2003年12月7日(日)「しんぶん赤旗」
日本共産党第十回中央委員会総会の第二日(十二月四日)に、不破哲三議長がおこなった問題提起の発言の大要は、次のとおりです。
昨日の幹部会報告のなかで、“今度の選挙戦の総括をふまえ、とくに三回たたかってきた小選挙区・比例代表並立制のもとでの総選挙の経験をふまえて、比例代表と小選挙区の位置づけや取り組みの問題について、抜本的な検討をしたい”という提起がありました。いまそのことを全面的に考える必要がある時期に来ている、と思いますので、そのための若干の問題提起をするものです。
〔一〕 |
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討論のなかでも、何人かの県委員長から、“国政選挙というものが、党活動のなかで薄くなってきている”という発言がありました。これは、非常に大事な問題です。
私たちは、七年前の小選挙区・比例代表並立制への切り替えまでは、総選挙を中選挙区制のもとでずっとたたかってきました。この時代の選挙戦と党活動をふりかえってみますと、選挙戦は、衆議院と参議院の選挙、いっせい地方選挙、中間選挙と数多くありましたが、全体の選挙戦の軸となっていたのが、全国一律に周期的におこなわれる総選挙だったことは間違いない、と思います。
選挙区によって、議席をえているところ、当面めざしているところ、まだ議席には遠いと思われるところ、状況は多様でしたが、全国どの地方でも、総選挙には、全力をあげて取り組んだものでした。まだ議席に遠いところでも、一回ごとに党の支持票を広げ、それを蓄積して新しい飛躍をめざす、そういう活動を、全国でずっと積み上げる。そこでの得票の蓄積、選挙戦の経験の蓄積が、ほかの選挙でも力を発揮する選挙戦の財産になってゆく。こういう関係がずっとあったと思います。
とくに七〇年代、八〇年代には、支持者の名簿や台帳の整備や結びつきを生かしての支持拡大の努力、選挙戦での支部の活動の仕方、こういうものが全党の財産として蓄積され、選挙戦から選挙戦へと引き継がれていった。そういう意味では、いわば選挙戦の全体のサイクルが、総選挙を中心に動いていた、と言えます。こうして、選挙区によって力の強い弱いはありますが、各党がしのぎを削って争う中選挙区の選挙に取り組む、ここに中心があったのです。
もっと広げて考えてみますと、総選挙への取り組みは、党活動全体のサイクルともなっていました。機関紙読者の拡大も、選挙戦での支持拡大と不可分のもので、「陣地」という言葉も、そこから生まれたものでした。
そういう活動のスタイルが、脈々として、全党の政治活動の土台にあり、組織活動の中心に座っていたわけです。
いま、その時期の活動をふりかえりながら考えてみると、選挙制度の切り替え以来、私たちが長くつちかってきた選挙戦のこれらの経験がかなり薄くなっている、そこに、いま選挙戦への取り組みの大きな問題の一つがあると思うのです。
〔二〕 |
九六年の選挙制度の切り替えによって、総選挙は、比例代表の選挙と、小選挙区の選挙の二つのたたかいの結合となりました。
わが党の場合、最初の選挙(九六年)で、京都の寺前さんと高知の山原さんが小選挙区で当選しましたが、全体としていえば、小選挙区での議席の獲得はなかなか難しい課題で、主要な議席は比例代表選挙中心になるということは、明白でした。
しかし、この比例代表の選挙で、私たちが、中選挙区の時のような、一票一票を他党としのぎを削って争いながら、これを蓄積して議席に結びつけるという、迫力と執念をもった取り組みができたかというと、それだけの取り組みになっていない、ということが言えるのではないでしょうか。得票と議席の関係も見えにくいし、かなり漠とした取り組みになっているのが、実情ではないでしょうか。また、中選挙区の時代には、選挙と選挙のあいだにも、選挙区には議員や候補者もいれば事務所もある、党全体がいつも、多かれ少なかれ総選挙を意識して活動している、という状況がありました。いまでは、そこも、大きく変わっています。
