2003年8月23日(土)「しんぶん赤旗」
八月四日から九日まで、マレーシアの首都クアラルンプールで開かれた東アジア会議とアジア太平洋円卓会議では、大国の支配を排した、平和と国際協力をめざすアジアの流れが浮き彫りになりました。そのなかで、日本共産党の存在と役割が注目されました。会議に参加した日本共産党の笠井亮国際局次長・前参議院議員に聞きました。
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−東アジア会議とアジア太平洋円卓会議はとても意義深い会議だったとうかがいました。
笠井 ハイライトは、マハティール首相が出席した第一回東アジア会議でした。東南アジア十カ国と日本、中国、韓国など千五百人が参加する大きな国際会議なんですね。これに続いて、毎年二百五十人規模で開かれている安全保障問題でのアジア太平洋円卓会議がありました。
とにかく一週間、ほとんど缶詰め状態で、朝八時半から、遅いときは夜十一時まで、政治、経済、平和などさまざまなテーマの討論が続き、休憩と食事の時は交流と超ハードでしたが、充実した野党外交を体験できました。
−主催はマレーシアの研究所なんですね?
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笠井 マレーシア戦略国際問題研究所(ISIS)です。マレーシアはいま、非同盟諸国会議とイスラム諸国会議機構の議長国で、マハティール首相は、米国にもズバズバものをいうことで有名です。その首相、政府の知恵袋になっているシンクタンクです。
東アジア会議は、いまこそ東アジアの国々が平和と繁栄をめざす「共同体」をつくろう、そのためにまず民間の学者・研究者や専門家などが集まろうということで同研究所が呼びかけて開いたものです。今回は主に経済問題で率直な意見が交わされました。
−そこへ日本共産党が招かれたのですね。
笠井 そこなんですね。主催者に聞くと、「あなたがたの党の外交路線に親近感を持っている。米国の覇権主義とたたかう点ではまったく同じ。交流を深めることが大事だと思っている」とのことでした。
九九年には不破委員長(当時)がマレーシアを訪問、昨年のアジア太平洋円卓会議には、緒方国際局長、森原同次長が初出席、そして今年二月には、緒方局長がクアラルンプールで開かれた非同盟諸国首脳会議にゲストとして出席しました。こうした、アジアの本流をともに歩む日本共産党の野党外交の積み重ねと到達点を強く感じました。
−二つの会議を通じて参加者の熱気を強く感じられたそうですね。
笠井 激動の世界にあって、東アジアがまとまってこそ繁栄がある、それには平和が不可欠だ。米国との友好関係はもちろん大事だが、大国によるアジア支配は許せない。いまこそ「アジアのことはアジアで」。こういう共通の決意と息吹ですね。
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これは、冒頭の東アジア会議でのマハティール首相の基調演説にはっきり示されました。アジアへの米国の覇権主義の介入・関与を許さず東アジアの平和と協力の枠組みを追求し、一九九〇年以来提唱しつづけている東アジア経済協議体(EAEC)の構想に込めた思いがあふれていました。
EAECの呼び掛けには米国が猛反対し、日本もそれに追随しました。しかしマハティール首相は、「今ではその構想はごく自然に受け入れられるようになっている」とのべていました。
しかも、対等・平等、コンセンサス(合意)による決定、相互不干渉の原則という「ASEAN方式」に基づいて、「アジア通貨基金」構想や「アジア債券」構想、「自由貿易協定」など経済、平和、文化の諸問題での議論や協力が前進し、経済危機も克服し、一致点を広げてきた自信を感じましたね。
−マハティール首相は、大国の支配について何といったのでしょう。
笠井 「帝国的な支配、ご都合主義の覇権の奇跡を信じない」といい、「覇権主義ノー」、「帝国主義ノー」と明言しました。「東アジアの、東アジアによる東アジアのための共同体をつくろう」とのよびかけには説得力がありました。
アジアにたいする私たちの見方、考えとピッタリです。日本共産党に親近感を感じてくれるのも当然だと思いました。
参加者の多くも、問題は政府の決断だということで、「政治的意思」という言葉が共通のキーワードになりました。
−ここまで機運が高まった背景に、イラク戦争と世界の反戦運動がありましたか。
笠井 大いにありますね。とくに平和問題を集中的に議論した円卓会議では、「今回はアメリカ・バッシングの会議だな」という声が出るほどでした。米国の横暴がまかり通る世界の持ち込みを許さないという意見が集中しました。
何しろ、マレーシア駐在米国大使も出席していたのですが、その前で、マレーシアのアブドラ副首相はじめ参加者が相次いで、アメリカを名指しして「世界をあざむいて戦争をした」と批判し、覇権主義を非難し、国連中心の平和の国際秩序づくりを訴え、反戦運動の意義を強調したのです。
イラク戦争が強行されてしまったという挫折感ではなく、むしろ、あんな横暴をアジアでは許さないぞという決意があふれていました。
−東アジア共同体構想にたいする日本政府の姿勢は。
笠井 参加した人々には、最大の障害が米国追随の日本外交にあることが明らかになったと思います。
勤勉で優れた技術力を持つ経済大国で、しかも憲法九条を持ち、被爆国である日本が、アジアの一員、アジアの仲間として大きな役割を担ってほしい。これがアジアからの期待でした。ところが現実には、そうなっていない日本の現実、米国いいなりで「共同体」に消極的な日本の外交姿勢へのいらだち、憲法を無視してイラク派兵法を強行したことへの怒りを感じましたね。
−具体的には?
