、日本共産党も参加してほしい”、それから言葉を添えて、“不破さんの二度にわたる提案に私は非常に注目しているんだ”と述べた、ということでした。そのことを志位さんから聞き、“応じよう”という結論にすぐなりました。衆議院からは穀田さん、参議院からは緒方さんに頼むことにして、お二人に話したあと、すぐ村山さんに返事をしたんです。
緒方 村山さんは、「こんなに早い返事が来るとは思わなかった」と、あとで何度も言っていましたよ。
不破 いままで、超党派の代表団は、北朝鮮に何回も行っているはずですが、日本共産党に誘いの声がかかったことは、一度もないんですよ。だから、これは、流れが変わったなかの変化だと、すぐ分かりましたね。
緒方 実際、代表団がすべての党派によって編成され、村山さんが団長で、自民党の野中さんが幹事長ということになりました。出発前に代表団の会議をやったのですが、そこで、村山団長から、無条件・無前提ですべての問題を話し合う、こういう線で行こうという提案があって、それがすぐ団の方針として確認されました。村山さんが最初に「不破提案に注目している」と言ったのは、代表団はその方針で行く、という意味だったことが、はっきりしました。
――北朝鮮に行ってからの状況は、どんなものだったんですか。
緒方 私たちは、行って初めて知ったのですが、向こうへ着くと話し合いの前に、“お参り”とでもいう行事があるのです。金日成前主席の銅像、チュチェ(主体)の塔、金日成廟(びょう)、そのあと生家、この四カ所を拝礼・献花をして回る。ほかの団員はみんな慣れているのですが、こちらは初めてですから。どうするか、穀田さんと相談して、“団の統一をまもる立場で参加はするが、攻撃の対象とされてきたわれわれが、問題が解決されないまま、攻撃をしてきた当の相手に拝礼・献花をするわけにはゆかない。参加するだけにしよう”という打ち合わせをしたんです。実際、その通りやったのです。
金日成氏の遺体をおいた廟のところでは、遺体のまわりを歩きながら、四回頭を下げる、その場所も決まっているんです。そして、四カ所とも、記帳の場所があって、賛辞のような言葉を書く。それにも私たちは加わらない。
――ずいぶん目立ったでしょう。
緒方 それは、目立ちましたね。どこでも、みな深々と頭を下げるなかで、私たちだけが立っているわけですから。この行事には、北朝鮮側の代表団長の金容淳(キムヨンスン)書記もずっと同行して、状況をよく見ていました。
不破 二人で相談して、よくやりましたね。帰ってから報告を聞いて、感心しました。そんな“習慣”があることなど知らないから、東京では、なんの相談もしませんでしたからね。そのあとが、会議だったのでしょう。
緒方 その会議で、日本共産党を代表して、穀田さんが、今後の日朝交渉についての私たちの立場を発言したのです。そうしたら、金容淳書記が、すぐ「よい発言をしてもらいました」と、それを評価したのです。
“お参り”のときの私たちの行動は、私たちとしては道理をとおしての行動なんですが、北朝鮮の側から見たら、あれだけの“無礼”をしたわけでしょう。そのことを見ながら、会談では、そういう発言をしたのを見て、若干でも“話がわかる”可能性があるのかな、という印象を持ちました。
不破 超党派代表団という形での二十年ぶりの接触でしたが、私も、その時のやりとりから、一定の理性的な対応をする条件があるんだな、と感じましたね。結局、その時の会談で、政府間交渉のレールが敷かれた。
緒方 そうです。まず赤十字間の交渉が十二月十九日に始まり、ついで翌年四月、政府間交渉が七年半ぶりに再開されました。
不破 その後の交渉は、中間に途切れた時期もあり、いろいろないきさつがあったけれども、結局は、そのレールの上で一昨年の「平壌宣言」に行き着いたわけだから、一九九九年という年は、その道を開いたという意味で、非常に大事な転機となった年でしたね。
緒方 その「平壌宣言」ですが、私と不破さんが、小泉首相の北朝鮮訪問が発表されたとのニュースを聞いたのは、北京から帰ってきた成田の空港ででしたね。今日も最初に話に出た中国訪問からの帰りで、北東アジア問題も北京で話し合ってきたばかりでしたから、鮮明に覚えています。
不破 出迎えの志位委員長から聞いたんでしたね。
緒方 これをどう見るべきか、議論があったようでしたが、第一報を聞いた不破さんが、「それはいいことだ」と即答したことが、たいへん印象的でした。三年前の不破さんの国会での提唱(一九九九年)に始まり、働きかけてきたことが、超党派議員団の訪朝から政府間交渉へと実って、小泉・金正日会談にいたり、「平壌宣言」になり、五人の拉致被害者の帰国になった。大きな流れを実感させられるものがあります。
緒方 ただ、「平壌宣言」以後の問題が、いろいろありますね。この状況をどう見るか、という問題があります。
不破 こういう外交交渉というのは、問題の性格から言って、簡単に論評するわけにゆかない事情があるんですよ。私たちは、日本と北朝鮮のあいだで、水面下をふくめて、どんな交渉がおこなわれているか、その情報の全体を知る立場にありませんし、交渉の当事者ではないわけですから。
そういう立場のものが、いわば交渉の外部から、あれこれと論評したり、こうするのはまずい、こうやるべきだ、などの意見を言い始めると、交渉そのものに予想外の悪い影響を与える場合もあります。
交渉の局面局面で、ここはどうかなとか、感じたり考えたりすることは、もちろん、いろいろあります。しかし、交渉の目的そのものでは、政府と私たちのあいだに見解の違いはないわけですから、局面的なことについては、意見があっても、発言を控える節度が大切だと思って、私たちは、その節度をずっと守っているんです。
そのなかで、大きな展開を見せているのは、昨年始まった六カ国協議ですね。(つづく)