2003年12月29日(月)「しんぶん赤旗」
全国に二万五千ある日本共産党支部。第二十三回党大会(一月十三日〜十七日)めざし平和、暮らしを守る力を草の根で広げようと運動しています。大阪府堺市の大浜支部もその一つ。“こんな時代だから、がんばって未来を開こう”。支部の人々は“いまが青春真っ盛り”でした。
(村瀬喜之記者)
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「死ねなかった。助けてほしい」。入党三年の鳥越嘉男さん(62)に近所の夫婦から先日、突然の電話がかかりました。
「夫が病気になり解雇され、死ぬしかないと四国へ行く連絡船に乗った。海にバッグを投げ、手をつないで飛び込もうとしたとき乗客に止められた。あなたが、ビラを配り“困ったことがあったら相談して”といっていたことを思い出した」
堺東駅の公衆電話からで、泣いていました。
「目の前の市役所の日本共産党議員控室に行ってみて。必ず力になってくれるから」
鳥越さんは、必死に激励。市議との連携で夫はすぐに耳原病院に入院。生活保護も申請、生きる力を取り戻しています。
「近所には困っている人ばかり。この間も、十年来の友人が家のポストに『入院したがお金がない。助けてくれ』と手紙を入れてきた。支部と相談し高額医療費助成の手続きをしてもらった。人助けは気持ちがいいね」
街は、お年寄りの一人暮らしがふえ、家屋の傷みは悩みのたね。そんな困り事は大工の柴山次男さん(59)=仮名=が一手に引き受け。もちろん無料です。老婦人が「天窓が大きく日差しが暑くて悩んでいる」と聞き、直しました。「どうしてもお礼をといわれるので共産党への募金にしてもらった」といいます。
六十カ所ある支部掲示板は屋根付き。すべて柴山さんが作りました。
年金など制度にかかわる相談は社会保険事務所を昨年退職した藤原弘子さん(62)があたります。
「生活破壊は深刻。立党の原点にたって生活相談を本格的にやろうと相談し地方選後、大阪市大正区の小谷みすず党府議の生活相談所へ見学にもいきました。事務所当番を五人交代にし、いつでも相談できるようにしました」と藤原さん。
「困ったときは共産党に」。党支部は、住民から頼りにされるようになってきました。
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支部長の南孝夫さん(60)は「四年前まで鳴かず飛ばずだった」支部を振り返り、いいます。
「二十一回党大会決議を、一度ほんまに読んでみようと思った。読むと力がわいてきた。六〇年代に民青同盟に入り、青春をかけた社会変革の事業、党の路線に間違いはなかった。市場経済を通じて社会主義に続く大局的流れに深い確信がもてる。残る人生は限られている。もう一度、あの青春をやってみようと」
支部委員会で丸一日、話し合いました。南さんが大会決議を読んだ思いを切り出すと「オレも同じや」とみんなが胸の内を語り出しました。
「人間らしく生きられる社会をめざすのだから、楽しくしよう」「やるからには、小選挙区で勝つ目標で地域で第一党に」「それには一千人の後援会員、百人の党員が必要だ。積み重ねていけばできる」
九九年一月、南海本線湊駅近く商店街の古い家を借り事務所を開設。会議や生活相談だけでなく、党員の趣味を生かし、囲碁、編み物、パソコン教室、テクテククラブなどの集いにも使えるようにしました。花見、旅行、学習会…。後援会の行事も多くしました。
こうして百四十人だった後援会員は七百五十人に、その会員から二十三人を党に迎えています。
歯科技工士の根津雅才さん(50)は「今度の綱領改定案は四回勉強会をした。国民が読めば理解がえられる内容。これを絵に描いたもちにしないために、くりかえし足を運んで理解してもらうことが大事と思う」。
不況下、駅前商店会は生き残りをかけて「ちんどん屋」を呼んだり「年末大売り出しもちつき会」をしたりしています。十一月末、そのもちつき会に協力をと後援会に申し入れがありました。後援会が毎年暮れに、盛大にやっているもちつきを見てのことでした。当日は商店会、自治会、後援会の人が一緒になってもちをつきました。
新入党員も新たな住民のつながりを広げています。昨年入党した喫茶「グリーン」のママ、戸山愛子さん(76)もその一人。「一枚の紙(入党申込書)に署名するだけで人生は大きく変わるものですね」と、お客さんにどんどん党支持を訴え、知人の夫婦を党に迎え、十余人の「しんぶん赤旗」読者をふやしています。
「戦後すぐのころ関西合唱団ゼロ期生だった。十四日、店で念願だった『歌声喫茶』をやり、三十人も来てくれた。うれしくて楽しくて。私はいまが青春なんです」
編み物サークルから数人の入党者も生まれています。編み物を教える太田久子さん(60)はいいます。「私の夢は、もっと小さな単位にお年寄りたちが気軽に寄れる場所をつくること。イラクへの派兵反対の集まりもそこでできる。『住民が主人公』を貫いたそういう生き方をしていきたい」