2003年8月15日(金)「しんぶん赤旗」
李玉善(イ・オクソン)さん(77)は七月三十日、体の不調をこらえて日本大使館前で抗議の声を上げました。日本政府の謝罪と国家補償を求める「慰安婦」被害者たちが、十一年にわたって毎週続けている「水曜デモ」は、この日、五百六十九回目を数えました。
十六歳だった一九四二年、中国東北地方の図們に連れて行かれ、日本軍の「慰安婦」にされました。戦後、現地で放り出され、ようやく帰国できたのは二〇〇〇年です。
「日本の軍人の遊び道具にされ、不平を言うと軍刀で傷つけられることもあった」と、おびえながら送った日々を振り返ります。腕と足首に傷跡が残っています。「戦争は、あまりにも多くの人々に、癒やせない傷を残すんだよ」
「二度と戦争を起こさせないために、私に残された命を平和のためにささげるつもりだ」。こう語る李さんは、市民団体が進める「平和博物館」建設運動の共同代表を引き受けました。
日本による侵略の被害者だった韓国は、六〇年代にはアメリカのベトナム侵略戦争に加担しました。平和博物館運動は、この反省が出発点です。
「戦争というのは、私らのような弱い者が苦しんで死んでいくものなんだ。絶対に認めてはいけない」。李玉善さんの反戦平和への決意はゆらぎません。
韓国で名乗り出た「慰安婦」被害者は二百九人。すでに七十七人が亡くなりました。ほとんどが七十歳代の後半です。
慶尚北道・大邱市で一人暮らしの李容洙(イ・ヨンス)さん(76)は、日本政府への批判をおさえられません。「どうしてきっぱりと謝罪して国家補償ができないのかね。私たちを無視して靖国神社に参拝する小泉(首相)は恥知らずだよ」
日本政府は九五年、「慰安婦」被害に日本の国家権力が関与したことを認めたものの、国家補償を避けて民間団体であるアジア女性平和基金を通じた「見舞い金」で幕引きを図りました。「見舞い金なんていらない。そんなに国家責任を逃れたいのかね」
「私たちは歴史の生き証人だ」。李容洙さんは集会で必ず叫びます。十七歳から十八歳まで、台湾の慰安所に送られました。「私らが話すことが、日本政府の目を覚まさせ、歴史をただすことになる。被害者が黙ったらおしまいだから」
元「慰安婦」の支援活動を続けている市民団体のボランティアの女子大生、李惠真さん(22)はいいます。「韓国でも、メディアを通じて『かわいそうな被害者』という認識がある程度なのが現状です。日本人だけでなく、韓国人も謝罪と補償を求める運動にもっと参加してもらうようにしたい」
李容洙さんは、日本の国会に提出されている「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の成立に期待しています。「日本に行って、民主党、共産党、社民党の人たちといっしょにデモしたこともあるよ。あんたら、日本に帰ったら、もっとがんばりなさいよ」
(ソウル、大邱で面川誠)