2004年1月4日(日)「しんぶん赤旗」
|
北朝鮮問題は今年はどうなってゆくのか、その複雑な動きをどういう基準で見たらよいのか。日本共産党の不破哲三議長が、本紙のインタビューに答えて、縦横に語ります。インタビューには、国際局長の緒方靖夫参院議員にも参加してもらいました。
――昨年は、北朝鮮問題が、日本としても、国際外交でも、大きな課題として提起されたまま、新年に持ち越されました。六カ国協議も、再開は今年の問題となりました。この時期に、状況の全体をあらためてふりかえって、日本外交としてこの問題をどう見るのか、今日は、そのいちばんの基本のところから、不破議長にお聞きしたいと思います。
不破 北朝鮮問題というのは、いろいろな要素がからみ、その点も複雑な経過をもっているだけに、今後どうなるかという点でも、単純には予想しきれないこともずいぶんあるのですが、それだけに、新年を迎えた時点で、日本外交として、北朝鮮問題では、何が目標となるのか、この大もとをまずしっかりつかみ直すことが、大事だと思います。
この目標自体、この一点が大事だと、一つにしぼるわけにはゆかない。どうしても、複眼的に見ることが必要になってきます。
私は、大きくまとめれば、次の三点が大目標になる、と思っています。
不破 一つは、朝鮮半島に、戦争も動乱も絶対に起こさせてはならないということ。これは、日本にとっても、決定的な大事な目標です。戦争にせよ動乱にせよ、そういう事態が起きた場合には、その直接の影響と被害が、ただちに日本に及ぶし、東アジアはもちろん、世界情勢の全体をゆるがすような大変なことになります。
私たちが、北朝鮮問題の解決を、北東アジアの安定と平和という角度で見よう、と言っているのは、そのことなんです。核問題を平和的な交渉で解決する、という問題は、この分野でのもっとも重要な緊急の課題です。
二つ目は、拉致問題の解決です。これは、日本国民の人権と安全を脅かした国際的な犯罪行為として許すことのできないものであり、絶対にあいまいな形ですますことのできないものです。私たちは、二〇〇二年九月の日朝首脳会談で、問題の一部が明らかになったとき、きびしい抗議の態度とともに、真相の全面的な解明、責任者への厳正な処罰と被害者への謝罪と補償を要求しました。また、その後帰国した五人の拉致被害者の家族の帰国についても、その実現のために北朝鮮側が誠意をもって対処することを求めてきました。この問題は、直接的には、日本と北朝鮮とのあいだの問題ですが、問題の性格からいって、日本だけの問題ではなく、大きな国際的な性格をもっていることを、よく見る必要があります。
北朝鮮は、国際的に、これまでにいろいろな無法行為を重ねてきており、拉致問題もその一つなんです。北東アジアの安定と平和を実現するという目標には、北朝鮮が近隣諸国、関係諸国と安定した平和関係を確立し、国際社会に正常な形で復帰するということが、当然の柱として含まれるわけですが、そこに到達するためには、北朝鮮がこれまでの国際的な無法行為にきちんと決着をつける、国際的に信頼されうるけじめをつける、ということが、重要な条件となります。それがなければ、北朝鮮が安定した形で、国際社会に復帰するということにはなりえないでしょう。
|
緒方 一昨年八月の中国訪問の時、不破さんが、中国共産党との会談のなかで、提起したことでしたね。
不破 ええ。あの時は、日本と中国の双方に共通にかかわる問題として、北東アジアの平和と安定の問題という大きな主題をあげ、その焦点の一つとして北朝鮮問題をあげたのでした。そのために、北朝鮮側が乗り越えるべきいくつかの関門があると思うといって、いくつかの問題点をあげたのですが、私が、そのなかでも、いちばん重大な関門と考えたのが、この国際的無法行為の清算という条件でした。
その直後に、平壌での日朝首脳会談があり、そこで、北朝鮮側が拉致問題で無法行為があったことを認め、謝罪の意思が表明されたのです。これは、内容的には不十分なものでしたから、私たちは、その報を聞いてすぐ、さきほど述べたような、問題のいっそう全面的な究明を求めたのですが、国際的な無法行為の全体のなかで言うと、問題になっている無法行為のなかで、北朝鮮側が「これは私たちがやった行為です」と認めて、反省と謝罪の意思を表明したというのは、この拉致問題しかないのです。だからこそ、当時、これは、新しい転換の一歩になるのではないか、と国際的にも注目されました。
拉致問題というのは、国際的にそういう意味を持っています。ですから、踏み出された第一歩をさらに進めて、全面的な解決に発展させることは、国際的な無法行為の清算への突破口にもなりうる性格をもつわけで、拉致問題に積極的に、また正確な態度で対応することは、日本の国際的責任からいっても重要だと考えています。
