2003年11月30日(日)「しんぶん赤旗」
日本経団連(会長・奥田碩トヨタ自動車会長)が一九九三年に中止していた政治献金の「斡旋(あっせん)」を来年から再開しようとしています。その狙いは何か……。
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九三年までおこなっていた政治献金は、旧経団連が毎年百億円前後の金額を業界団体・企業に割り振り、政権党である自民党を軸に献金する仕組みでした。
来年から日本経団連が始める政治献金は、日本経団連が政党の政策や実績を評価したガイドライン(指針)を示し、それをもとに各企業がどの政党にいくら献金するかを判断するという形です。
奥田会長は、総選挙の結果をうけた十日の記者会見で「(献金が)出るのは自民党と民主党。そういうことになると思う」「二大政党制で(政権交代が)あってもいい」とのべました。
国民に痛みを押し付ける小泉内閣の「構造改革」はこれまでの自民党の支持基盤を掘り崩しています。自民・公明党政権の受け皿づくりは、財界にとって差し迫った課題です。財界本位の二大政党づくりを政治献金をテコにすすめようというのが今回の大きな狙いです。「日本経団連 『二大政党』目指し献金 民主にも配分」(「毎日」八月十二日付)と商業メディアも指摘しているところです。
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政治献金を行うさいの基準として日本経団連がまとめたのが十項目の「優先政策事項」です。企業の社会保障負担を回避するための消費税増税や法人課税の減税など大企業本位の政策そのもの。
「しんぶん赤旗」(十一月四日付)は、日本経団連の政党“採点表”を暴露(表)しました。
政党の政策の“採点”を示すことで、「献金がほしければ、財界本位の政策を」と政党に迫ることになります。二大政党制が実現する以前でも、献金ほしさに与党と野党が財界本位の悪政を競い合うことになります。
〇二年の日本経団連会員企業が独自におこなっている献金は約二十億円です。日本経団連としては、各企業に献金の目安を示すことで四十億円から百億円程度に引き上げたい意向だとの指摘もあります。
今回の総選挙では、この巨額のカネを配る前から効果をあげています。
財界の意向に添うかのようにいち早く消費税増税を政権公約で明確にしたのが民主党でした。菅直人代表は、「将来10%程度になることもある」といいました。これに自民党も「将来の消費税率引き上げについても国民的論議を行い、結論を得る」(自民党の政権公約「小泉改革宣言」)と応じました。さらに「自民党重点政策」の中では、「企業の社会保険料負担の増加を抑制しつつ法人税の引き下げ」も盛り込みました。
鈴木宗男議員の汚職、加藤紘一自民党元幹事長、井上裕前参院議長、大島理森前農水相らの議員辞職や大臣辞職……。この間に繰り返されてきた自民党議員の金権腐敗の根源にあるのが企業・団体献金です。
「金の力で政治を買収」して思い通りに動かそうというのが企業献金の狙いです。大企業からのヒモつき献金で政治が動かされれば、国民の声は踏みつぶされてしまいます。住民が反対するムダな公共事業が強行されてきた背景にも自民党議員によって利権化され、企業献金が吸い上げられる仕組みがありました。
ゼネコン準大手の熊谷組による自民党への献金の違法性が争われた事件で福井地裁判決(二月十二日)は、企業献金について、「国民の有する選挙権ないし参政権を実質的に侵害するおそれがある」とのべ、「過去に幾度となく繰り返された政界と産業界との不正常な癒着を招く温床ともなりかねない」と指摘しています。
日本共産党は、政党としてみずから実行しているように、企業・団体献金を全面的に禁止します。また、それ以前にも、公共事業受注企業からの献金禁止、政党支部をトンネルにした企業献金の抜け道づくりをきびしく規制します。
「企業が議員に何のために金をだすのか。投資に対するリターン、株主に対する収益を確保するのが企業だから、企業が政治に金を出せば必ず見返りを期待する」(当時の石原俊・経済同友会代表幹事、「日経」一九八九年六月三日付)
「企業献金はそれ自体が利益誘導的な性格を持っている」(当時の亀井正夫・住友電工会長、「東京」同年一月一日付)
●1993年9月2日 企業献金あっせん中止を決定
●94年5月 「政治・企業委員会」の設置を決定
●94年9月 調査チームを米国、イギリス、ドイツに派遣
●94年10月18日 「政治・企業委員会」が「政治と企業の関係について」と題する中間報告を発表
●95年1月 経団連幹部と国会議員が懇談する政経懇談会が発足。月1回程度開催
●96年7月25日 「企業人政治フォーラム」が設立総会
●98年5月26日 今井敬会長(当時)が会長就任の報道各社インタビューに、政治献金について「経団連を通すことが一番きれいだと思う」とあっせん再開に“前向き”姿勢示す
●98年6月8日 今井敬会長(当時)が、5月の発言について「とくに意図はなく、非常に不用意だったと思う」と記者会見で釈明
●2002年5月28日 経団連と日経連が統合し日本経団連が発足。総会後、奥田碩会長が記者団のインタビューに「(政治献金を)出しても良い。(政治とカネをめぐる)スキャンダル問題が落ち着く先をみて、(献金問題の)結論を出す。カネも出すが、口も出す」(「毎日」5月29日付)