小選挙区の方はというと、これは、はっきりいって、議席に結びつけるには、全国的にかなり遠いところにあります。今回の総選挙で、小選挙区への挑戦を課題にしたところがいくつかはありましたが、結果は、小選挙区での得票率は、30%台が一区、20%台が三区、10%台が六十一区、あとは10%以下です。小選挙区で議席を争うというのは、得票率40%台での争いが普通ですから、議席には全体として遠いというのが、実態です。
総選挙の二つのたたかいが、それぞれこういう状況になっていて、選挙戦や党活動の軸という位置づけを失ってきており、党活動のサイクルを決めるような取り組みも、弱まってきている。こういう実態が、率直にいって各地にあるのではないでしょうか。
この状態を正面からとらえて、いま思い切った体制立て直しに取りかからないと、選挙戦が近づいて号令はかかるのだが、運動量も低下し、党のもつ全力を尽くしきらないまま、選挙戦が終わる、といった傾向を乗り越えられないのではないか。いま、三回の総選挙の経験をふまえて、選挙戦のあり方を思い切って見直して、選挙戦と党活動の抜本的な立て直しをはかる必要がある、私は、そういう感じを非常に強くしています。
〔三〕 |
この問題で、他党の経験を見るとき、選挙制度の切り替えにあたって、そのもとでの選挙戦への取り組みに成功してきたところが、「二大政党」以外に、一つだけあるのです。公明党・創価学会です。
彼らの選挙戦のやり方は、謀略と反共主義に満ちた無法きわまるものです。しかし、中選挙区から比例代表・小選挙区への切り替えにたいする対応には、見るべきものがあります。
それは、ごく少数の小選挙区を例外として、全国的には小選挙区の選挙から撤退して、比例代表選挙一本にしぼる、そして、比例代表選挙で得票を増やして、それを議席増に結びつけるという目標を、中選挙区時代以上の迫力と執念をもって追求する、というやり方です。今度、神奈川で、知的障害者を不法に投票に動員したという事件を起こして、運動員が逮捕されましたが、事件を起こした選挙区は、小選挙区では公明党が自民党候補を推薦していた地域です。そこで、比例で公明党の一票をとるために、こういう不法行為まであえてする。これは、公明・学会が、比例の得票増にいかに力を入れているかを物語る一例です。
今度の選挙では、それにくわえて、小選挙区で推薦した自民党候補に、「比例は公明党へ」という運動を強要することまでやりだしました。それでともかく、総選挙の比例で八百万票台の得票をかちとるところまできたのです。
彼らの選挙活動の謀略性や不法性は、徹底的に批判し告発する必要がありますが、この選挙制度のもとで、比例代表選挙での得票増に中選挙区時代以上の執念で取り組んでいること自体は、私たちも「他山の石」とする必要があるものです。
〔四〕 |
ここで、あらためて、私たちの比例代表選挙を考えてみましょう。
かつて中選挙区で議席を争ったような、あるいは議席を争うところまでいかない選挙区でも、先々の飛躍を期して、党の影響力の拡大に力をつくしたような、そういう正面からの系統的な取り組み、全党をあげての取り組みが、日常不断にやられているかというと、やられているとは言えないのが、実情だと思います。
さあ、解散が近い、ということになると、総選挙に取り組むし、そこで比例と小選挙区のどこを軸にするかとか、どうたたかうかが問題になるが、総選挙での比例への取り組みというのは、本当は、選挙が近づいたから問題にするという取り組みではダメなのです。
国政の中心をなす衆議院の選挙――その総選挙で、私たちがいかに党への支持を広げ、大きな議員団をつくりあげるかという仕事は、日本共産党が、政党として日本の国政に取り組み、国政の革新的打開をはかろうとするなら、党の使命のなかでも最大の使命というべきことです。そして、そこで議席をえようと思ったら、現在の状況では、比例の得票を伸ばす以外にないのですから、日常不断にそこに努力を集中し、支持拡大の活動を積み重ねてゆくのが、当然のことです。
そういう位置づけで取り組むべき仕事なのですが、それが、選挙が近づかないと問題にならない状況になっているとすれば、そのこと自体が、私たちがかつてかちとっていた党活動の姿から見ても、たいへんな後退なのです。