不破 三つ目は、日本と北朝鮮の国交の確立です。一九一〇年(明治四十三年)から敗戦まで三十五年にわたる朝鮮半島への植民地支配の歴史を清算することは、アジア・太平洋地域で侵略戦争を遂行し第二次世界大戦を起こした問題とともに、戦後の日本が負った重大な歴史的な責任に属する問題でした。そして、一九四五年に戦争が終結して五十八年たったいま、その“過去の遺産”の清算がすんでいない唯一の相手国が、北朝鮮なのです。ですから、このことを解決して、北朝鮮との正常な国交を確立しないと、日本の戦後は終わらないのです。最初に述べた北東アジアの安定と平和という問題でも、日本と北朝鮮との国交をぬきにして、この地域の安定がないことは明白でしょう。
北朝鮮問題には、主要な目標をあげても、解決すべきこの三つの問題があります。ですから、日本としては、その全体を考えて対応することが大事だと思います。ほかのことを視野の外において、個別の問題だけにつっこむというやり方では、必ず障害にぶつかって、個別の問題の解決もうまく進まなくなります。
|
――テレビなどで聞く北朝鮮論議で気になることがあります。日本の外交としてどう対応するか、という議論とならんで、一部ですが、“北朝鮮問題の解決というのは現体制の打倒なんだ”といった意見が時どき聞かれますね。こういう問題は、どう考えたらいいでしょう。
不破 これは、二重に間違った暴論だと思います。
まず、たとえどんな体制であろうと、体制の問題というのは、その国の内政問題であって、それを倒すかどうか、というのは、その国の国民が決める問題です。国の運命はその国の国民が決めるという民族自決の原理は、ここでも天下の公理なんです。
それは、イラク戦争の例を見てもわかるでしょう。ブッシュ政権は、“イラクが大量破壊兵器でアメリカなどを攻撃する危険がある、自衛のためには先制攻撃もやむをえない”ということで、イラク戦争を始めました。しかし、戦争に勝ち、全土を占領して九カ月たっても、大量破壊兵器は見つからないし、その存在も証明できなかった。それで、今度は、“フセイン政権は残虐な独裁政権だった。イラク戦争は、この独裁政権を倒すための戦争だった”という新しい理屈を、戦争の「大義」にしようと、懸命です。
しかし、この「大義」論には、国の内外から、強烈な批判が起きています。これは、アメリカを世界の「救世主(メシア)」と見立てることで、現代の国際社会の原理である民族自決権や内政不干渉の原理を否定するものだ、という批判です。
北朝鮮の現体制に問題があるという理由で、“体制打倒”を目標にする議論は、ブッシュ政権のこの「救世主」論と同じ類の、とんでもない内政干渉の論理です。
北朝鮮の政権中枢から、いろいろな理由で亡命してきた人物のなかには、“体制打倒”論を熱心に提唱する人もいますが、その流れを日本外交に持ち込むのは、干渉主義というたいへん危険な道に踏み込むことです。内政干渉どころか、はっきり言えば“動乱待望論”ですからね。
いま関係国は、すべて“戦争も動乱も起こさせない”で、北朝鮮問題をいかに平和的に解決するかをしっかりと念頭において、心を砕いているわけで、このことを肝に銘じて、北朝鮮問題に臨む必要がある、と思います。
緒方 いまの、問題の性格を明確にして取り組む、というのは、非常に大事な点ですね。テレビなどで、北朝鮮の実態はこうだ、という報道を見聞きしたり、北から逃れてきた人たちの発言の報道などから、「あの体制は悪だ」ときめつけ、“どうやったらこれを倒せるか”というように話を進める議論が、結構ありますからね。
緒方 北東アジアの安定と平和という観点では、私は去年の九月に富山県に行って、候補者といっしょに副知事の部屋を訪ねたことがあるんです。その部屋の壁に、日本海の地図が南北をさかさまにしてかかっていました。「珍しい地図ですね」というと、「いや、こういうふうにやると、世界がよく見えるんです」という返事。よく見ると、富山県が地図の真ん中にあり、日本が、中国、韓国、北朝鮮とともに、日本海を囲んでいるんです。北東アジアの重要性が一目で分かる地図でした。
韓国のノムヒョン大統領も、『私は韓国を変える』という著書のなかで、世界地図を逆さに見る話を書いています。そうすると、海がいかに大きいかが分かり、海の偉大さが分かり、同時に海と陸をどうつなげるかという発想が起きる、それが大事だといって、そこから北東アジアの共同体という構想に発展してゆくんですが。
いろいろな人たちが、発想を変えることによって、北東アジアという単位で物事を考える方向に迫っているわけで、北東アジアの重要な一翼をになう日本としても、こういうまとまりのなかで、平和的な環境をどうつくってゆくか、という最初の問題提起は、非常に大事だと思います。(つづく)