2003年11月17日(月)「しんぶん赤旗」
衆院解散の十月十日午前。国会内の自民党控室で総選挙の公約を了承するための総務会が開かれ、通路は待ち構える報道陣であふれていました。
党政権公約策定委員会の武部勤事務局長が内容を説明。終了後、公約案を握りしめて部屋を出てきた武部氏は「いいものができた」と満足げでした。
十日の総務会で示した文面には、原案になかった表現が付け加えられました。「将来の消費税率引き上げについても国民的論議を行い、結論を得る」という部分です。
小泉純一郎首相は国会で「自分の在任中の三年間は消費税を引き上げない」と繰り返し、党内でも「公約に盛り込むと選挙に不利」(「読売」十月十一日付)との慎重論がありました。
一転したのは、十月五日の民主・自由の合併大会で発表された民主党のマニフェスト(政権公約)に、消費税の目的税化が大きな柱の一つとして打ち出されたあとでした。
民主党のマニフェストにも初めから消費税増税が入っていたわけではありません。九月十八日発表したマニフェストの第一次草案に、消費税や憲法についての記述はありませんでした。
枝野幸男政調会長は同日の記者会見で「年金との関係で消費税をどう位置付けていくかというのは、いままさに精査しているが、(政権)一期目の公約にはならない」と説明しました。
「公約にはならない」はずの消費税や憲法問題が、華やかな合併セレモニーのなかで堂々と公約の冒頭に躍り出ることになった背景には、財界の後押しがありました。
合併大会の四日前の十月一日。経済同友会が、民主党と懇談し、「民主党がめざす国家像や政策体系がやや不明確であるとともに、我々が政権公約に期待する政策で、扱われていない課題も存在する」と注文をつけました。
「扱われていない課題」として「『国民の受益と負担』の明示」などを列挙。北城恪太郎代表幹事は、基礎年金部分に消費税を充てるとの項目が政権公約に盛りこまれたことについて、「民主党の政策は近い方向にあると思う」「消費税の活用に踏みこんだことにおいては、一歩前進の提案ではないか」(十月七日)と評価しました。
もう一つは、総選挙を前にした九月二十五日に、日本経団連が発表した献金促進のための政党評価基準に、「消費税率引き上げ」が盛り込まれたことでした。
奥田碩会長は、その一週間後、十月二日のシンポジウム「動け!日本」で、「社会保障財源を調達するために、消費税率を見直すことがいずれ必要になる」と強調。「日本経団連では、企業も政治に真摯(しんし)に向かい合い、積極的な働きかけを行うとともに、構造改革に積極的な政党には必要な貢献を行っていく」と宣言しました。
企業献金をえさに財界の求める政策実現をあからさまに求めたのです。
憲法問題でも、自民、民主両党は互いに公約内容をけん制しあい、悪政を競いあうことになりました。
小泉首相が、山崎拓幹事長(当時)に二〇〇五年の自民党結党五十周年を節目に党改憲案のとりまとめを指示したのは八月末。このときは、「公約は当面のこと。改正はちょっと先のことでしょう」とのべ、総裁選公約とは区別。実際、みずからの総裁選公約には盛りこみませんでした。
ところが、十月六日にまとめた自民党の政権公約原案には、憲法改悪方針を明記。最終的には「2005年、憲法改正に大きく踏みだします」と踏みこんだのです。
この間に、起こったことはなにか。民主党の政権公約第一次案には憲法問題の記載がなく、枝野政調会長は「マニフェストに入らない」と言明していました。ところが、民主党と経済同友会との前出の懇談で経済同友会から憲法問題を盛り込むことを提起され、五日の合併大会で発表された公約には「創憲」の方針が明記されたのです。
北城代表幹事は、このときの懇談について、「基本的な国のあり方を考える憲法について意見を述べる必要がある、と提案した。これらについては、経済同友会の意見が反映されたのか、もともと準備があったのかは定かではないが、ふれていただいたので良かったと思う」(十月七日)と満足げにふりかえっています。
(つづく)