2003年11月23日(日)「しんぶん赤旗」
市町村合併の是非を問う住民投票が各地で行われています。「自立したまちづくりをすすめたい」「このまちを子や孫に引き継ぎたい」との思いを集め、合併ノーの審判をくだした自治体が相次いでいます。その力になったものは何か。長野県箕輪町と岡山県長船(おさふね)町の日本共産党町議会議員からのリポートを紹介します。
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岡山・長船 |
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岡山県邑久郡三町(長船、邑久、牛窓)は昨年八月に法定合併協議会を設置。新市の名称も決定し、残すは期日のみ、となっていましたが、長船町では十月二十六日投票の住民投票で合併反対が54%(無効票除く率)でした。
長船町では、町長は合併推進で、議員は私以外すべて合併推進派(十三人)です。しかし、町民の中には、合併協議会が町民の思いとは違うところで進められていることや、このまま合併へ進むことへの不安の声が多く、六月議会では元議長の議員発議で住民投票条例が可決されました。
投票までの運動は、日本共産党と町民との共同という点では不十分でしたが、郡内三町の党支部が共同で毎週会議を行い、県内の成功例(奈義町での住民投票で合併反対が過半数)に学びながら取り組みを進めました。
配布したビラは四種類で、内容も、長船町は財政的にも県下では良い方で、他町から移り住む人が多く、年少人口比率は県下で一位であることなど、良い面をアピールするものにしました。ほぼ連日、宣伝カーを運行し、訴える内容も、合併しなくてもやっていけるという点と、自分たちの町の将来は自分たちで決めようという点を強調しました。町民一人ひとりが、まちづくりに参加することの必要性とその第一歩が住民投票であると、訴えました。
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条例の中に「二分の一の投票率で成立する」という要件があるため、とにかく投票率をアップさせることに重点をおき、目立つように赤、白のステッカーを町内いたるところに張り出しました。「この町が好きだから」「この町を子や孫に残したいから」合併しないに○を、という言葉は町民の心に響くものがあり、思いがけないところで多くのドラマが生まれました。「新市の名称が早々に決まり、もう合併は決まったことだと思っていたが、自分たちの一票で決まるんだ」「自分たちが町の主人公なんだと初めて考えた」という声があちこちで聞かれました。投票を呼びかける電話かけでも、「必ず投票に行きます」という声が返ってくるようになりました。
やれることは、すべてやったというのが実感です。最後まで粘り強く、あきらめずに頑張ったことが、この結果につながったのだと思います。
議会は、投票結果を受けて全員協議会を開会。「住民投票の結果を尊重する」は私と無所属の一人だけ。他の議員は「結果は尊重しなければならないが、合併はしなければならない」でした。町民の世論の強さから協議会は回を重ねるごとに「結果を尊重する」が増え、四回目で過半数になり合併しないことを確認しました。
結果を受け止められない町長はいまだ結論を出さずにいます。合併推進派は賛成署名を始め、その中には三人の議員が名前を連ねています。攻撃も強まっていますが、議会制民主主義のルールを守るため、町民の良識を信頼し、一日も早く町民の納得できる結論を出すように頑張る決意です。
(守時敬子・日本共産党長船町議)
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長野・箕輪 |
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長野県箕輪町では、衆院選挙投票日と同じ九日、上伊那北部六市町村(伊那市、高遠町、辰野町、箕輪町、南箕輪村、長谷村)の合併を問う住民投票が行われました。合併反対が66%(無効票除く率)で多数を占め、町民は自立した町づくりを選択しました。十八日の北部六市町村任意合併協議会で箕輪町の協議会離脱が確定しました。
箕輪町は、諏訪湖から発する天竜川を三十キロほど下った伊那谷が広がるところにあり、人口二万五千五百人です。工業出荷額は県内の町で二番目の実績を残しています。
今回の合併問題について、日本共産党箕輪町議員団(二人)の取り組みは、上伊那広域連合(北部六市町村と駒ケ根市など四市町村・人口十九万二千人)の発足時点(一九九九年七月一日)から始まります。このとき、広域連合は合併の足がかりではないかとの指摘に、当時の町長、井沢通治氏は、そのようなことはないといいました。
二〇〇一年には国の合併押しつけが激しくなり、広域連合で合併問題の論議が始まりました。党議員団は議会のたびに、「国の押しつけによる合併は反対である」と主張してきました。
〇二年十一月に町長選挙が行われました。伊那の町村会長で合併を推進し四選をめざす井沢氏に対し、党は町政の改革ができる町長をという人たちと共同して「民意を町政の表舞台に」と主張する平沢豊満氏を支持してたたかいました。
個別政策の「合併は住民投票で決定」を徹底して宣伝、対話をしました。「合併のような大事なことは自分で決める」「町政を変えなければ」の声が多数派になり、平沢氏が当選、新しい町政へ踏み出しました。
今年一月、北部六市町村で任意合併協議会をつくることになり、箕輪町は町民に資料提供をするとして参画しました。
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四月の町議選では、合併推進派の議員が減りました。
町合併調査室では「合併しない場合のメリット、合併しない場合に懸念されること」など独自に作った検討資料を配布。地域ごとの「住民説明会」に平沢町長が出席し、疑問に答え、要望を聞きました。
党箕輪町委員会は、「上伊那の合併を考える」という「箕輪民報」号外を四回発行。さらに住民投票寸前に、「上伊那一財政力の豊かな箕輪町は自立で」のビラを全戸配布し、百回を超す街頭宣伝をしました。
町民の中で、自立してこそ「伝統と歴史ある町を残せる」「きめ細かな行政をすすめられる」などをあげて合併反対をいう声が広がりました。「合併したら住民へのサービスが低下するのではないか」など合併への不安の声もあちこちで聞かれるようになりました。
合併推進派の議員がかつてのように「合併を」といわなくなりました。
住民投票で合併反対が圧倒的多数になったのは、町を改革しようと思う町民と党が結びついて取り組んだからだと思います。
(春日巌・日本共産党箕輪町議員団団長)