中選挙区の時代にも、解散が近づくまで選挙の準備に取りかからないということが、活動の弱点としてよく言われました。しかし、それでも、当時は、総選挙と総選挙のあいだにも、選挙区には議員や候補者がいるし事務所もありますから、どこの党組織でも、日常的にきたるべき総選挙のことを意識しながら党活動に取り組んでいたものです。
選挙で前進するためには、日常不断の系統的で真剣な取り組みが必要だということは、中選挙区でも比例代表でも変わりない選挙戦の鉄則です。選挙制度が切り替わって、比例代表選挙という新しい闘争の舞台ができたところで、この鉄則をどのように具体化するのか。
私は、いまの条件のもとで、かつての中選挙区の選挙のように、選挙戦と党活動全体の軸になる選挙というのは、比例代表の国政選挙以外にない、と思っています。この国政選挙への取り組みを、文字通りわが党の活動全体の軸にしっかりすえ、そこで力の発揮できる党をいかにしてつくってゆくか、このことが、三回の総選挙をへて、いま正面から問われている、このことを、強く提起したいと思うのです。
いままでは、中選挙区の時代の蓄積を使ってなんとかやってきた、という面がありました。しかし、七年もたつと、この蓄積も薄れてくる、しかし、比例代表という新しい制度に対応する蓄積は、まだ生み出されていない。そういうなかで、党活動も、軸を失った印象があります。「正念場」ということを強調している「しんぶん赤旗」の読者拡大の問題も、やはり、党の組織活動の側面から見ると、国政選挙を意識的にめざした日常不断の活動という「軸」が弱まっていることと、やはり関連があるのではないでしょうか。そういうことも含め、広い視野で、取り組んでゆくべき問題だと思います。
〔五〕 |
比例代表の得票の増加を、それだけ本気で追求するということになると、「ドント方式」といった問題も、党全体がもっと自分のものにしてゆく必要があります。
中選挙区の選挙のときには、得票を他の党派とどうせめぎあっているか、どこまで前進すれば、議席を手にできるのか、どこでもその目安を具体的につかんで選挙戦をたたかいました。しかし、比例代表の選挙になると、得票と当落の関係が、はっきり見えてきません。そのことが得票増を追求する具体性を弱めることにもなります。
そういうことの参考のために、今度の選挙の結果についての資料をお配りしました。それを見ながら、説明を聞いてください。
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(一)まず、ブロックごとのわが党の得票率の比較表です。(表1)
この得票率の高い低いは、議席の当落とは連動しないのです。選挙区別の定数の多いところは、得票率がより低くても当選するし、定数の少ないところは、得票率が高くても落選する、という場合があるからです。だから、各ブロックで、選挙の結果を総合的に見る時には、当落とともに、得票率がどうなっているかも、あわせて見ることが大切です。
また、参院比例の得票にたいして、ブロックごとにどれだけ増やしたかも、選挙の結果を見る大事な基準です。この点で言いますと、全国平均で5・9%増、ブロック別にみると、七ブロックが増やして、四ブロックが減らしました。増えたなかでは、九州(27・9%増)、北陸信越(20・0%増)、東北(19・2%増)が大きく増やしています。
(二)次は、ブロック別の「党候補の順位」表です。ここに、ドント方式による計算の結果が示されています。ドント方式というのは、各政党の得票から、当選の順位を決め、当選者を定数まで拾ってゆくという方式ですが、この表は、この方式によって、わが党候補が、どの順位にあたるかを計算したものです。(表2)
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わが党のいちばん上位にあたる人の順位を見てください。ここには、得票率の高さ低さがだいたい反映します。近畿は、十一のブロックのなかでもっとも得票率が高かったのですが、そこでもわが党の順位は第七位から始まっています。四国は定数六ですから、近畿の水準の得票率を得たとしても、まだ当選には及ばなかった、ということが分かります。また、東北と北陸信越は同じ十二位でならんでいますが、東北は定数十四ですから当選、北陸信越は定数十一ですから、得票率は高いのに落選、こういうことになります。