笠井 それをくっきり印象づけたのが、榊原英資・慶応大教授(元財務官)と黒田東彦・内閣参与(前財務官)の講演でした。
かねてからマハティール首相を高く評価してきた榊原氏は、「もう政府から離れ一市民・大学教授なので、何でもいえる」と前置きして、「いまこそ東アジア共同体を」と主張し、その実現のための二つの問題をあげました。安保条約を結んでいる米国との関係で「従来のような米国の窓だけから世界を見るやり方を捨てる」ことと、過去の侵略を「進んで謝り、未来へ向かう」ことを指摘したのです。
−黒田氏の発言は。
笠井 米国のいない「排他的な東アジア共同体」に賛成できない。「まずいまのASEAN+3(日中韓)で」という従来の枠を出ない発言でした。参加者からは、「小泉首相に加わるよう進言を」(マレーシア)とか、「アジアの一員として米国にどう対処するかが問題だ」(中国)とズバリ核心を突かれました。
ところがそれにも、「日米安保条約は基本政策で、今後も変わらない」という答えなんですね。
−そのなかで、日本共産党からの参加はどうみられましたか。
笠井 名刺交換すると、最初は驚いた人もいて、「共産主義者はモンスター(怪物)で角が生えている」と教えられてきた韓国からの参加者もいました。
非同盟・非核・紛争の話し合い解決、「国づくりは自主的に」ということを大事にしているのだということで、違和感なくアジアの流れになじむ存在であることがわかってもらえました。一週間でたくさんの新しい知人、友人ができ、再会を誓い合いました。
−マハティール首相ともあいさつを交わされましたね。
笠井 今回の招待への感謝とちょうど開催中だった原水爆禁止世界大会への同首相のメッセージのお礼をいいました。首相の方から、「日本共産党ですか」とにこやかに、「どれくらいの力を持っているのですか」と聞かれました。
「党員は四十万人、国会議員は四十人です」と答えると、首相が「四十人もいるのですか」と注目していました。隣でソピーISIS会長が、「民主的な社会主義の党なんです」と紹介の言葉を添えてくれて、なごやかな歓談となりました。
−笠井さんの発言も注目されたそうですが。
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笠井 テーマごとに会場からの発言時間は全体で三十分程度なので、一人あたり二、三分の短いコメントか質問をするのですが、全部で四回発言できました。
東アジア会議では、「アジアの金融協力」の討論のなかで、私は、「東アジア共同体」は重要だと思うとのべました。そのうえで、「経済のグローバル(地球規模)化は当然だが、問題はアメリカン・スタンダードが押しつけられていることだ」と指摘して、金融投機への規制、投機的為替取引への課税など、国際的ルールづくりを提起しました。
これには、「適切な提起だ」(マレーシア、BBC記者)などの感想とともに、「日本共産党は東アジア共同体に関心があるのか」「心強い」というコメントも寄せられました。
−参加者とはどんな交流がありましたか。
笠井 発言後、食事会場にいくと、「イギリスでは前世紀になくなり、アジア諸国でも認められていない共産党が、なぜ日本で頑張っているのか」とか「資金はどこから」、あるいは「『しんぶん赤旗』はなぜ読者が多い」と矢継ぎ早の質問でした。
英語版「日本共産党紹介」を渡すと、「四千二百人の地方議員第一党とは、草の根に強い党だね」「そろそろわが国でも共産党を認めていいんじゃないか」という声もありました。
野党外交で、サウジアラビアも訪問し、不破議長がチュニジアの政権党大会に招待されて参加したと紹介すると、「それはいい。うちの政権党大会にも招待したら来てくれるか」ということまで話題になりました。
−党綱領改定案でのべている日本外交転換の提唱についてはどうでしたか。
笠井 安保条約を廃棄し、米国と対等平等の友好条約を結び、非同盟諸国首脳会議に日本が参加する。こういう外交の転換をめざしていると紹介すると、「それが重要だ」「当然だ」という声が返ってきました。フィリピン大学のフランシスコ・ネメンゾ学長は、「私が日本にいた時から注目していたのは、日米軍事同盟から抜け出し、友好条約を結ぶ外交政策で、そこが傑出していた」と感想を述べてくれました。
「次の選挙はいつですか。頑張ってください」という激励もあって、アジアの期待にこたえる日本になるためにも、日本共産党が躍進し、一日も早く民主連合政府の与党外交が担えるよう力をつけなければ、と意を強くして帰ってきました。