●03年1月1日 「奥田ビジョン」を発表。「企業人が政治に主体的に関与」と、政治献金の「あっせん」再開を打ち出す
●03年5月12日 「政策本位の政治に向けた企業・団体寄付の促進について」を発表
●03年6月5日 「政治・企業委員会」を開き、政治献金「あっせん」のための指針(ガイドライン)を取りまとめる方針を示す
●03年6月23日 政党評価の優先政策事項を検討する「政経行動委員会」が発足
●03年7月24、25日 夏季フォーラムで04年からの政治献金「あっせん」再開へ具体策を協議
●03年9月25日 政治献金「あっせん」の優先政策事項を発表
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一九九三年九月、当時の経団連は平岩外四会長(東京電力会長、当時)時代に企業献金のあっせんを中止しました。リクルート、佐川、ゼネコン汚職など「政治とカネ」をめぐる事件の続発、自民党が政権の座からすべり落ちたことなどを受けたものでした。そのとき発表した経団連の「企業献金に関する考え方」では、「廃止を含めて見直すべきである」と表明しました。
当時の新聞各紙は、企業献金を強く批判していました。当時、東京電力の広報担当課長が集めた政治献金の新聞記事は「経団連の政治献金斡旋(あっせん)を支持する記事はゼロ。コピーした記事の厚みは十センチほどに膨れ上がった」(古賀純一郎著『経団連』)といいます。平岩氏は、いまでも「あのとき、マスコミが反対したから中止を決定した」と周囲にもらしています。
献金あっせんを中止した経団連は、政治との関係の再構築をはかります。
九四年には、「政治・企業委員会」を設置しました。九六年には政治家との意思疎通をよくするため、「企業人政治フォーラム」を発足させました。
九八年五月、今井敬新日鉄会長(当時)が経団連の会長に就任。そのときの記者会見で政治献金の再開へ意欲的な発言をおこないました。再び世論が反発。六月には発言の事実上の撤回を迫られました。
世論の力の前では、財界といえどもやりたい放題はできないことを示しています。
「政策提言能力と実行力を高めるため」にと経団連と日経連が二〇〇二年五月に統合し日本経団連が発足。今度はみずから提起した政治献金あっせんの「廃止」を投げ捨て、大企業本位の政策を実現するための政治支配へ向けて形を変えた「献金あっせん」再開に乗り出しました。
<奥田碩日本経団連会長>
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「(政治献金が)やっぱり出るのは、自民党と民主党。そういうことになると思う」(03年11月10日の記者会見)
「日本の改革を加速するために、政治にたいし、大いに物を申すとともに、改革に真摯(しんし)に取り組む政党にたいしては、資金面も含め、応分の協力をおこなう」(03年11月2日、ワシントンで開かれた日米財界人会議)
「簡単に言えば、二大政党制がいいと思っています」(「朝日」03年8月5日付)
<福岡道生日本経団連参与>
「先行き不透明な日本経済を好転させるため、政治と経済が両輪となって進むことを期待する。その観点から、(民主)党としてもアイデンティティを確立し、与党の反対勢力ではない、国民にわかりやすい対案を持って国会の場で活躍することを期待する」(03年1月18日、民主党の党大会で、奥田碩日本経団連会長のメッセージを代読。民主党のホームページから)
<池田守男資生堂社長、経済同友会の「政治の将来ビジョンを考える委員会」委員長、日本経団連の「社会貢献推進委員会」委員長>
「自民党に期待しているが、政権与党には緊張感が必要だ。それには二大政党制が理想だ」「(民主党への献金について)検討していくべき課題」(「朝日」03年10月16日付)
<小泉純一郎首相>
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「(日本経団連が)献金しようというんだったら、私は喜んで受け取ります」(03年10月1日、衆院予算委員会)
<岡田克也民主党幹事長>
「政策実現の実績だけでは与党に有利になる。政治改革や政権交代への姿勢なども(政治献金のための政党評価)基準に入れてほしい」(03年7月16日、日本経団連との会談で)
<平岩外四経団連会長(当時)>
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「企業献金自体は悪くないという意見が強かったが、政治状況が変わり、世論の批判も強いので、経団連として新しい時代に対応するために斡旋(あっせん)をやめ、廃止の方向を打ち出すことにした」「会員企業に廃止に向けて献金を減らすように呼びかける」(93年9月2日の記者会見。「朝日」同日付夕刊)
<森喜朗自民党幹事長(当時)>
●「クリーンな企業献金を集めるために始めた経緯があり、お互いにとっていい仕組みだった」とあっせん中止に暗に不満を表明。(93年9月2日)日本経団連の献金あっせん再開の意図を報じた新聞報道や経団連のパンフレット