(三)比例代表で、得票の一票一票を争う選挙戦をやろうと思うと、こういうしくみをのみこんで、これだけの議席を得るためには、どれだけの得票が必要だという見当をつけ、目的意識的にその目標を追求する、というたたかい方が、当然、問題になってきます。
ドント方式の実際の計算では、得票が政党のあいだにどう分かれるかで、当選に必要な得票数はその時々変わってきますから、正確な予測は困難なのですが、どんな組み合わせになろうが、これだけあれば絶対に当選できるという得票目標は、比較的簡単に計算できます。100%を、「定数プラス一」で割ったものが、絶対当選できる一人分の得票目標になるのです。
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たとえば、北海道なら、定数八ですから、11・11%の得票で、一人の当選は絶対確実です。東京なら定数十七、5・56%が一人分の得票目標で、11・12%を超えれば、二人の当選は絶対だという計算になります。各ブロックごとの数字をあげておくと、次の通りです。(表3)
ですから、こんど議席を減らしたり失ったりしたところは、あとどれだけ積み上げたら当選できるのかという目標を明確にし、次の総選挙をめざして、いまからその意識的な追求をやる、同じブロックの府県のあいだでそういう目標についての意思統一をし、目標を分担して追求する、こういう活動の累積がどうしても必要です。しかし、いまの私たちの選挙戦は、そこまでいっていないのです。このままでいけば、だいぶ先になって、解散・総選挙の機運が高まったところで、考え始める、ということになりかねません。
そうではなくて、いまからただちにその系統的な活動にとりかかる。目の前に参議院選挙がありますから、この参院選を、比例代表票を各ブロックでどこまで増やしたら、総選挙の失地ばん回ができるかを目的意識的に追求しながらたたかう、このことが、ただちに問題になってきます。
そういう系統的な意気込みで、政治の中心舞台である国政選挙に、全党をあげて、中央も地方・地区も支部も取り組む。その活動とその他の諸活動が結びつきながら絶えず追求される。こういう選挙戦に、中選挙区時代と同じ、いやそれ以上の執念と迫力をもって取り組んでゆく態勢を、いかに確立するか、このことが、いま私たちに問われていると思います。
相手側は、経済同友会が「単純小選挙区制」の旗を上げ、民主党が今度の「政権公約(マニフェスト)」で比例定数八十議席削減を打ち出したように、「二大政党制」づくりの思惑から、比例代表選挙を切り捨てたいという強い願望をもっていますが、「二大政党」の一方が「自・公政権」だという現状では、簡単にことはその思惑どおりには進みません。
私たちは、大きな志としては、小選挙区でも勝てる強大な党になることをめざす必要がありますが、その条件をかちとることよりも、比例代表で国政により大きな議席をもつ党に前進することの方が、より当面的な、早く達成すべき目標になりますし、このことを、どうしてもやりぬかなければなりません。
そういうつもりで、この選挙戦における比例代表と小選挙区への取り組みの問題の再検討に、本格的にとりかからなければなりません。
〔六〕 |
では、小選挙区のたたかいは、どうなるのか。私は、さきほども述べたように、小選挙区でわが党が現実に議席をめざすことは、かなり遠い目標だと考えています。
その難しさは、公明党の小選挙区への取り組みを見てもわかります。
公明党は、今度の比例での得票率は全国で14・8%、わが党の二倍近いところにいます。しかし、候補者をたてた十の選挙区での比例代表の得票率を見ると、20%台が六選挙区(最高が大阪六区の27・0%)、10%台が四選挙区で、これでは単独で議席を争う条件はありません。そこで、自民党の推薦を受けて、票の積み足しをやったのです。小選挙区の得票から比例の公明党票を差し引いてみると、積み足し分20%台が九選挙区、積み足し分10%台は一選挙区だけでした。十区のうち五区までは、積み足し分の方が公明党比例票よりも大きいという始末でした。これだけの積み足しをやって、40%に近い得票を得、ようやく民主党などとの競り合いに勝ったのです。(表4)
