2003年12月22日(月)「しんぶん赤旗」
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総選挙後、ある女性から「小さい子どもの手を引いて、ハローワークに通い続けている主婦がたくさんいるのを知っていますか」という手紙をもらい、すぐ話を聞きに行きました。この女性の夫は失業のうえ入院し、幼稚園児の子どもを抱えて貯金も底をついていました。「暮らしと家庭を破壊する自民党政治のすさまじさを、改めて教えられました。今期限りで引退する富樫練三さんの議席を、何としても守らなければ」
一九九五年の参院選埼玉選挙区で初当選。「議員バッジは有権者の瞳」を信条に、県内すべての自治体や各種団体と懇談を重ね、苦しんでいる人たちの所に直接出向いて話を聞き、国会で質問するという活動スタイルを貫きました。候補者活動でも、このスタイルは変わりません。
粘り強い論戦には定評があります。二〇〇〇年九月の決算委員会では、ネギなど農産物の輸入急増で窮地に陥った農家の声を代弁し、セーフガード(緊急輸入制限)発動を要求し、発動を渋る農林水産省を相手に、粘り強く質問。当時の谷洋一農水相をして「農水省の方も、もう一歩何か物足らないところがある」と言わしめ、翌年の暫定セーフガード発動に道を開きました。追及の手をゆるめない姿勢は、障害児の高等部訪問教育や教育条件整備など、多くの実績をあげてきました。
作品の舞台となった所を見てみたくてイギリスまで出かけるほど、児童文学が大好き。元教師のまなざしと、児童文学をこよなく愛する純な心で、子どもと教育の問題に情熱を傾けます。社会的道義の危機の問題では、党大会決議案を持って教育行政の担当者や教職員組合、民間のフリースクールなどを次々と訪問し、懇談を重ねています。
今年十月の参院埼玉補選では「ハローワークに通いつづける青年、インターネットで仕事を探し続ける青年が、我が子のようにいとおしく思えます。青年が夢と希望の持てる社会をつくるのは、政治の重大な責任です」と、青年の雇用問題を訴えました。小学校教員をめざしている県内の私立大二年、御器谷(みきや)宏志さん(20)は「私の周囲でも、雇用状況はとても厳しく、人として扱われていないと言っていいほど。特に青年の雇用問題に力を入れて訴えてくれたあべさんこそ、国会で働いてほしい」と期待を寄せます。
「候補者は、勝利をめざして最後までたたかいぬくもの」が座右の銘。富樫練三参院議員は「選挙に限らず、議員活動でも何でも全力をあげ、文字通り不屈の精神で頑張りぬく人」と評します。
記事・埼玉県林秀洋記者 写真・大川清市記者
【おもな経歴】1948年、栃木県小山市生まれ。お茶の水女子大卒。私立高校と公立小学校の教諭を経て、83年埼玉県越谷市議。95年参院選埼玉選挙区で当選、1期。文教委員、決算委員を歴任。現在党中央委員、埼玉県副委員長。