2003年10月7日(火)「しんぶん赤旗」
九月二十八日に東京都立大学で「都立四大学廃止に関する緊急公開シンポジウム」が開かれました。シンポジウムでの乾彰夫都立大学・短期大学教職員組合副委員長と大串隆吉公立大学教職員組合協議会副委員長の報告を紹介します。
八月一日の石原知事の記者会見で、それまで都立四大学(都立大学・科学技術大学・短期大学・保健科学大学)と都大学管理本部が協議しながら進められてきた大学改革構想が覆されました。これまで二年近くの時間をかけて検討・準備してきたものとは、学部の構成・名称からしてまったく違うものです。そのことが四大学の総長・学長に知らされたのさえ、記者会見のわずか一時間前のことでした。
それ以降、大学管理本部はこれからは七月までのような四大学の統合による改革ではない、設置者たる都の手による今ある大学の「廃止」と新大学の「設置」であるとして、現在ある大学を閉め出して準備作業を強引に進めようとしています。八月末には、都立大学五学部の学部長らを呼び出し、学部長としてではなく「旧大学の資源」(つまり教員スタッフや施設等)に精通した個人として、検討作業に加わることを求めました。作業に加わるにあたっては、「構想に積極的に参加する」「作業内容は口外しない」などの「就任承諾書」の提出を求めました。その結果、新大学の具体的な内容の検討・準備は、実際にその大学の教育・研究活動を担うことになるはずのほとんどの教職員からは閉ざされた密室で進められています。
九月下旬になって中間報告された案によれば、現在百三十名あまりの教員スタッフがいる人文学部(新大学では都市教養学部人文学系)の教員定数は半分以下に減らされ、人文学系のなかから文学専攻がなくなります。そして文学・外国語担当の教員は、教員定数のつかない(現在の教員の退職後は補充がない)基礎教育センターなどに配属されるとされています。教養重視といいながら、外国語教育も教養教育も満足にできない人員配置になっています。また今ある文学系や身体運動科学などの専攻の大学院もなくなることになっています。
新大学は二〇〇五年四月に開学とされていますが、そうなるといま在籍している学生や大学院生は、卒業までいままでのような教育や研究指導が保障されるのか、指導教員が基礎教育センターなどに配置換えになり大学院担当からはずれてしまったらどうなるのか、学生・院生の中にも不安が広がっています。
何よりも問題なのは、現在ある大学の改革ではなく「廃止」と新大学の「設置」としている都大学管理本部の進め方です。九月二十二日に都立大学総長が、大学管理本部長にあてた意見書では、そのような進め方や手続きの不当性を強く指摘しています。そこでは現に存在し実績もある大学の廃止を設置者が一方的に決めることは違法であり、また実際に行われていることは、現にある大学の施設と人員をもとに新しい大学をつくるのであるから、現行大学からの「移行」(改革・統合)にほかならないということです。
都立四大学の教職員は、よりよい大学に改革するための検討・準備に、これまで骨身を惜しまず努力を重ねてきました。その努力を台無しにするばかりか、大学の自治や民主主義を踏みにじる石原知事と東京都のやり方は許せません。新大学を本当に大学らしいものにするためにも、七月以前の進め方に戻すことを強く求めます。
現在、東京都以外でも大阪府、横浜市、広島県、兵庫県などの公立大学で独立行政法人化とともに統廃合が実行されようとしています。東京都がその先頭を走っています。都の大学管理本部は、「東京都大学改革大綱」にもとづいてまがりなりにも大学と協議して作られた新大学の案を一方的に廃棄し、大学に相談することなく四大学の廃止と新大学計画を発表しました。大学の廃止、設置は設置者権限だからというわけです。
それでは、設置者の権限とはそういうものでしょうか。学校教育法第五条は、設置者に「設置する学校を管理」することと「学校の経費を負担する」ことを義務づけています。大学の管理は、設置者、この場合は都知事が一方的に管理することではありません。
公立大学の歴史の中で、都立大学の阿部教授復職問題(大学が阿部教授の復職を決議したが長期間都知事が認めなかった事件)や都留文科大学の教員免職問題(市議会百条委員会が教員の免職を求めた事件)などで大学の自治が確認されてきました。したがって、地方独立行政法人法の付帯決議でも「憲法が保障する学問の自由と大学の自治を侵すことがないように、大学の自主性・自立性を最大限発揮する」ことを求めています。ですから、都の管理本部はこれを尊重し、大学との協議の上改革案を作らなければなりません。まして、大学の廃止は学校教育法によれば大学が決めることです。
それでは、なぜ一方的に大学を無視しておこなうのでしょうか。それは、東京都から日本の教育改革を行うためです。都知事は、一期目のはじめ、都立大学を私学に売るといっていましたが、日本の青少年をだめにした戦後の教育を改革するためには、大学から変えていかなければならないと言うようになりました。そのためには、大学の体質を変えなければならない。大学と協議していてはそれが出来ないと考えたのだと思います。
そのため、経営の効率化と大学の管理を強化するために都の大学を独立行政法人にできる法律の制定を政府に求めてきました。それが、地方独立行政法人法になりました。公立大学としての都立大学は、都民に貢献することが求められています。都立大学の学則はそれをうたっています。特に働く都民に大学を開放する昼夜開講制は都立大学の特色でした。石原都政が始まってから大学が独自につくった「東京都立大学改革計画2000」は学則の精神を発展させようとしたものでしたが、都知事によって認められませんでした。そして、残念ながら、大学は都の要請に応じてこの昼夜開講制を廃止しました。その後も、教員は「都民自由大学」のような都民に貢献する改革案をつくってきましたが、日の目を見たのは少なかったのです。
大学管理本部がつくった新大学計画も都政・都民に貢献することを柱にしています。この点は、都立の大学である限り避けて通ることは出来ないことで、どのように貢献するかが争点になっています。これは、公立大学に共通した問題です。ただ、都におけるように大学の自主性を無視して行えば、たとえ、みばえが良くても成功しないでしょう。