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小選挙区で勝つということは、そういうことです。
ですから、小選挙区の選挙を考えるとき、大志ある党としては、将来の展望は当然持つが、当面の選挙戦では、この選挙が簡単なものではないことを、きちんと肝に銘じて取り組まなければなりません。
その点では、中選挙区制の時代にも、全国で、当選にほど遠かった選挙区でも、そのことを割り切って、じっくりと構えて一歩一歩得票を伸ばしていった経験を思い起こす必要があります。
たとえば、私は、東京六区が選挙区でしたが、ここは、一九四九年、社会党が入閣した片山・芦田政権が失敗して、日本共産党が躍進したとき、戦後最初の議席を得た選挙区です。その翌年、いわゆる「五〇年問題」の時期に入り、一九五二年、全国でゼロになった総選挙で議席を失いました。私が立候補して議席を得たのは、一九六九年の総選挙でしたから、この間にあった七回の総選挙では、一度も当選したことがなかったのです。しかも、「五〇年問題」のすぐあとの時期などは、得票もきわめて少ないものでした。東京六区は、右翼団体(愛国党)の赤尾敏が同じ選挙区で、私も立会演説会でよくいっしょになったものでしたが、ある時期までは「赤尾敏に追いつけ追い越せ」がわが党のスローガンだったこともあった、と聞きました。そういう中でも、選挙には必ず候補を立て、じっくり構えて票を伸ばしてゆく、最初は、当選者とはケタの違う得票しか得られなかったものが、私が交代する直前の選挙では、ともかくケタは同じだというところまで来たのです。そういう形で、党の支持を伸ばすことを最大の目標にして頑張るのが、当時は、選挙戦の当たり前の姿でした。
党が一定の躍進をとげて、かなりの議席を持つようになったあとでも、全国の選挙区の多数は、それに近い状態にありました。では、当選の見込みがないから、意義のないたたかいと考えるか、というと、そんなことは誰も考えない。党の力の弱いところでも、得票を広げることが、日本の未来を開く力となり、将来の飛躍につながる、全国的な前進への貢献にもなる、ということで、党の旗をかかげて頑張ったものでした。
この点では、私は、小選挙区になってから、腹をすえた割り切り方というものが、弱くなったような感じをもっています。選挙そのものは、当落という基準でいえば、中選挙区の時代にくらべてはるかに難しくなっているのに、現在の条件では小選挙区での当選は日程にのぼらないというと、そんなことでは力が入らないといった気分が、時には、見られます。しかし、そこのところは、リアルに情勢を見て、総選挙全体をたたかう基礎単位として小選挙区を積極的にたたかうという基本に徹しないと、本当に有効に選挙戦をたたかうことはできない、と思います。
〔七〕 |
今回の幹部会報告では、小選挙区でのたたかいをどうとらえるか、という問題に、多くの光をあてました。しかし、選挙戦の重点、議席をとる主要な舞台が比例代表選挙にあり、ここでのたたかいが軸になるということは、総選挙に取り組む基本のなかの基本であって、そこには、なんの揺らぎもないのです。そこは、きちんと見てほしい、と思います。
報告のこの部分の表題は「計画的・系統的に有権者との日常的結びつきを広げるとりくみの重要性」です。幹部会報告で光をあてた中心は、ここにあります。
また、三中総(二〇〇一年十月)で強調したように、小選挙区でのたたかいは、党と党の政治家を選挙戦できたえる、という点でも、たいへん重要な意味をもちます。
私は、候補者になった年から数えると二十七年間、中選挙区で活動しましたが、やはり、各党派が議席を正面から争う選挙区のたたかいというのは、党をきたえ、党の政治家をきたえる、いわば政治の修羅場だということを、いやというほど経験してきました。
