2003年9月12日(金)「しんぶん赤旗」
石原慎太郎・東京都知事が自民党総裁選の応援演説に訪れた名古屋市内の街頭演説(十日)で、同日起こった外務省の田中均審議官にたいするテロ行為について、「爆弾仕掛けられて当たり前の話だと私は思う」と発言した問題は、石原氏がテロに共鳴し、テロを行う側に立つことを表明した、きわめて重大なものです。
十一日には、抗議の電話、電子メールが殺到。石原氏は夕刻の池袋駅前での街頭演説で「爆弾を仕掛けることがいいこととはだれも思っていない」と弁明しましたが、前日の発言の撤回も謝罪もなし。「(外務省にたいする)国民の怒りがああいう形になった」と発言して、卑劣なテロ行為を「国民の怒りのあらわれ」と擁護する、度しがたい態度をとりました。
田中均外務審議官にたいして加えられた暴力は、同氏の自宅に時限発火装置つきの不審物をしかけるというものでした。同審議官だけでなく、家族や近隣住民にまで無差別に被害を及ぼしかねない、凶悪な犯行です。
それをとらえて「当たり前の話だ」といった石原氏の発言は、石原氏がどう弁解しようとも、テロを容認し、推奨する発言であることは、否定できません。
石原氏が、「爆弾しかけられても当たり前だ」(十日)「あの男には、そういう目にあう当然のいきさつがあった」(十一日)という田中審議官との“いきさつ”は、北朝鮮との外交交渉を「一人で仕切って」いるというものです。
いま、北朝鮮問題をめぐる危険な状況を多くの国民が憂慮しています。北朝鮮の核武装政策を放棄させ、拉致をはじめ国際的無法をどう解決するか、この困難な課題を戦争という手段によらずすすめるために、国際社会がどう行動するかが大きく問われています。
ところが石原知事は、「北朝鮮と戦争をおっぱじめろ」と平和的な解決への努力をあざ笑い、北朝鮮のミサイル・ノドンの日本への飛来による日本人の覚醒(かくせい)を念じるという、きわめて特異な立場に立っています。(語録参照)
石原氏は、都知事の立場を最大限に使って、ことあるごとにその主張を公にしています。右翼的なジャーナリズムにもひんぱんに登場し、田中審議官を名指しにしての攻撃も繰り返しています。
言論の手段で自分の主張をのべたてても、それがあまりにも異常な内容であるために多くの支持を得られずにいることへのいらだちが、ついに、実際に引き起こされたテロへの共鳴となって現れたといえます。
テロ、暴力で自由な言論を封じ、自らの主張を社会に押しつけるというやり方は、民主主義にたいする挑戦であり、絶対に許されません。国際的なテロ事件が頻発するなかで、あらゆるテロ、暴力の否定は、ますます重要な世界の公理となっています。
石原氏の発言は、まさに政治家失格というべきものです。知事は発言を撤回し、深く謝罪すべきです。(竹腰将弘記者)
「田中均(外務審議官)というですね、この爆弾仕掛けられて当たり前の話だと私は思う。政治家にいわずにですね、いるかいないか分からないミスターXと私は交渉してるといって、向こうの言いなりになっている。そんな役人が一人で仕切って、北朝鮮とわたりあえるわけがない」(十日、名古屋市内での自民党総裁選応援街頭演説)
「僕が総理大臣なら、実は百人近くもいるという拉致された日本人をとり戻すためになら北朝鮮と戦争をおっぱじめるよ」(『週刊文春』二〇〇二年九月六日号)
「軍事力による脅しを背景にしない外交交渉というのはナンセンスじゃないか」「何度でもいうけど、ノドンでも日本に落ちてくれた方が日本は覚醒するだろう」(『諸君!』二〇〇二年十一月号)