また、党活動の経験としても、私自身は、党の中央にくるまでは、学生の党支部での経験と、労働組合の書記局支部の経験しかなく、党機関での活動というものには、まったく参加したことがありませんでした。だから、党活動の現場での経験というのは、候補者として中選挙区で党や後援会と活動をともにするなかで体験したことが、最大のものです。中央で出した方針が、地区や支部でどのように具体化されているのか、これも、選挙区の現場で分かります。しのぎを削る選挙戦とはどういうものか、日常の活動と得票の関係、機関紙の重み、それを維持・拡大する苦労、そういうものも、選挙の現場でこそ分かります。国会活動に通じていても、有権者との関係、選挙戦をになう党組織や後援会との関係できたえられないと、党の政治家として十分な力をもつことができない――私は、自分の体験からも、このことを非常に大事な点だと考えています。
党組織にしても、そうです。他党がしのぎを削って小選挙区の議席を争っているときに、わが党は別だといって、独自の道を歩んでいるだけでは、党自身が、有権者との関係できたえられない。そういう意味で、小選挙区の活動は大いに重視する必要があります。
しかし、私たちがこのたたかいを重視したら、二、三回の選挙戦で、小選挙区で議席を展望できるところまでゆけるか、というと、ことはそんな安易なものではありません。こちらの心掛け次第で、共産党が40%台の得票をえられるようになるのなら“天下泰平”ですが、階級闘争というものに、そんなに気楽な道はありません。
問題は、簡単に議席はとれないことをきちんと見たうえで、小選挙区の選挙に、どう取り組むべきか、という点にあります。ここにも、大いに研究し、開拓精神をもって開発すべき多くの問題があると思います。
小選挙区のたたかいを重視するからといって、中選挙区時代のやり方をそのまま持ち込むことができるか。はっきりいって、それを全国の方針にするだけの力は、現在のわが党にはありません。
実際、全国三百の小選挙区に、候補者が候補者の任務専門で活動し、事務所をもち、そこには常勤の活動家がいる、こういう体制をつくれるかというと、財政的にも人的にも、それだけの力は、党にはありません。もちろん、それだけの力のある党組織が、そういう取り組みを意欲的におこなうということは、ありうることですが、これを全国的な方針にする条件はない、ということです。
では、それだけの力を持たない地域では、小選挙区での日常的な活動は無理か、というと、私は、そうではない、と思います。
たとえば、今度の選挙で、地区委員長が、候補者になって小選挙区をたたかったところが、全国でいくつかありました。では、この候補者では、日常の候補者活動はできないのか。私は、そこに大いに議論してもらいたい問題があると思います。
幹部会の報告が、候補者の日常の活動としてあげているのは、「日常的に草の根の住民要求を国政にとどける活動」、「さまざまな団体・組織との対話や懇談、シンポジウムなど」、「その地域での日本共産党の国政での代表者として住民に認知され信頼されるとりくみ」などなどです。これは、地区委員長の本来の活動としても、大いに奨励されてよいことばかりではありませんか。こういうことを考えたら、中選挙区時代の経験の引き写しではなく、また現実に議席をとっている他党の小選挙区選出議員の活動の引き写しでもなく、新しい条件のもとで、わが党にふさわしい新しい活動の形態や方法、日本共産党が小選挙区に立候補する値打ちを有権者に分かってもらえる活動の仕方を編み出す余地は、大いにあるのではないでしょうか。
以上、比例代表と小選挙区への取り組みの問題で、考えているいくつかの点を、問題提起として話しました。
それらの点をふくめ、私たちが、本気で国会選挙に取り組む、とくに総選挙を重視し、比例代表選挙への取り組みを軸にして、党活動全体の活性化をはかり、参議院選挙で前進をかちとるとともに、次の総選挙では必ず失地回復できるように、選挙戦と党活動の立て直しについて、各県のみなさんが英知をしぼっていただくことをお願いして、発言を終わるものであります。